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ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

両性具有

2010年10月25日 | 思想・学問

 先日、縁ある人の葬儀に参列しました。
 齢94の大往生。
 葬儀に湿っぽい雰囲気はなく、むしろおめでたい感じでした。
 
 そこで思ったことは、日本国憲法が高らかに宣言した男女平等の原理は、今だに建前に過ぎないのだな、ということです。
 喪主は長男。彼には姉がいますが、姉は喪主になりません。
 宴席では、年長の男が上座に座り、年齢順に男が座り、老婆でも一番若い成人男性より下座です。
 久しぶりに見た、家父長制の残滓とでもいうべき光景。
 私はむしろ、新鮮な驚きを感じました。

 人間は不平等なもの。
 性差別や差別、障害者差別が完全になくなっても、生まれた家が金持ちか貧乏か、両親が円満か不仲か、健康に生まれるか虚弱に生まれるか、頭脳明晰に生まれるか知能低く生まれるか、など、どちらが幸せかは別にして、生来の不平等は如何ともなしがたいものです。

 だからこそ、社会制度としての差別はなんとしてでも解消しなければなりません。
 その中でも古来、多くの民族で等しく見られるのが、男女差別です。

 戦後、少なくとも公の場では、男女差別は無いことになりました。
 家父長制から平等主義へ、大きく舵を切ることになりました。
 しかし家庭内や伝統的コミュニティーに目を向けると、現在もなお、男尊女卑の風潮が残存しています。

 自民党保守派などが言い募る選択的夫婦別姓制度反対や、男系男子による皇位継承へのこだわり。
 私には馬鹿馬鹿しいとしか思えません。
 底にあるのは男女不平等の意識。
 夫婦が別姓だと家庭が崩壊するとか。
 そう思えば同姓を選択すればよろしい。もっと言えば、その程度で崩壊する家庭は何をやっても崩壊するでしょう。
 別姓を希望するカップルに同姓を強制するのは傲慢です。
 
 皇位継承も理解不能です。
 女系だと何が不都合なんでしょうか。
 過去、例がない、ということなら、何事も初めてというのはあるので、新しい例として女系男子でも女系女子でも他に候補者がいなければ皇太子にすればよいでしょう。
 皇室は仏教の受容や明治維新など、過去何度も、伝統破りをやってきています。南北朝の争乱では、二人の天皇が同時に存在する、という珍現象が約60年も続きました。
 むしろ伝統にこだわらないから生き残った、とも言えます。

 どうしても男系男子というのなら、側室を何人ももらって、男児出生を期するべきです。
 
 万世一系とよく言いますが、折口信夫によれば、大嘗祭の際に大嘗宮で一定時間寝れば御稜威(みいつ)と呼ばれる天皇の魂が大行陛下から新帝に乗り移り、皇太子は新天皇になる、ということです。
 この儀式を経れば魂が乗り移って天皇になるのだから男でも女でも女系でもよい、と万世一系の解釈を変更すれば男だろうが女だろうがオカマだろうがなんだっていいんじゃないでしょうか。

 私は、社会的には男でもあり女でもある男と、女でもあり男でもある女がカップルを構成することが、現憲法の精神に最も合致するものと考えます。
 肉体的にはともかく、社会的な両性具有者同士のカップル。
 これが変幻自在に男性的役割と女性的役割を果たしていけば、世の中はより生き易くなるのではないでしょうか。

折口信夫の戦後天皇論
中村 生雄
法蔵館


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山登り

2010年10月24日 | その他

 栗城史多という登山家のドキュメンタリーをテレビ東京で放送していました。

 私は坂道を登ることが大嫌いなので、山登りをしたことはありません。
 過去、山と名がつく所へでかけたのは、高尾山と鋸山だけです。
 あとは車で行ける範囲だけです。
 そのため、登山家と言われる人々の気持ちは理解できません。
 とくに危険な冬山にあえて登るのはなぜなのか、わかりません。
 
 しかし、人は多様なもの。
 山に登らずにいられない人が一定の割合で存在することは知っています。

 上記の登山家が自身を中継しながら登頂へのアタックを諦め、下山してくる様が放送されていました。
 もうちょっとだけ登りたい、と言い張る登山家にベースキャンプの隊員たちが危険だから降りてくれ、と言っても聞かずに登り続け、天候が悪化して、頼むから降りてくれ、と無線で説得され、泣きながら降りてきました。

