インドの人口は年齢に対して理想的なピラミッド型をしており、人口の半数以上が24歳以下の若年層だそうです。
少子高齢化が進む日本とは正反対ですね。
しかも中国は長いこと一人っ子政策をとってきたため、20年後くらいにはインドの人口は中国を抜くとか。
また現在、携帯電話の普及率が5%、自動車の普及率が1%と言いますから、これらを購入する経済力を一般庶民が持ったら、巨大な市場を生みます。中国と比べて政治体制が民主的なことも経済交流の上で有利ですね。
今、中国が何かと注目されていますが、政治は一党独裁、経済はほぼ資本主義のような体制は、いずれ大混乱を巻き起こし、中国は困難な立場に立つことになるだろうと私は予想しています。
日本人はカレーが大好き。
インドには中国のような反日感情はありません。
むしろインドは中国と領土紛争を起こしたため、反中、親日の傾向が強くあります。
私は学生の頃、インドへ二週間ほど貧乏旅行したことがありますが、中国人と間違われるとひどくにらみつけられますが、自分を指差して「ジャパーニー」と言うと、「オオ、ジャパーニー」と言って満面の笑みで抱きつかんばかりの勢いです。
また、今もカースト制度が色濃く残り、差別はなくなりませんが、不可触民出身の大臣がでるなど、少しずつ改善されてきているやに聞きます。
わずか二週間の旅行でしたが、一泊80円の安宿に泊まってみたり、お寺の宿坊に泊まってみたり、ガンジス川を船でくだってみたり、ハシッシュを勧められたり、奇妙なシルクを売りつけられたり、耳掻き屋(おっさんです)に耳をほじられたり、ヤシの実ジュースを飲んでいたら子供にひったくられたり、イギリス人バックパッカ―のホモのおっさんに言い寄られたり、色々ありました。
そこで感じたのは、インド人は極めて哲学的であることと、所有の観念が薄いことでした。
おれの物はおれの物でもあり、みんなの物でもある、という具合。
つまり、豊かな日本人旅行者の持ち物はその旅行者の物でありながら、おれを含めたみんなの物でもある、と言うことで、やたらと喜捨を求められます。
かわいそうだからと一人の物乞いに小銭をあげようものなら、そこいら中の物乞いに囲まれてしまいます。
あいつに喜捨したんだからおれにも喜捨しろ、そうじゃないと不公平だ、というわけです。
哲学的な物乞いたちです。
タクシーに乗ると、助手席に知らないやつが乗りこんできます。
「Who?」
と問うと、
「No problem」
と応えます。
つまり、お前はこいつが乗っていようがいまいが目的地に行き、金を払うんだろう、こいつは金がないがお前の目的地の近くに行かなければならない、お前は金がある、こいつはない、だから問題ない、というわけです。
これはまことに奇妙なロジックですが、インドのタクシーはこれが当たり前でした。
面白いのは、電車の切符を買うとき。
切符売り場には並びもせずに大勢のインド人が四方八方からどこそこまで何枚、とか叫んでいます。
私はそれを見て絶望的な気持ちになりました。
並ぶのが当たり前の日本人には、修羅場に見えたのです。
しかし私がそろそろ近づくと、インド人たちは私を窓口にすんなり通してくれたのです。
そして私が切符を購入するのを待ち、また四方八方から叫び合いを始めたのです。
外人だからかな、と思ったのですが、後でガイドブックを読んでわかりました。
外人はカースト外ということで、人間ではないそうです。
人間ではない奇妙な生き物だから、優先したのだそうです。
はまる人はとことんはまり、ダメな人はまったく受け付けないインドという国。
今後いやでも、インドとの経済交流を活発化させなければ生き残れない時代が来るでしょう。
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少子高齢化が進む日本とは正反対ですね。
しかも中国は長いこと一人っ子政策をとってきたため、20年後くらいにはインドの人口は中国を抜くとか。
また現在、携帯電話の普及率が5%、自動車の普及率が1%と言いますから、これらを購入する経済力を一般庶民が持ったら、巨大な市場を生みます。中国と比べて政治体制が民主的なことも経済交流の上で有利ですね。
今、中国が何かと注目されていますが、政治は一党独裁、経済はほぼ資本主義のような体制は、いずれ大混乱を巻き起こし、中国は困難な立場に立つことになるだろうと私は予想しています。
日本人はカレーが大好き。
インドには中国のような反日感情はありません。
むしろインドは中国と領土紛争を起こしたため、反中、親日の傾向が強くあります。
私は学生の頃、インドへ二週間ほど貧乏旅行したことがありますが、中国人と間違われるとひどくにらみつけられますが、自分を指差して「ジャパーニー」と言うと、「オオ、ジャパーニー」と言って満面の笑みで抱きつかんばかりの勢いです。
また、今もカースト制度が色濃く残り、差別はなくなりませんが、不可触民出身の大臣がでるなど、少しずつ改善されてきているやに聞きます。
わずか二週間の旅行でしたが、一泊80円の安宿に泊まってみたり、お寺の宿坊に泊まってみたり、ガンジス川を船でくだってみたり、ハシッシュを勧められたり、奇妙なシルクを売りつけられたり、耳掻き屋(おっさんです)に耳をほじられたり、ヤシの実ジュースを飲んでいたら子供にひったくられたり、イギリス人バックパッカ―のホモのおっさんに言い寄られたり、色々ありました。
そこで感じたのは、インド人は極めて哲学的であることと、所有の観念が薄いことでした。
おれの物はおれの物でもあり、みんなの物でもある、という具合。
つまり、豊かな日本人旅行者の持ち物はその旅行者の物でありながら、おれを含めたみんなの物でもある、と言うことで、やたらと喜捨を求められます。
かわいそうだからと一人の物乞いに小銭をあげようものなら、そこいら中の物乞いに囲まれてしまいます。
あいつに喜捨したんだからおれにも喜捨しろ、そうじゃないと不公平だ、というわけです。
哲学的な物乞いたちです。
タクシーに乗ると、助手席に知らないやつが乗りこんできます。
「Who?」
と問うと、
「No problem」
と応えます。
つまり、お前はこいつが乗っていようがいまいが目的地に行き、金を払うんだろう、こいつは金がないがお前の目的地の近くに行かなければならない、お前は金がある、こいつはない、だから問題ない、というわけです。
これはまことに奇妙なロジックですが、インドのタクシーはこれが当たり前でした。
面白いのは、電車の切符を買うとき。
切符売り場には並びもせずに大勢のインド人が四方八方からどこそこまで何枚、とか叫んでいます。
私はそれを見て絶望的な気持ちになりました。
並ぶのが当たり前の日本人には、修羅場に見えたのです。
しかし私がそろそろ近づくと、インド人たちは私を窓口にすんなり通してくれたのです。
そして私が切符を購入するのを待ち、また四方八方から叫び合いを始めたのです。
外人だからかな、と思ったのですが、後でガイドブックを読んでわかりました。
外人はカースト外ということで、人間ではないそうです。
人間ではない奇妙な生き物だから、優先したのだそうです。
はまる人はとことんはまり、ダメな人はまったく受け付けないインドという国。
今後いやでも、インドとの経済交流を活発化させなければ生き残れない時代が来るでしょう。
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