ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

金曜日

2011年03月04日 | 仕事

 5日間の出勤を無事終えて、金曜日の夕方。
 毎週思いますが、長かったですねぇ。
 
 某機関に勤務していた時、トラブル続きで土日も含め21日間連続で出勤したことがあります。
 しかも帰宅は連日深夜。
 あの時は発病前で元気だったせいか、疲れたというより、高揚した感じで毎日が過ぎて行きました。

 今は毎日定時で帰っていますが、一週間が永遠にも感じられます。
 何年働いても仕事に慣れるということはないですねぇ。
 それはそうだと思います。
 何度ぶつけても脛をぶつければ痛いし、歯が痛いのだって何度繰り返しても慣れるということはないでしょう。
 働くということは無理をするということで、無理をすればダメージを受けるのは当たり前。
 これは障害者、健常者関係なくそうでしょう。

 障害者といえば、知的障害のある青年が5歳の女の子を殺害した千葉県東金市の事件、懲役15年の有罪判決が出ましたね。
 弁護側は事実については争わず、青年には知的障害のため訴訟能力がなく、刑事罰を科すことはできない、と主張しました。
 心神喪失による無罪ではなく、裁判自体が成り立たない、というわけです。
 素人目に見てもこの戦略、無理があるように思います。
 せいぜい心神耗弱による減刑くらいがいいところじゃないでしょうか。
 女児の死体を隠そうとしたり、善悪の判断はできたようですし、裁判でもたどたどしくはあっても、受け答えはできていたようです。
 遺族感情というのもありますしね。
 ただ裁判を傍聴した母親は、犯人の様子を見て、死刑を望んでいたのが無期懲役でよい、と思うようになったそうですから、知的障害は軽度とはいっても、はっきり分かるぐらいだったのでしょう。

 フランス留学中にオランダ人女子大生を殺して食っちゃった佐川一政は無罪放免となり、今はマスコミで活躍しています。
 フランスの裁判所が下した判決ですからもうどうしようもないですが、無罪になるほど重い心神喪失だったのだとしたら、小説を書いたり、マスコミで遊んだりできないと思うんですがねぇ。
 佐川一政が事件の顛末を書いた「霧の中」という小説はリアルに食人の様子が描かれていて気持ち悪い作品でした。

 知的障害にしろ、精神障害にしろ、障害者の犯罪を裁くのは難しいものです。
 精神科医でも意見が分かれる場合がありますし。
 専門家でも意見が分かれるものを、裁判員はどう結論づけたらよいのでしょう。

霧の中
佐川 一政
彩流社
霧の中の真実
佐川 一政
鹿砦社

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしいすごいとても良い良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある種のパワハラ

2011年03月04日 | 社会・政治

 日経ビジネスオンラインで、ある種のパワハラという記事を読みました。

 要するに、本来そんなつもりで言ったんじゃないのに、部下が過剰反応して、パワハラと言えば言えなくもない、という状況になってしまった、ということのようです。
 そしてそれは最近増えていて、若い部下のコミュニケーション能力が低いために、上司の意図をくみ取るとることができないために起きる現象で、メールやSNSなど、相手の表情や口調を斟酌せずにコミュニケーションを取るツールが発達したせいだ、というのです。

 意識が低いですねぇ。

 仮にそうだとしても、現代社会に生きていればいやでもメールやSNSを使わざるを得ず、それが昔懐かしい人情味あふれるコミュニケーションを喪失させた、とでも言いたいのでしょうか。
 そんなことを言い出せば、電話が発明された当時、手紙と違って人情味がないと感じたでしょうし、電車や車が普及したとき、人は歩く速さで旅をするものだ、と嘆いたでしょうし、旅客機が登場したときは船旅の優雅さを懐かしんだことでしょう。
 
 物事を道具のせいにしてはいけません。

 上司の気持ちをくみ取ることができない部下の問題ではなく、部下が傷つくかもしれない、という想像さえできない上司が100%悪いのです。

 人の気持ちは時々刻々と微妙に変化するもの。
 生身の人間を相手にする以上、それが部下であっても最大限尊重するのがまっとうな人間というものです。

 セクシャル・ハラスメントでもアカデミック・ハラスメントでもパワー・ハラスメントでも、加害者の側は何の気なく、犯罪行為を犯すものです。
 親愛の情からだった、とか、期待していたからだった、とか、叱咤激励の意図だった、とか。
 それはおそらく加害者の偽らざる気持ちなんでしょう。
 しかしハラスメントというのは、被害者がどう感じたか、だけで決まるものです。
 加害者の言い訳をいちいち真に受けていたら、この世の中にハラスメントなんて存在しなくなるでしょう。

 私の職場では私の訴えにより、ハラスメント防止委員会というのとハラスメント相談員というのが置かれました。
 しかし、誰が委員で誰が相談員なのか、一向に周知しようとしないのですよ。
 この期に及んで何で隠すんでしょうねぇ。
 誰に相談してよいかわからなくて悩んでいる社員がいるかもしれないというのに。

 
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110301/218680/ ⇒日経ビジネスオンラインです。  

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精神健康法

2011年03月04日 | 精神障害

 欧米の映画では、よく精神分析や催眠療法を行っている場面が登場します。
 
 私は過去、4人の精神科医の診察を受けています。
 最初の主治医は、なんでも患者の希望どおり、という感じで、頼りなくて止めました。
 次の主治医は、時間をかけてじっくり話を聞いてくれ、アドヴァイスや、時には患者の意に反することもはっきり言ってくれるので、信頼して今も診察を受け続けています。
 一人は病名が適応障害から双極性障害に変わったとき、念のためセカンド・オピニオンを聞きに行った医者で、いかにも迷惑そうでした。
 それと、職場の産業医。この人は患者向けの本に書いてある通りのことを言う先生で、真面目なのはわかりましたが、融通が利かない感じでした。 

 いずれの精神科医も、基本は薬物療法で、話を聞くのはカウンセリングというより薬の調整のためだったように思います。
 たしかに合う薬と合わない薬があるので、試行錯誤しながら合う薬を見つけていくというのは大事なことです。
 今の主治医にかかって3年以上になりますが、最初の一年は頻繁に薬を変えました。
 しかし、これが合う組み合わせだ、ということが分かったので、ここ二年は量の増減はあるものの、種類の変更はありません。
 おかげで、復職から11カ月目にはいりましたが、体調はまずまずです。

 日本には精神分析や催眠療法をやる精神科医はいないんでしょうかねぇ。
 精神分析協会のHPを見ると、精神分析家というのはごくわずかしかいないことがわかります。

 一方催眠療法で検索すると、かなりの数がヒットしますが、前世がどうちゃら、自己催眠がどうちゃら、なんだか怪しい感じがします。

 時々刻々と微妙に変化していく人間心理。
 それをある技法で治そうというのは無理があります。
 それよりも、セロトニンの異常ならそれを正常にする薬を飲めばよいし、不安なら抗不安薬を飲むのが手っ取り早いでしょう。

 日本独自の治療法に森田療法というのがあって、これは基本的に薬を使わない治療法ですが、完全に時代遅れになってしまいました。
 私も一時期「森田式精神健康法」という本を読んで、これを実践しようとしたことがあります。でも効きませんでした。

 今なお古典的森田療法で治癒を目指している方、早く薬物治療に移ったほうが良いですよ。

 精神病は脳の機能障害。
 気合や根性で治るものではありません。

森田式精神健康法―この名著が「自分のこころ」を強くする (知的生きかた文庫)
長谷川 洋三
三笠書房

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしいすごいとても良い良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする