ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

通訳

2011年03月29日 | 思想・学問

 明治初期の英語通訳というと、なんとなく西洋かぶれしたイメージがありますね。

 しかし、ある日本人の青年通訳は、英語を習得しながらもキリスト教をはじめとする西洋文化に馴染もうとせず、英国婦人を相手に「東洋思想に比べれば西洋思想など2,3日前に生まれた赤子のようなものだ」と傲慢に言い放ちます。

 その通訳は明治初期に東京を出発して北海道まで旅したイザベラ・バードの従者でした。
 イザベラ・バードは従者の非礼を責めましたが、従者は「今後気を付けます。しかし私は牧師の礼儀作法を真似したにすぎません」と言って恥じなかったと言います。

 下関事件の講和会議時の高杉晋作は、英国公使パークスの通訳、アーネスト・サトウから「魔王の如く傲然として見えた」と評されています。
 負けた側なのに。

 明治初期の日本人は傲慢なほどに堂々としていたんですねぇ。
 江戸末期の侍の写真なんか、判で押したように険しい顔をしています。

 一方、明治10年に両国花火大会に屋形船で繰り出した大森貝塚発見者のモースは、西洋だったら怒声が飛び交うような混雑のなか、「アリガトウ」「ゴメンナサイ」しか聞こえず、みな笑顔だったことに驚き、日本人が西洋人を南蛮人といって見下すのも理解できる、と記しています。
 これなんかは、今回の震災での被災者の冷静な態度に通じていますね。

 イザベラ・バードは北海道に渡り、アイヌの集落にしばらく留まります。
 ここで面白いのは、イザベラ・バードが、アイヌ人の毛深くて彫りの深い容姿や、靴のまま家に上がること、ベッドがあることなどから、アイヌ人は日本人よりもヨーロッパ人に近い、と記し、それに比べてこの日本の青年通訳の何と醜いこと、とまで記していることです。
 通訳は逆にアイヌを犬畜生と同じ獣と言い放ち、敬意をもって接するバードが理解できない風です。

 欧州の白人・日本人・アイヌ人が、それぞれ複雑な感情を持ち、差別感であったり敬意であったりを抱いていることは、今なお人種差別が残る国際社会において、興味深い事実です。

 しかしバードは、アイヌ人は滅びゆくだろうと実感したそうです。
 それはキリスト教の教えを持たないがゆえに滅びて行ったヨーロッパ辺境の諸民族と同じ理由からだと述べています。

 バードはキリスト教の教えを持たないわが国がなぜ急ピッチで文明開化を推進し得ているのか、最期まで分からなかったようです。
 そして従者=奴隷であるはずの通訳が、なぜ主人である自分と対等な態度を見せるのかも。

 伊藤、とだけ名が残っているこの通訳、その後どんな人生を送ったかは知れませんが、きっと終生誇り高く、傲慢であったのでしょう。
 カッコ良いですねぇ。

 それほどまでにキリスト教は欧米人の頭に染み付いているのですねぇ。
 私たち北東アジア人でいえば、無常観みたいなものですかねぇ。

イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
時岡 敬子
講談社
イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872)
時岡 敬子
講談社
モースの見た日本―セイラム・ピーポディー博物館蔵モース・コレクション/日本民具編
小西 四郎,田辺 悟
小学館

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利害

2011年03月29日 | 社会・政治

 ここ数日ロシアと中国が領空侵犯すれすれのことをやって、民主党政権が震災への支援をもらっていることに配慮したのか、抗議していないことを問題視する論調がみられます。

 いやですねぇ。
 まるで私たちの社会は毎分毎秒が利害の対立とその調整で成り立っているかのごとくです。

 しかし私個人のことを考えれば、私以外の他人はすべて私に危害を加える可能性があり、当然、、私自身が私以外の他人に暴力をふるったり暴言を吐いたりする可能性があります。
 最も信頼がおけるはずの親や子どもであっても、無理心中を図ったり、あるいは家庭内暴力をふるったりしますね。
 すると究極のところ、私以外の人間は誰も信用できないということになります。
 さらに考えると、リストカットなどの自傷行為や自殺など、私が私を傷つける可能性も否定できません。

 他者のみならず、おのれとも、毎分毎秒折り合いをつけていかなければならない、厄介で因果な生き物が人間でしょうか。

  そのせいか、人間は宗教や道徳観念を発達させてきました。
 しかしこれらが実際の危機に役だったことはほとんどありません。
 むしろ価値観の違いのせいで争いの種になったりします。

 今大方の人が正しいと思っていることが100年後には誤ったことになり、200年後にはまた正しくなったりします。
 価値観の裁判は何度でも再審が行われるようです。
 そして裁判のたびに、人々は反省したり、勝利に酔いしれたりします。

  最も愚かなのは、自分は他人を傷つけたりしない、自分は常に正しい、と信じ込んでいる人でしょうねぇ。
 真っ先におのれを疑うべきでしょう。

 この愚行を繰り返さなければならないのが人の宿命である以上、愚行を承知で利害の調整や価値観の問い直しを不断に続ける他ありません。

 面倒くさいですねぇ。

 鴨長明「発心集」にはこれらの面倒を避けるため、出家したり出奔したりする人々が描かれています。

 出家などしても、坊主も所詮は人の子。
 寄り集まって派閥抗争をしてみたり、拗ねたり妬いたり、俗世間と何ら変わるところはありますまい。

 種田山頭火のように乞食となって放浪し、句作に励むような生き方は人間の夢ですが、暖かい飯と布団、それに風呂がなくてはやってられない凡人の身であれば、かなうものではありません。

 私はただ、精神病薬や酒を頼りに、よろよろと綱渡りを続けるしかないんでしょうねぇ。

方丈記 発心集 新潮日本古典集成 第5回
鴨 長明,三木 紀人
新潮社
山頭火句集 (ちくま文庫)
村上 護
筑摩書房

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ROOM33

2011年03月29日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 昨夜、DVDで「ROOM33」を観ました。
 
 ローラースケートの試合会場に向かう途中、道に迷ったらしく、奇妙な廃墟にたどり着いた男女8人。
 ガソリンが無くなりかけて、仕方なくその廃墟で夜明かしすることに。
 しかしどうも奇妙な気配が漂い、残っていた書類から元精神病院であったことが知れます。
 そこへ突如現れる少女。
 そして殺人鬼とも幽霊ともつかない男による両目をえぐるという残忍な方法での殺人。
 サイコ・ホラーなのか心霊ホラーなのか、最後まで観てもよくわかりません。
 わかるのは、少女が精神病患者らしいこと、殺人に関係しているらしいこと。

 雰囲気は良いのですが、なんとも中途半端な作りになっています。
 消化不良な感じです。

ROOM 33-THIRTY THREE- [DVD]
チャド・コリンズ
ビデオメーカー

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