 これがけっこう受けているそうですね。

 人が一所懸命がんばっている姿は魅力的だし人の心を打つ、と言う人がいます。
 しかし私はそう思ったことはありません。
 子どもの遊びならそうかもしれませんが、大人の行動は結果がすべて。
 努力したかどうかはどうでもよく、良い結果を残せたかどうかだけが問われます。
 ちゃらんぽらんにやっても、例えば営業だったら売上が上がればそれでよいわけです。
 懸命にやっても、結果が悪ければ何もしないのと同じか、何もしないより悪い。
 世の中はそういう風にできているのに、努力する過程が重要であるように錯覚を起こさせる教育はいけませんね。

 この登山家が下山を決意したことは優れた判断で、そこは強調すべきですが、登頂を目指して頑張ったこと自体をことさらに取り上げて番組を制作するのは、世の中に間違ったメッセージを送ることになると思います。

一歩を越える勇気
栗城史多
サンマーク出版
NO LIMIT ノーリミット 自分を超える方法
栗城史多
サンクチュアリ出版


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ただよう

2010年10月23日 | 散歩・旅行

 見事な秋晴れにつられて、ふらふらと外へただよいだしました。
 気が付いたら、大江戸線の麻布十番駅に降り立っていました。
 山の手の中の下町ともいうべき麻布十番商店街を、あっちをふらふらこっちをふらふら。
 麻布山善福寺をお詣りすると、今度は有栖川宮記念公園へ。
 ここで滝を観たりしてミクロな森林浴を楽しみ、広尾へ。
 広尾のスーパーを冷やかすと、客はあっちもこっちも外国人ばかり。
 商品も巨大な肉の塊やら、横文字しか書いていないチーズやら缶詰やら変な形をしたパスタやら。
 ワインとリキュールがえらく充実していました。
 歩き疲れて喫茶店に入ったら、結婚披露宴帰りと思しき若い女性4人が派手な衣装とメイクをものともせず、新郎新婦の悪口で盛り上がっていました。
 帰りは日比谷線広尾駅からです。
 麻布から広尾へただよだいだした私は、千葉市内の自宅マンションに帰りつき、ああ、自宅が一番、と思ったのでした。


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人口大国 インド

2010年10月22日 | 社会・政治
 インドの人口は年齢に対して理想的なピラミッド型をしており、人口の半数以上が24歳以下の若年層だそうです。
 少子高齢化が進む日本とは正反対ですね。
 しかも中国は長いこと一人っ子政策をとってきたため、20年後くらいにはインドの人口は中国を抜くとか。
 
 また現在、携帯電話の普及率が5%、自動車の普及率が1%と言いますから、これらを購入する経済力を一般庶民が持ったら、巨大な市場を生みます。中国と比べて政治体制が民主的なことも経済交流の上で有利ですね。
 
 今、中国が何かと注目されていますが、政治は一党独裁、経済はほぼ資本主義のような体制は、いずれ大混乱を巻き起こし、中国は困難な立場に立つことになるだろうと私は予想しています。
 
 日本人はカレーが大好き。
 インドには中国のような反日感情はありません。
 むしろインドは中国と領土紛争を起こしたため、反中、親日の傾向が強くあります。
 私は学生の頃、インドへ二週間ほど貧乏旅行したことがありますが、中国人と間違われるとひどくにらみつけられますが、自分を指差して「ジャパーニー」と言うと、「オオ、ジャパーニー」と言って満面の笑みで抱きつかんばかりの勢いです。

 また、今もカースト制度が色濃く残り、差別はなくなりませんが、不可触民出身の大臣がでるなど、少しずつ改善されてきているやに聞きます。

 わずか二週間の旅行でしたが、一泊80円の安宿に泊まってみたり、お寺の宿坊に泊まってみたり、ガンジス川を船でくだってみたり、ハシッシュを勧められたり、奇妙なシルクを売りつけられたり、耳掻き屋(おっさんです)に耳をほじられたり、ヤシの実ジュースを飲んでいたら子供にひったくられたり、イギリス人バックパッカ―のホモのおっさんに言い寄られたり、色々ありました。

 そこで感じたのは、インド人は極めて哲学的であることと、所有の観念が薄いことでした。
 
 おれの物はおれの物でもあり、みんなの物でもある、という具合。
 つまり、豊かな日本人旅行者の持ち物はその旅行者の物でありながら、おれを含めたみんなの物でもある、と言うことで、やたらと喜捨を求められます。
 かわいそうだからと一人の物乞いに小銭をあげようものなら、そこいら中の物乞いに囲まれてしまいます。
 あいつに喜捨したんだからおれにも喜捨しろ、そうじゃないと不公平だ、というわけです。
 哲学的な物乞いたちです。

 タクシーに乗ると、助手席に知らないやつが乗りこんできます。
 「Who?」
 と問うと、
 「No problem」
 と応えます。
 つまり、お前はこいつが乗っていようがいまいが目的地に行き、金を払うんだろう、こいつは金がないがお前の目的地の近くに行かなければならない、お前は金がある、こいつはない、だから問題ない、というわけです。
 これはまことに奇妙なロジックですが、インドのタクシーはこれが当たり前でした。
 
 面白いのは、電車の切符を買うとき。
 切符売り場には並びもせずに大勢のインド人が四方八方からどこそこまで何枚、とか叫んでいます。
 私はそれを見て絶望的な気持ちになりました。
 並ぶのが当たり前の日本人には、修羅場に見えたのです。
 しかし私がそろそろ近づくと、インド人たちは私を窓口にすんなり通してくれたのです。
 そして私が切符を購入するのを待ち、また四方八方から叫び合いを始めたのです。
 外人だからかな、と思ったのですが、後でガイドブックを読んでわかりました。
 外人はカースト外ということで、人間ではないそうです。
 人間ではない奇妙な生き物だから、優先したのだそうです。

 はまる人はとことんはまり、ダメな人はまったく受け付けないインドという国。
 今後いやでも、インドとの経済交流を活発化させなければ生き残れない時代が来るでしょう。

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だるい

2010年10月22日 | 精神障害

 今日はなんだか体が重いです。
 体の重心が足首にまで下がってしまったような。
 歩くとふらふらします。
 座っていても、冷汗がでます。

 健康な人の疲労感は、疲労を感じさせてやる気を失わせることによって、休息をとろうと思わせる正常な働きですが、異常な疲労感は病的なものです。
 糖尿病も腎不全も肝不全も、強い疲労を感じると聞きます。

 私はうつ病を発症したとき、しばらくはほとんど立ちあがることすら億劫な状態が続きました。
 それでも無理をして働き続けたため、病状を悪化させ、長期の病気休暇を取得せざるを得ない状況に追い込まれたのでした。
 そのため、疲労感には敏感にならざるを得ません。
 疲労感はうつ状態へのサインである可能性があるからです。

 今日のこの疲労は一週間の疲れが出ただけだと思います。
 それに、私はもう無理はしません。
 隔週土曜日に診察を受けていますし、処方された薬も飲んでいます。
 とりあえずあと半日、だらだらと仕事をしましょう。
 明日、明後日はお休みですから。


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古今和歌集

2010年10月21日 | 文学

 神戸の甲南大学で、「古今和歌集」の完全な写本がみつかったと発表されました。
 鎌倉時代初期の写本と見られ、現存する最古のものだそうです。
 1982年に都内の古書店で甲南大学が購入したもので、2008年9月に図書館内の貴重書庫に在るのがみつかったとか。
 ずいぶんうかつな話ですね。28年も前に購入しておきながら、それがあることすら分からなかったとは。
 しかも428万円も払って。

 まあ、それは良いとして。

 これから研究者が甲南大学詣でをして、色々と研究するんでしょうねぇ。
 甲南大学では重要文化財への申請も検討しているとか。

 重要文化財なんかに指定されちゃうと、扱いが面倒ですよ。
 

古今和歌集 (岩波文庫)
佐伯 梅友
岩波書店
新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
高田 祐彦
角川学芸出版


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メーガン法

2010年10月21日 | 社会・政治
 福岡県警の元警官が、7か月で四件ものワイセツ事件を犯した咎で逮捕されたそうです。
 最初の逮捕の時に離婚、妻子と別れて実家でぶらぶらしながら犯行を重ねたそうです。
 
 珍しいのは、その内容。
 一般的に性犯罪というと、覗きなら覗き、下着泥棒なら下着泥棒、児童買春なら児童買春と、同じような罪を重ねるものですが、この元警官の場合、9歳の女児に抱きつく、干してある下着を覗く、16歳の女子高生を押し倒す、20歳の女子大生のスカートの中を鏡で覗く、など、対象年齢も犯罪行為も多岐にわたっていました。
 9歳から始まって16歳、20歳と上がってきているので、放っておいたら30、40と熟女へまで至ったのですかねぇ。
 強姦や強姦殺人などの凶悪犯罪に至らなかったことだけは、不幸中の幸いというべきでしょう。
 
 男の性欲というのは女性に比べて対象が揺らいでいる傾向があるように思います。
 生殖になんら関係がない、下着やハイヒール、あるいは女子高生や看護師などの制服に興味を示したり。
 ひどい場合には惨殺することでしかエクスタシーを感じられなかったり。
 まことに迷惑な話です。
 しかも性犯罪の多くは、再犯に至ります。
 
 それは当然だろうなと思います。
 
 例えば私は、20代半ばの健康なおねえさんが好き、というこの世で最も生き易い性的嗜好を持っていますが、一度そういうおねえさんと性交したからそれで一生満足というわけにはいきません。
 必ず、またしたくなります。
 年齢とともにその欲求は低下しますが、なかなか完全になくなるということはないでしょう。
 
 それと同様、幼女や少女を好む男は何度でもそういう対象を相手にいたずらしたくなるでしょうし、下着好きは千枚盗んでも満足しないでしょう。
 飯だって、腹いっぱい食っても半日もすればまた腹が減るし、十分寝ても一日働けばまた眠くなります。
 性欲もまた、同様でしょう。

 そうかと言って性犯罪者をのさばらせるわけにもいかないし、下着泥棒や覗きなどで一生刑務所で暮らせ、というわけにもいきますまい。
 性依存症であれば治療することも可能なのかもしれませんが、性犯罪と性依存症の因果関係が定かではありません。
 単なる性的嗜好の問題なのか、治療を要する依存症なのかなんて、専門医でも判別困難なのではないでしょうか。 
 タイガー・ウッズが性依存症の治療を受けたことでこの病名も少しは認知されるようになりました。
 17人の女性から55人の子をもうけたオットセイ将軍こと徳川家斉なども、現代に生きていれば病人でしょう。

 結局、罪の償いを済ませた元受刑者の人権を考えると、私としてはすごく嫌ではありますが、米国のメ―ガン法(性犯罪者の個人情報をインターネット等で広く開示し、再犯を防止する法律。出所や転居の際、地元住民にその事実が周知される。法律の名前は小児愛者の男に強姦・殺害された7歳のメーガンちゃんからとったもの)みたいなものが最も有効なのかもしれません。

性犯罪者から子どもを守る―メーガン法の可能性 (中公新書)
松井 茂記
中央公論新社
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憲法36条

2010年10月21日 | 社会・政治
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

 日本国憲法第36条です。
 絶対に、という文言がある法律はこれだけです。
 
 判例では、死刑はこれに該当せず、合法と見なされ、今日まで多くの殺人犯が処刑されてきました。
 しかし宅間守は確定後約1年で処刑されたのに対し、連合赤軍の永田洋子や坂口弘は、事件から約38年、死刑確定から約17年を経てもなお、処刑されていません。
 永田洋子は脳腫瘍で寝たきりだそうですから、死刑執行は不可能で、事実上、終身刑でしょう。
 共犯の坂東國男が国外逃亡中で裁判が終わっていないから、とする説がありますが、いずれにしろ、司法の決定を行政は恣意的に運用しているとしか思えません。
 行政のさじ加減で刑罰が履行されないのは問題です。
 法務大臣は原則として死刑確定から六カ月以内に死刑執行を命令しなければならない、と刑事訴訟法に規定されています。

 さて、憲法36条に戻ります。
 死刑は残虐な刑罰でしょうか。
 多分時代と場所によって、残虐の定義は異なりましょう。
 現在の日本では、残虐ではないことになっていますが、私は明らかに残虐な刑罰だと思います。
 殺人事件の抑止になるとか遺族感情とかを勘案してもなお、お前を殺す、と宣言していつ殺されるか分からないまま何年も拘置するということが残虐ではない、とは、私にはとても思えません。
 では、現在日本に存在しない終身刑はどうでしょうか。
 恩赦も刑の軽減による釈放も絶対にあり得ない、死ぬまで刑務所に入っていろ、という刑罰。
 死刑制度廃止の代替手段として、終身刑の導入を進める動きがありますね。
 私はこれも、残虐な刑罰なのではないか、と疑問に思います。
 明日への希望が全くない緩慢な安楽死とでもいうべき刑罰。
 もしかしたら死刑以上に残虐かもしれません。

 私は、単純に死刑制度を廃止し、最低十年で釈放される可能性のある現在の無期懲役を最高刑とする刑事罰体系で良いのではないかと思います。
 最低十年といっても、実際には無期懲役をくらって十年で出てくる、というのはあり得ないようですし、結果的に終身刑になることもあり得るわけです。

 死刑の存廃については、廃止論も存置論も、議論は出尽くしている感があります。
 そして日本人の約80%が消極的ながら死刑制度維持に賛成しています。
 こうなるとほとんど好き嫌いの感情論みたいなもので、議論は平行線をたどります。
 ヨーロッパ諸国をはじめとする先進諸国が廃止しているから外交上の配慮でとか、冤罪の可能性とか、国家による殺人だとか、応報刑ではなく目的刑にすべきとか、死刑廃止論者がいつも掲げるややこしいお題目は言いません。
 死刑制度賛成論者がそれに対してどういう反論をするかもよく分かっています。

 私は自国の政府機関が、よってたかって縄を打ち、泣こうが叫ぼうが無理矢理首をくくってしまう制度が理屈抜きにいやなのです。
 そいつがどんなに凶悪な殺人犯でも、国の行政機関が正義面して殺すことがいやなのです。
 もっと静かに、理をもって、反省を促してほしいのです。
 そして本当に更生したのなら釈放すればいいし、そうでなければ死ぬまで閉じ込めておける現行の無期懲役が最高刑でよいと思うのです。
 
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神々の国

2010年10月20日 | 思想・学問

 昔、森元総理大臣が在任中、「日本は神の国」と発言して大問題になりましたね。
 多分先の大戦末期、神風と称して自爆攻撃を行ったり、神国日本は負けるはずがない、と宣伝したため、「神の国」という言い方に拒絶反応を示すようになったのだと思います。
 
  「古事記」「日本書紀」には、イザナギ・イザナミによって日本列島が形成され、その日本を支配していた大国主命が天照大神に国譲りをして、日本は天つ神の子孫である天皇が支配する国になった、と語られています。
 天照大神をはじめとして、八百万の神々がこの国におはしまし、日本人は神々を崇敬しているから「日本は神の国」である、という言い分に、何の不思議もありません。
 フィンランドを森と湖の国といったり、タイを微笑みの国といったり、ハワイを地上の楽園といったりするのと同じようなものです。

 また、明治維新後、日本は世界の諸先輩方の真似をして帝国主義国家としてのし上がりましたが、その時に日本の支配下に置かれた人々と自国民を差別化する意味も「神国」に込めたため、神の国、という言いようは戦後禁忌となったと思われます。

 しかし平安時代には、「神の国」というのは自己卑下する意味もある言葉でした。
 「今昔物語集」などの仏教説話にそういった言説が見られます。
 つまり仏法が行き届かず、土着の神々を崇拝している野蛮な国で、仏法による教化が必要だ、という意味です。

 日本の神々は、キリスト教やイスラム教などの一神教の神とはまったく異なる概念だということは、日本人なら知らぬ者はいないでしょう。
 日本の神々は飲んだり踊ったり、恋したり闘ったりが大好きなご性分。
 ギリシャ神話やケルト神話などに出てくる、ほぼ人間と同じような性質を持った神々と同種のもので、原始的な自然崇拝という側面を色濃く残しています。
 仏教でいう経典やキリスト教でいう聖書、イスラム教のコーランに対応するような聖典がなく、これと言って教義らしいものすらありません。
 神主が唱える祝詞は、神主の作文だということはあまり知られていませんね。
 約束事はありますが、祭祀を行う前にその意義を説明するもので、言ってみれば宴会で部長だか社長だかが挨拶するのと変わりません。
 伊勢の皇學館大学や渋谷の國學院大學の神道科では、祝詞作文の講義と演習が行われています。

  大きな山や、大木、波間に浮かぶ巨岩、白馬、なんにでも注連縄を張って神様にして拝むのが古来からのわがくにびとの習いです。
 そんな風に神々は日本人にとって身近なもの。

 森元総理がどういう意図で発言したのかは不明ですが、日本が神の国だなんて、当たり前すぎてわざわざ口に出すほどのことではありません。

 ただ、、という言葉はどうしても一神教のGODやらアッラーやらを思い浮かべてしまい、現代人の言語感覚にうまくなじまないかもしれませんね。
 それなら、神々の国、という言い方では如何でしょうか。
 
 

古事記 (岩波文庫)
倉野 憲司
岩波書店
日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)
宇治谷 孟
講談社
日本書紀(下)全現代語訳 (講談社学術文庫)
宇治谷 孟
講談社
今昔物語集 全4冊セット (岩波文庫)
池上 洵一
岩波書店


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平城京遷都と畳

2010年10月20日 | 思想・学問

 近頃平城京遷都1300年とやらで、奈良のあたりがかまびすしいですね。
 気持ちが悪い、と悪評さんざんだったせんと君も、インパクトがあって良い、と高評価。
 たしかに一度見たら忘れられない面構えではあります。

 先日、大仏造営の頃を舞台にしたドラマを観ました。
 吉岡秀隆が吉備真備役をやっていて、およそ古代の大政治家には見えない大根ぶりを発揮していました。明らかなミスキャストですね。
 そのドラマを見ていて思ったのですが、床が石なのですね。
 そして家の中でも木靴を履いています。
 衣装もまるっきり中国風です。
 わが国が大陸から受けた影響の大きさを感じさせられます。

 また一方、遣唐使の廃止が契機になったと言われる国風文化の発展が、どれほど大きな意味があったかを思い知らされます。
 赤くない文化大革命だったのではないでしょうか。

