YMT56
昨日あるテレビ番組を見ていたら、ユーチューブに投稿されたおかしな動画を紹介しており、その中でYMT56なる男子大学生ばかりで構成されたグループの踊りがイカシテいました。
要はAKB48の曲を忠実に再現し、音はオリジナルを流して男子学生たちは口パクで激しく踊るのです。
一点の照れも恥じらいもなく激しく踊るその様は、狂気を帯びているようにさえ見えます。
一種神々しいようなきらめきさえ、感じられます。
もちろん、華奢な少女たちで構成されるAKB48とは違い、見るからにむさくるしい男どもですが、AKB48が乗り移ったかの如き笑顔を浮かべ、ミニスカートをふり乱して踊ります。
感動に包まれること必至です。
お馬鹿なおふざけも一心不乱にやると感動を呼ぶんですねぇ。
ちなみに、ほとんどのメンバーが早稲田大学の学生で、少し東京大学が混じっているようです。
将来はエリートとして枢要な地位に就くのであろう学生さんたち。
早稲田らしいですねぇ。
ちなみにYMT56とは、彼らが尊敬する山本五十六元帥からとったそうです。
これは旧制高校生がよくやった、というストームなのでしょうか?
http://ameblo.jp/ymt56/ ⇒ YMT56の公式ブログです。
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旧約聖書に拠れば、アダムとイブは知識の果実を食べてしまったがゆえに、楽園を喪失したことになっています。
これは一人キリスト教の問題に留まらず、広く人類全体の社会を言い表わしているものでしょう。
私たちは荒野に立っているのであり、あるいは立ち続け、あるいは歩き続けなければならないという、失楽園の苦しみを生まれながらにして持っています。
川端康成に「眠れる美女」という佳品があります。
強い睡眠薬で深い眠りに落ちている美少女。
高額の金を払って一夜を共にするのは、老いて不能となった老人。
本番行為以外は眠っている美少女に質の悪いものでなければ、いたずらをしてもよい、というのが店のルールです。
しかしここを訪れるのはいずれも役立たずの老人。
本番行為など、夢のまた夢です。
そこで老人たちはただ添い寝し、あるいは全身をなでまわし、若い女体に接することで、過ぎ去ったプレイボーイ時代の思い出に浸ったり、若さへの憧憬を取り戻したりするのです。
そこに、一人だけ、性的能力を保持したままの老人がやってきます。
しかし老人は戸惑います。
薄暗い部屋のベッドで昏々と眠る裸の美少女。
老人は、自分にはルールを破ることができる、と強く思います。
それどころか、殺すことだって、と。
しかし美少女のはだかにきむすめの印を認めた時、老人は愕然として戦意を喪失します。
老人は何度もその館に通い、深く眠る裸の美少女と一緒に眠ります。
取り返しようのない若さや、美少女の将来のことをつらつら考え、もしここで犯せばこの娘はおれの最後の女になる、と気付き、では最初の女は誰であったろう、と考えます。
そして気付いたのは、最初の女は母親でしかあり得ない、ということでした。
このことから、この佳品を母体回帰願望の小説、と読まれることが多かったように思います。
しかし私は、楽園を失ったことにさえ気付かないまま、荒野を歩き続け、ついに人生の終焉に近づいた老人が、楽園を求めたのではないかと考えます。
でもその館は、悪魔の館。
甘美な、しかし死ぬしかない夢を、完璧な舞台装置で見せてくれる、この世のものではない館。
現に、目を覚まさなかった老人が出てしまいます。
映画「さくらん」で、江戸随一の通人と呼ばれた老人が、毎夜の吉原通いの末、ある花魁の腕の中で事切れますが、それを思い起こさせます。
人間にとって、老いも若きも性は生そのもの。
生そのものである性が、自分にとって不可能になってしまったら、悪魔の館に足を運ぶ他ありますまい。
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昨日の新聞に、米国の宇宙生物学者が、隕石の中から藻に似た生物の化石と推測される成分を確認した、と掲載されていました。
宇宙生物学者は論文に広く意見を求める、とのコメントをつけ、これが直ちに地球外生命体の存在を証明したことにはならない、という慎重な態度をとっています。
隕石や彗星によって原始的な生物が地球に運ばれてきたと想像することは、とても楽しいですね。
私が思うのは、自然科学という学問の厳しさです。
実験し実証し、データを蓄積していかなくてはなりません。
気の遠くなるような作業を日々繰り返すわけで、その真面目さには頭が下がります。
一方人文系は、口八丁手八丁みたいなところがあって、結論ありきでデータを恣意的に集めたりしますね。
もう十年も前になりますか、ゴッドハンドと言われていた発掘の達人が、じつは自分で埋めて自分で掘るという自作自演を繰り返していたことが判明し、考古学界に激震が走りました。
こういうことは自然科学ではあり得ないんでしょうね。
地球外生命体と言いますが、生命の定義は厳格ではなく、地球などの星そのものが生命体だと考えられるならば、私たちは毎晩空を見上げれば無数の地球外生命体を見ていることになりますね。
私はしゃかりきになって地球外生命体の存在を証明などしなくても、夜空に輝く星々が、また冷たい光を放つ月が、そして燃え盛る太陽が、地球外生命体の存在を直感的に私たちに教えてくれているとおもうのですが、それはあまりに浪漫的に過ぎるでしょうか。