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私の友達は「偶然」と「未来」。その対偶を行っています

私の友達は「偶然」と「未来」と決めました。なかなか気に入っています。友達がいないから、ケータイにも縛られないし、自由なことが言えます。

ところが、その対偶についての行動も顕著になっています。つまり、「決定」と「過去」は友達ではない、ということです。

「決定」に関しては、会社の会議の資料が顕著なのですが、ほとんど読みません。というよりも、見ません。目の前にあっても全然興味がありません。説明を聴きながら、自分の中のイメージと合わせていきます。そこでイメージが変わってきたときに、相手に聞きます。書かれているような細かいところについては「どうでもいいです」。

どうも、これは週28冊の本の読み方の影響もあるみたいです。自分の中にあるものと本に書かれていることの「対決」を5年以上続けてきました。本にはさほど、新しいこととかは書かれていないけど、その人が生涯をかけたものには時とハッとするものがあります。そこでの存在を賭けた「対決」です。だから、一瞬で内容を理解する訓練をしてきたし、本の中の余分な部分、儀礼的な部分もどんどん落とし込んできています。

ちなみに、「どうでもいい」ものは本当にどうでもいいです。「どうでもいい」けどと言いながら、固執する人が周りには多いです。

もう一つの「過去」にしても、どんどん捨てにかかっています。会社の資料も10分の1にしたことに続いて、もらう資料を減らしているし、この最近は、先ほどのこともあり、資料を見ることも避けています。そのまま、置いてきてしまうか、持ってきても全てシュレッダーにかけています。

これは社会活動の方も同じです。紙での資料は全て捨てています。そのかわりに、『未唯への手紙』などのパワーポイントにまとめています。それを16分割にした冊子だけは常にケータイしています。これだけが資料の全てです。私のアウトプットの全てです。後は、全て脳の中です。「偶然」で反応させます。それで「未来」を描きます。

図書館からは29冊借りました。また、1冊行方不明です。確か、風呂で読んでいたから、居間のどこかに在るはず。だけど、あの混乱の極みの居間から探し出せるか。
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