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「もう千年、地球を美しいままに」の重荷

μへ。「もう千年、地球を美しいままに」の本が素晴らしいというコメントがエコットのメルマガで紹介されていました。同じ本を私が読んだ時に、違和感を感じました。30日のブログで感想を書きました。

ブログのポイントは千年レベルで考えるのであれば、社会の構造とスーパーの役割をどうしていくかをまずは考えてほしい。スーパーは世の中から集めてきたものをお客様に渡すという[上流→下流]が主になっている。私としては、お客様からのごみをメーカに戻していく、という[下流→上流]の流れを作り、永続的なサイクルを作るために、イオンの存在を賭けるという理念を持ってもらいたい。

それらの活動は、絵空事ではなく、フィンランドのスーパーからイメージしたものです。植樹とかレジ袋有料化とか、日本では珍しいかもしれないが、その程度のことで、イオンの優位性を述べないでもらいたい。

私がこだわったのは、この題名を考えた人が、自分で千年をどこまで考え、社会がどうしたらいいかを考えたのか、です。

会社の関連会社で、「こんぽん研」というものがあります。その目的は、30世紀のことを考えることです。前所長は東富士時代の元上司です。彼は答えを「空海」に求めました。「空海」の思想は千年以上、脈々と受け継いでいます。ものごとの「根本」から考えています。

千年を述べるためには、この最近の人間の数の増加(19世紀初は9億人、20世紀初は16億人、21世紀初は64億人)とか、エネルギーの有限性などを考慮して、本来の仕組み、生き残るための枠組みをどのようにしていくのかを明確にしないといけない。それをすっとばして、「もう千年、地球を美しいままに」というキャッチフレーズに酔わないでもらいたい。

エコットも千年の感覚で、地球の未来を考えて、それを言葉にして、それを入口に掲げ、通る度に「がんばろう」と思われるものを出されることを期待します。3年前の市民会議の時に、「理念」を明確にしましょうと提案したことです。そうでないと、この最近の新幹線の「エコ出張」のように我田引水の論理に振り回されます。

社会に新しい“型”をイメージして、自分の中で出した答が「サファイア循環」です。グローバリズムを超えて、グローバルがローカルを支援するカタチです。そのなかでのスーパーはコミュニケーションの上流・下流の交差点です。
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