 「源氏物語絵巻」には、板張りに畳が数枚敷いてある絵が散見されます。
 古くは畳は敷布団だったとか。
 冬は寒くてしかたありますまい。
 「源氏物語」でも、むやみにそこいらにごろんと横になって寝ています。
 立って半畳寝て一畳と言いますから、畳が寝具だったことがうかがえます。

 鎌倉時代以降、今日見られるような、部屋中に畳を敷き詰める風習が見られるようになったようです。
 いわば寝具からカーペットになったのですね。
 
 江戸の長屋は畳敷きのイメージですが、当時は店子が畳を持ちこんだとか。
 カーペットだと思えば頷けます。
 だからムシロを持ちこんでも、板張りのまま、今風に言うとフローリングでも良かったわけです。

 我が家はいわゆる4LDKのマンションですが、畳の部屋は6畳が一室あるだけです。
 その6畳間を応接間として正しく使ったのは、購入してちょうど10年目ですが、わずかに3回だけです。
 そんなに客が来るわけもないので、今では洗濯物の部屋干しに使っています。
 
 しかしそれでも、夏場の風呂上りなど、畳の感触が恋しくて、半裸でその部屋に横になったりします。
 その時、日本の長い歴史が作り上げ、今も継続して使用されているこの畳に、直に肌を接しているのだな、と、しばしうっとりするのです。
 他の国に例を見ない畳が、わが国においても減少しているのは寂しいかぎりです。
 そのうち着物みたいに、日常空間では使用しない、特別な儀礼や祭祀でのみ使う古い遺物になってしまうかもしれません。

 まずは率先して、10年そのままの畳を張り替えて、畳の繁栄に貢献してみましょうか。

畳のはなし (物語ものの建築史)
佐藤 理
鹿島出版会

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30デイズ・ナイト

2010年10月20日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 昨夜、「30デイズ・ナイト」を観ました。
 これは映画館で観ようと思っていたのですが、見逃してしまい、今回DVDで観た次第です。

 アラスカ州最北の村。ここは冬になると極夜と呼ばれる、30日間太陽が昇らない長い夜が訪れます。
 村の住人はわずかに百数十名。
 吹雪によって、閉じ込められます。
 そんな中、突然の停電。電話もつながりません。そして悲鳴。
 太陽を嫌うヴァンパイア一族が、30日間の狩り場を求めてやってきたのです。
 あらかじめ電話や電力を切断して、村を陸の孤島に変えて。
 圧倒的な体力差、そして残酷な吸血。
 村人は、屋根裏などに隠れ、生き延びようとしますが、一人、また一人と餌食になっていきます。
 そして明日、夜が明ける、と言う日、追い詰められた保安官は絶望的な決断をし、家族を救おうとします。

 ちょっと古いですが「ノスフェラトゥ」という貴族の吸血鬼を上品に描いた映画を思い起こさせます。これはもはや吸血鬼映画の古典にして最高峰です。怖くて、美的で、悲劇的です。

 「30デイズ・ナイト」に登場するヴァンパイアの親分は中世の貴族のような装いですが、やっていることに品がなく、「ノスフェラトゥ」のような耽美的な映像を好まれる方にはお勧めできません。
 
 極寒の地で、外部との連絡が取れずに閉じ込められ、ヴァンパイアの恐怖に怯える。舞台装置としてはこれ以上ないほど完璧です。
 映画としての完成度はもう一つですが、今までにない斬新な吸血鬼映画という意味では、高く評価されて然るべきでしょう。

30デイズ・ナイト プレミアム・エディション [DVD]
ジョシュ・ハートネット,メリッサ・ジョージ,ダニー・ヒューストン,マーク・ブーン・Jr.,ベン・フォスター
ポニーキャニオン
ノスフェラトゥ [DVD]
ヴェルナー・ヘルツォーク
東北新社

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共同参画

2010年10月19日 | 社会・政治
 近頃では婚活という言葉を耳にしない日はありません。
 結婚紹介会社だけではなく、野球の席をペアで売り出せば婚活シート。結婚詐欺は婚活詐欺。お相手探しの活動をブログにすれば婚活ブログ。
 誠におめでたい社会です。

 一方、30になっても40になっても結婚しない未婚率は、依然として高水準です。35歳の男性未婚率は35%を超え、女性でも25%。
 少子化はますます進んで、最も重要な社会資源である人間が減ってきています。
 事態はすでに、憂慮すべき段階に達しています。

 婚活という言葉の生みの親である山田昌弘中央大学教授の最新刊、「『婚活』現象の社会学」によれば、結婚したい人の比率は変わっておらず、理想の相手がいれば明日にでも結婚したい、という人はかなり多いそうです。
 
 ではどうして結婚しないのか。
 
 理由は簡単。理想の相手がいないからです。
 
 女性から見た理想の相手は、専業主婦になっても安心して暮らせるだけの収入がある男性。
 しかしバブル崩壊後20年、日本は沈みっぱなしで、それだけの収入がある男性が激減しています。
 そして山田教授がインタビューする未婚女性は決まって、「出会いがない」「いい相手がいない」「いい人だと思ったら、結婚していた」と嘆くそうです。 
 ある結婚相談所の職員によると、女性の母親が口出しする例が多く、「宮様連れてきても断るわよ、きっと」なんて陰口をたたくこともあるとか。
 
 一方男性は自分の収入では妻子を養っていけない、と悲観し、「高収入を稼げるようになったら結婚する」とか、「低収入の自分を好きになってくれる人が現れたら結婚する」と言い訳するそうです。

 婚活の多くが、失望しか生まない、というのは皮肉な現実です。
 元々無理な高望みをしているのですから当然ですが、世の中には高給取りの男は数%しかいないし、低収入の男と結婚しようと思う女は滅多にいないのです。
 しかし婚活の最大の意味は、失望にあるのかもしれません。
 厳しい現実を知り、高望みをやめるきっかけにはなるでしょう。
 待っていても白馬の王子様は現れず、普通の男さえ現れない。
 どんなに頑張ってもたいして給料は上がらず、低収入でもいいからあなたと結婚するわ、なんて女は現れない。
 いつまでも、高収入で気も合い、外見も良い相手を求めて独身を続けるか、適当な相手とくっつくか。
 昔のお見合い結婚は、条件がそこそこ合えば、嫌いではない程度で結婚していたので、ほとんどの人が家庭を持ったのでしょう。

 私は収入のミスマッチをクリアするには、共働き、共家事しかない、と考えます。
 もはや男が稼いで女が家事育児、という時代は、日本では終焉を迎えつつあるでしょう。
 男も女も稼いで、女も男も家事育児に従事する。
 男は女を差別せず、女は男に頼らない。
 二人で稼げば、高給取りの男一人分くらい稼げます。
 稼ぐ能力は、個人差はありますが、性差はないものと考えます。家事育児も同様。
 男は男らしく、女は女らしく、という呪縛からいい加減逃れましょう。
 その人らしく、で良いのです。
 
 それには男女とも、性別による社会的な役割分担はもはや存在しないことを肝に銘じることが大切です。
 そして日本社会全体が、男も女も収入を得、家庭を守り、地域の事業に参加するのが当然だと、意識改革する必要があります。
 そういう社会になれば、婚姻という制度自体が溶けていき、自己の選択としての生涯独身も事実婚も許容され、人間本能の結果として、婚外子を含めて人口減に歯止めがかかるのではないでしょうか。
 内閣府男女共同参画局には、気合をいれて奮励努力願いたいものです。
 
「婚活」現象の社会学 日本の配偶者選択のいま
山田 昌弘
東洋経済新報社
「婚活」時代 (ディスカヴァー携書)
山田 昌弘,白河 桃子
ディスカヴァー・トゥエンティワン
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常識と「ゆきゆきて、神軍」

2010年10月19日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 中国の反日デモがますます盛んになっているようです。
 困った事態です。

 日本では、特定の国を非難するために略奪や破壊活動をするなんてことは、常識外れの誹りを免れません。
 しかし一方、日本の常識は世界の非常識、とよく言われます。
 これは多分、世界の、ではなく、米英の、なんだろうと思います。
 米英に敗れて現在の国の形ができたので、米英追随が習い性になったわが国で、国防面だけは両国と常識が異なっている、ということでしょう。
 常識ということを言えば、場所、時代で異なるのは当然です。
 イスラム原理主義の人々の常識と我々日本人の常識はまるで異なっているでしょう。
 また、戦国時代の日本人と現代を生きる我々とでは、常識は全く違っています。
 当然、今の中国と日本の常識もまた、相容れることができません。
 唯一とれる手段は、分からないけど相手の言い分をとりあえず聞くこと。そしてこちらの言い分を言うこと。両者は理解しあえなくてもいいから、落としどころを探ることでしょう。

 奥崎謙という人をご存知でしょうか。
 「ゆきゆきて、神軍」というドキュメンタリー映画で有名な元日本兵です。
 金銭トラブルから傷害致死事件を起こしたり、天皇陛下にパチンコを打ったり、猥褻図画をばらまいたり、何かとお騒がせな人物です。
 しかし最も有名なのは、映画で描かれた、日本軍の暴行を暴くため、かつての上官を訪ねて、時には脅したり、殴りつけたりして、飢餓ゆえの人肉食や、違法な部下殺害を白状させた事件でしょう。
 応対に出た元上官の長男に発砲し、刑務所に収監されています。
 出所して、五年ほど前に亡くなっていますが「ゆきゆきて、神軍」の強烈さは、ますます輝いています。

 彼は自らを神の兵と呼び、天皇の兵であった犯罪者たちを裁こうとします。
 その目は異常な正義感に燃え、行動は狂気を帯びています。
 彼の常識は、現在の日本人とは相容れません。
 もちろん、戦前の日本のそれとも、相容れなかったことでしょう。
 しかし彼は、おのれこそ正義と信じ、他の人々の常識を受け入れようとしません。

 高校での銃乱射事件を取材した「ボウリング・フォー・コロンバイン」や、ブッシュ前大統領をコケにしてカンヌでパルムドールを受賞した「華氏911」等で有名なドキュメンタリーの第一人者、マイケル・ムーア監督は「ゆきゆきて、神軍」をこれまで観たなかで最高の作品と讃えています。

 重臣がみな狂気に陥ったとき、正気の殿様が狂人にされそうになり、殿様は気が狂う薬を飲んで狂気となり、殿様と重臣は仲良く暮らした、というお話しを子どもの頃に聞きました。
 常識も正気も、狂気や盲信と紙一重。
 おのれ一人の小さな常識に捉われることなく、常に自分が非常識なのではないかと疑いつつ、しかし常識人を装って生きていく他ありますまい。

ゆきゆきて、神軍 [DVD]
奥崎謙三
GENEON ENTERTAINMENT,INC(PLC)(D)
華氏 911 コレクターズ・エディション [DVD]
マイケル・ムーア
ジェネオン エンタテインメント
ボウリング・フォー・コロンバイン マイケル・ムーア アポなしBOX [DVD]
マイケル・ムーア
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ブラインドネス

2010年10月18日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 DVDで「ブラインドネス」を観ました。
 驚異の感染力で人々を失明に追いやる新種のウィルス。 
 ストーリーはある日本人男性が突然目の前が真っ白になり、車が立ち往生する場面から始まります。
 彼を診察した眼科医も目の前が真っ白になります。
 普通失明というと暗くなるイメージですが、まばゆい白に包まれる、というのが啓示的です。
 その後感染者は爆発的に増加。
 軍によって閉鎖された精神病院に送り込まれ、封鎖されます。
 逃げようとすれば射殺。
 感染していない者は隔離施設に入れないため、奇妙な自治が成立します。
 銃を持っていた男が独裁者を名乗り、配給された食料を仲間と一人占めにしたり。
 食料が欲しければ股を開け、と女たちを犯したり。
 その中に、一人だけ、見える者がいます。
 感染を偽って夫に着いてきた眼科医の妻です。
 この女、最初は優しいだけの女かと思いきや、独裁者を殺害したり、脱走の先頭に立ったり。
 大活躍です。

 パニック・ホラーとして観ると、抑えた演出が物足りないですが、極限状況に追い詰められた人間の姿を描いた文芸作品として観ると、なかなか面白いと思います。

ブラインドネス スペシャル・エディション(初回限定生産2枚組) [DVD]
ジュリアン・ムーア,マーク・ラファロ,アリス・ブラガ,伊勢谷友介,木村佳乃
角川エンタテインメント
ブラインドネス [DVD]
ジョゼ・サラマーゴ,ドン・マッケラー
角川映画

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中国の反日デモ

2010年10月18日 | 社会・政治
 先ごろ中国で大規模な反日デモが起こり、日本製の商品を扱う店や、日本製の車が略奪・破壊されたとか。
 奇妙ですねぇ。
 中国は天安門事件をみるまでもなく、民衆の集団的示威活動には力をもって鎮圧するお国がら。
 ことが反日だと鎮圧しないんですねぇ。
 一種の官製デモなのか、中国当局が手心を加えたのか、いずれにしろ反日教育を行ったのは政府自身ですから、鎮圧したら矛盾ではあります。
 デモというのはむなしいかぎりだと思います。
 それが革命にまで高められた場合、目標は達せられたといえるのでしょうが、単に法律違反の示威行為に参加して、お縄になったのでは、参加した本人だけが馬鹿を見た、ということになります。
 もっぱらある外国を非難するデモというのは最も馬鹿げたものです。
 デモなんかしたって、相手の国が言うことを聞くわけもないし、ただの自己満足です。
 中国はもはや超大国なのですから、小日本のことなんか、鼻にもひっかけなければ良いのです。


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