未唯への手紙
未唯への手紙
気に入ったものがマイナーになる理由
他者との協働はあり得ない
アクティブ・ラーニングは他者との協働を説いている。他者とは同じ方程式を持っていないのに。愛知環境塾で感じたのは、参加メンバーは、問題意識が違うし、目的も違う。そんなところで合意は無理でしょう。一冊の本を読むにしても、読みたい本が違いすぎる。
自分の中の推敲で全体を見ます。蓄えられたものも異なれば、全体も違う。
人と協働するにしても、関心事が合わない。
本はキッカケに過ぎない
私の場合、今や、本でさえ、単なるキッカケにすぎなくなっている。習うべきところがなくなっている。そのキッカケが大きすぎて困っている。40冊借りて、15冊がOCR対象というのは異常です。興味の範囲が大きいと言うよりも、テーマが増えて来ています。家族制度改革一つ取っても手も、テーマは「愛」にまで及んでいる。
アラン・ケイとスモールトーク
未だにスモールトークをやっている人がいるとは知らなかった。アラン・ケイとスモールトークをアップしたら、引っ掛かってきた。
今、オブジェクト言語でやってもらいたい対象があります。未唯空間のキーワードを発火させて、その関係性を把握できるようにする。人間の思考でそこまで行ける人はいない。それを高速にやれるようにしたい。もしかすると、AIのターゲットかもしれないけど。
オブジェクト言語的な発想の対象は言語の世界に多くある。コンピューターの範囲が拡がった理由をそこに感じます。発火したものがどのようにつながっていくのか。キーワード空間そのもので発火させていけばいい。
今必要なのは「ゆったり感」
乃木坂は「ゆったり感」を目指している。その象徴がひめたんでしょう。今の社会に必要なのは「ゆったり感」です。次のステップに向かうためにも。その後ろに強烈に動いているモノを知っている以上、それらを支えるファンとしても、彼女らの思いを感じていかないといけない。追い込んではいけない。自分たちの中でちゃんとやっているのだから。
何も考えていないコメンターによると、まるで様相は異なるから、様相を変えないことです。一部の人間であることを理解すれば、趣旨を知った上でやっていく。色々な思惑があるのは確かです。その思惑を無視していく。生田のやっていることは、秋元が考えられる範疇を超えている。それをいつまでも同じ認識で見ていてはいけません。新しいものに向かっている。若にしても同じです。
誰かの助けがいる世界
「一人で出来ることには限りがあり、誰かの助けがないと生きていけない」。これはよく言われるし、よく描かれていることです。枕詞です。だけど、考えてみると、誰に助けがいりますか。具体的に出てきますか。全てを知りたいと言うことに対して。
自分のために用意されたものを使っていくだけです。一人の人間ではありません。私です。それをなぜ、一人の人間にするのか。どういう意図があるのか。そのイトはどうでもいい。私なんです。多様な存在者がコミュニティを形成するのは、私から見た目です。その中に居るのは、私ではない。
本来の図書館の意味は何か
本来の図書館が人生を豊かにするものである。これでは意味がない。元に戻るだけです。全てを知った上で、いかに行動するのか、その為の図書館です。これは武器です。
ハイパーカードの衝撃
アイデアは散漫的に、断片的に降りてくる。これを習ったのはハイパーカードです。
文章は線形でないといけないと言うことでなくて、バラバラでいい。線形の拘るのは、本の悪い性格です。本と言うツールがおかしい。その考えを是正するために作られたのがハイパー土です。知った時は衝撃的だった。三〇年前のマッキントッシュで得たものです。このコンセプトはツールの本質をついている。自分というものが主体です。必要ならば、自分に会ったツールを作る覚悟。
気に入ったものがマイナーになる理由
私が気に入ったものは大体、マイナーなものになっている。それどころか絶滅危惧種扱いです。ICレコーダー、にしても、インスピレーションにしても、30年ぐらい使っていま。それで未唯宇宙とか知の世界を作っています。
皆が何故、それらのツールを使わないのは、知の世界を望んでいないからでしょう。それからも、他者が考えていないことがわかる。他者が存在していない、一つの証しです。テレビのコンテンツも全然意味がないのに、時間を使っている。ネット放送について、身近に話せる人間はいない。
アウトライン形式
私のICレコーダー、インスピレーションは自由に発想するというよりも、知の世界のためにデータベースを作り出すのに必要です。ワープロ的なワードでは無理です。まるで考えるためには、あまりにも中途半端で機能がない。アウトライン形式は万能です。
クルアーンはアウトライン形式です。思いついたものを勝手に言わせています。それを後のイスラム帝国が自分流にまとめている。だけぢ、クルアーンが一つなのは素晴らしい。それが戒律になっていく。言い間違えたり、聞き間違えたりしても、前後の関係がないから、そのままやっていくしかない。
イノベーションに期待すること
エネルギー戦略でイノベーションに期待するのは間違い。そんなものは起きない。誰かの利益にために、起きたようなカタチになるかもしれないけど、それはまやかしです。イノベーションだけでは、インフラにはなり得ない。
クルマ屋にはは期待しないこと。SUVが儲かるとなると、この上なくごつい車を作り出す。一部の両親のあるエンジニアだけが自分の主張をしていく。そういう世界です。
家族制度変革のイノベーションを確実に行なっていくしかない。そうすれば、教育も仕事も変わっていく。車の所有が1/10になれば、エネルギー問題は片付く。余分なものがなくなります。エネルギー問題があるかどうか走らないけど。
エネルギー戦略は不確実性を語られるけど、確実なのは有限だと言うこと。だけど、これも137億年で見ていかないと。どうしたらいいのか、そういうことを真剣に考えること。
シェアな生活を目指す
政治家には何も出来ない。生活から変えていかないといけない。生活そのものを作り出すことです。
NPOがビジネスを行なうなら、行政と一緒になって、シェアの概念を植え付けて、それをいかに事業化すると言う観点でやらないといけない。そうないと、市民と関係なく、行政に使われるだけです。横の連携です。自治体の環境政策は身近な地域から行動する。その場合は、行動だけに終わっています。理念なくして行動しています。
行動なくても生きていける世界をいかに作っていくのか。それがない限りは余計なお世話です。
生活費がなくなってしまった
生活費支給の25日まで10日もあるのに、1万円追加です。これで持たせないといけない。ということで、今日はスタバのクーポンでフラペチーノです。飲まなきゃいいのに。
アクティブ・ラーニングは他者との協働を説いている。他者とは同じ方程式を持っていないのに。愛知環境塾で感じたのは、参加メンバーは、問題意識が違うし、目的も違う。そんなところで合意は無理でしょう。一冊の本を読むにしても、読みたい本が違いすぎる。
自分の中の推敲で全体を見ます。蓄えられたものも異なれば、全体も違う。
人と協働するにしても、関心事が合わない。
本はキッカケに過ぎない
私の場合、今や、本でさえ、単なるキッカケにすぎなくなっている。習うべきところがなくなっている。そのキッカケが大きすぎて困っている。40冊借りて、15冊がOCR対象というのは異常です。興味の範囲が大きいと言うよりも、テーマが増えて来ています。家族制度改革一つ取っても手も、テーマは「愛」にまで及んでいる。
アラン・ケイとスモールトーク
未だにスモールトークをやっている人がいるとは知らなかった。アラン・ケイとスモールトークをアップしたら、引っ掛かってきた。
今、オブジェクト言語でやってもらいたい対象があります。未唯空間のキーワードを発火させて、その関係性を把握できるようにする。人間の思考でそこまで行ける人はいない。それを高速にやれるようにしたい。もしかすると、AIのターゲットかもしれないけど。
オブジェクト言語的な発想の対象は言語の世界に多くある。コンピューターの範囲が拡がった理由をそこに感じます。発火したものがどのようにつながっていくのか。キーワード空間そのもので発火させていけばいい。
今必要なのは「ゆったり感」
乃木坂は「ゆったり感」を目指している。その象徴がひめたんでしょう。今の社会に必要なのは「ゆったり感」です。次のステップに向かうためにも。その後ろに強烈に動いているモノを知っている以上、それらを支えるファンとしても、彼女らの思いを感じていかないといけない。追い込んではいけない。自分たちの中でちゃんとやっているのだから。
何も考えていないコメンターによると、まるで様相は異なるから、様相を変えないことです。一部の人間であることを理解すれば、趣旨を知った上でやっていく。色々な思惑があるのは確かです。その思惑を無視していく。生田のやっていることは、秋元が考えられる範疇を超えている。それをいつまでも同じ認識で見ていてはいけません。新しいものに向かっている。若にしても同じです。
誰かの助けがいる世界
「一人で出来ることには限りがあり、誰かの助けがないと生きていけない」。これはよく言われるし、よく描かれていることです。枕詞です。だけど、考えてみると、誰に助けがいりますか。具体的に出てきますか。全てを知りたいと言うことに対して。
自分のために用意されたものを使っていくだけです。一人の人間ではありません。私です。それをなぜ、一人の人間にするのか。どういう意図があるのか。そのイトはどうでもいい。私なんです。多様な存在者がコミュニティを形成するのは、私から見た目です。その中に居るのは、私ではない。
本来の図書館の意味は何か
本来の図書館が人生を豊かにするものである。これでは意味がない。元に戻るだけです。全てを知った上で、いかに行動するのか、その為の図書館です。これは武器です。
ハイパーカードの衝撃
アイデアは散漫的に、断片的に降りてくる。これを習ったのはハイパーカードです。
文章は線形でないといけないと言うことでなくて、バラバラでいい。線形の拘るのは、本の悪い性格です。本と言うツールがおかしい。その考えを是正するために作られたのがハイパー土です。知った時は衝撃的だった。三〇年前のマッキントッシュで得たものです。このコンセプトはツールの本質をついている。自分というものが主体です。必要ならば、自分に会ったツールを作る覚悟。
気に入ったものがマイナーになる理由
私が気に入ったものは大体、マイナーなものになっている。それどころか絶滅危惧種扱いです。ICレコーダー、にしても、インスピレーションにしても、30年ぐらい使っていま。それで未唯宇宙とか知の世界を作っています。
皆が何故、それらのツールを使わないのは、知の世界を望んでいないからでしょう。それからも、他者が考えていないことがわかる。他者が存在していない、一つの証しです。テレビのコンテンツも全然意味がないのに、時間を使っている。ネット放送について、身近に話せる人間はいない。
アウトライン形式
私のICレコーダー、インスピレーションは自由に発想するというよりも、知の世界のためにデータベースを作り出すのに必要です。ワープロ的なワードでは無理です。まるで考えるためには、あまりにも中途半端で機能がない。アウトライン形式は万能です。
クルアーンはアウトライン形式です。思いついたものを勝手に言わせています。それを後のイスラム帝国が自分流にまとめている。だけぢ、クルアーンが一つなのは素晴らしい。それが戒律になっていく。言い間違えたり、聞き間違えたりしても、前後の関係がないから、そのままやっていくしかない。
イノベーションに期待すること
エネルギー戦略でイノベーションに期待するのは間違い。そんなものは起きない。誰かの利益にために、起きたようなカタチになるかもしれないけど、それはまやかしです。イノベーションだけでは、インフラにはなり得ない。
クルマ屋にはは期待しないこと。SUVが儲かるとなると、この上なくごつい車を作り出す。一部の両親のあるエンジニアだけが自分の主張をしていく。そういう世界です。
家族制度変革のイノベーションを確実に行なっていくしかない。そうすれば、教育も仕事も変わっていく。車の所有が1/10になれば、エネルギー問題は片付く。余分なものがなくなります。エネルギー問題があるかどうか走らないけど。
エネルギー戦略は不確実性を語られるけど、確実なのは有限だと言うこと。だけど、これも137億年で見ていかないと。どうしたらいいのか、そういうことを真剣に考えること。
シェアな生活を目指す
政治家には何も出来ない。生活から変えていかないといけない。生活そのものを作り出すことです。
NPOがビジネスを行なうなら、行政と一緒になって、シェアの概念を植え付けて、それをいかに事業化すると言う観点でやらないといけない。そうないと、市民と関係なく、行政に使われるだけです。横の連携です。自治体の環境政策は身近な地域から行動する。その場合は、行動だけに終わっています。理念なくして行動しています。
行動なくても生きていける世界をいかに作っていくのか。それがない限りは余計なお世話です。
生活費がなくなってしまった
生活費支給の25日まで10日もあるのに、1万円追加です。これで持たせないといけない。ということで、今日はスタバのクーポンでフラペチーノです。飲まなきゃいいのに。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 公立図書館の経営 | 哲学していい... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |