ほんの20年ほど前まで、大人は結婚しているものと決まっていました。
独身を謳歌するのは20代半ば頃までで、30前には家庭を持つというのが当たりまえで、現に私が子どものころ、まわりの大人はみな既婚者でした。
これは民法その他社会制度が家族を単位とした社会を想定して作られ、専業主婦を優遇したり、男はモーレツ社員であることを求められていたからでもありましょう。
それが80年代の終わり頃から、融解してきました。
いかず後家とかハイミスとかチョンガーとかいう差別的な表現は陰をひそめ、代わりに独身貴族とかシングル・ライフという言葉がもてはやされるようになりました。
これはいわば、婚姻の規制緩和というか、親が決めた相手とお見合いで結婚する、という常識が壊れ、誰もが恋愛の末に結婚することを当然視することによって起きた現象であるとも言えます。
また、結婚によって与えられる新たな役割が発生します。
働くお父さんだったり、家事育児を担うお母さんだったり、両親の期待に応えて勉強する子どもだったり。
これは面倒くさいことです。
一人で暮らせば気楽で勝手気まま。
多少寂しくはあるかもしれませんが、この勝手気ままの楽しさに慣れると、結婚なんて面倒くさいことは先延ばしにしようと考えるのは、自然な人情というものです。
非婚化がどんどん進むのかと思いきや、数年前に婚活なる言葉が造られ、これがあっという間に世間に拡がり、世の独身男女が突然結婚を目指して活動を始めました。
結婚なんて流行りでするものではありませんが、時代の風潮というのは怖ろしいものです。
しかし婚活市場では、高収入の男を求める女と、若くて健康な女を求める男との間でミスマッチが生じ、挙句の果てには親同士の婚活パーティーもあるとか。
こうなると、もはや喜劇的な悲劇とでも言うほかありません。
社会全体のことを考えると、独身男女には結婚して子供をもうけ、少子高齢化に歯止めをかけてもらうことは大変重要なのですが、話が男と女のことになると、そう簡単にはいきますまい。
第一、日本国の衰亡を食い止めるために結婚する、なんて人はまずいないでしょう。
まず自分が幸せな結婚生活が送れるかどうか、ということに関心があるのは当然です。
結局のところ、気ままで楽しく、しかし孤独なシングルライフを続けるか、窮屈だけど孤独感は薄れる結婚(事実婚も含め)生活を望んで婚活を行うか、それはそれぞれの価値観としか言いようがありません。
私は気ままで楽しい、だけど孤独なシングルライフのほうが性に合っているように思います。
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