未唯への手紙
未唯への手紙
人類は国家を作り、帝国を作った
『ホモ・サピエンスの秘密』より
人々は、自分たちの「暴力」の避難場所に「国家」をつくった
5000年前は暴力に満ちていた?
1991年に、イタリアとオーストリア国境のアルプスの渓谷で、1人の男性のミイラ化した遺体が発見されました。この遺体は氷河で凍結して見つかったので、後にアイスマンと呼ばれます。
このアイスマンは調査の結果、約5000年前の新石器時代の人物で、年齢は25歳から40代半ばで、左肩に負った矢尻による傷がもとで死亡したと発表されました。
彼の生きた時代は、人類が狩猟採集から農耕生活に移行する頃で、激しい部族闘争の時代と考えられています。アイスマンの登場は、その説を補強するものでした。
歴史学者スティーブン・ピンカーは、先史時代の遺跡の調査と、先住民族の研究成果から、この時代は人類が最も暴力的だったと、著書『暴力の人類史』で述べます。
ピンカーは、その当時の地球に生きた人間の数を推計し、その1人が生涯で暴力によって死亡する確率を計算しました。その結果は驚くべきもので、部族によっては60%に達し、平均でも15%にのぼりました。これはまさに、ホッブズの言う「万人の万人に対する闘い」の時代であったとピンカーは述べます。
トマス・ホッブズは、17世紀のヨーロッパ啓蒙主義の時代に、「人間性悪説」を唱えた政治思想家です。人間は自然な権利として暴力を持っていて、その行使には歯止めがないと言います。人類が戦争を止められない理由として現在もよく引用されるものに、「ホッブズのパラドクス」があります。
長く敵対する2人がいます。互いには強い不信しかありません。そんな2人が平和を求めて「相互不可侵条約」を結んだとします。しかし、2人は相手を信じることができません。常に相手の先制攻撃が不安です。そして、結局その不安に耐えられずに、どちらかが攻撃を始めてしまいます。
この果ての無い闘いの世界は、人々を疲弊させ社会の安定はありません。そこで、人々は全員が納得して、自らの暴力の行使の権利を委ねられる、世俗を超越した権威をもつ存在を求めました。
ホッブズは、その存在を理想の政治共同体として「リヴァイアサン」と名づけます。この「リヴァイアサン」に自分たちの支配を委ね、違反者の制裁、武力の行使も国家のもつ暴力に委ねます。これで人間は互いの果てのない闘いに終止符を打った、とホッブズは考えたのです。
ピンカーは、人類がこの国家制度を持ってから、暴力死は3%にまで激減したと前掲書で結論づけています。
しかし、この説には当然異論もあります。国家が誕生したことで、新しい暴力が生まれたのではないか。アイスマンの知らない未来、ホッブズも予測しなかった未来の「国家」は、その後どうなっていったのでしょうか。これから、それを見ていきましょう。
人類は3000年近くもの間「帝国」と共に歩んできた
帝国は民族や宗教を超える
メソポタミア北部に興ったアッシリアは、強大な軍事力を武器にして近隣諸国を次々征服。紀元前7世紀前半、メソポタミアとエジプトという2大文明圏を含む古代オリエントの統一を果たしました。これが人類初の帝国、アッシリア帝国の誕生です。
帝国とは、複数の国や民族を含む広大な地域を統治する国家のこと。民族や宗教によって束ねられた国家から、民族や宗教を超えた帝国へ。これこそ人類が領土拡大の野望を叶えるために創出した新たなテリトリーの概念でした。ひとつの国家を丸ごと乗っ取り、そこに住む人々が異民族であろうと異教徒であろうと吸収して均一化する。まるでゲームのような国とり合戦が、幾多の帝国を生み出しました。
なかでも地中海世界の覇者となったローマ帝国は、キリスト教を国教に掲げ、その後のヨーロッパ世界に多大な影響を及ぼします。一方、中東ではアッバース朝からオスマン帝国へと続くイスラム勢力による帝国が一時代を築きました。
15世紀に始まった大航海時代は、帝国の版図を一変させます。陸続きの領土から、海を越えた領土の獲得へ。ヨーロッパ列強は、こぞって海を渡り、アメリカ大陸やアジア、アフリカ、オセアニアなどに侵攻。次々植民地を獲得しました。とりわけイギリス帝国は、最盛期には史上最大の領土をもつ巨大帝国にまで発展。日本もまたアジア太平洋地域に植民地を求め、大日本帝国の名を標榜していた時代がありました。
第二次世界大戦後、多くの植民地は独立し、帝国の時代は終焉したかに見えます。しかし帝国を名のらずとも、社会主義政権のもとで異民族を束ねたソ連邦を「社会主義帝国」、他国の政治に干渉して軍隊を送りこむアメリカを「アメリカ帝国」と呼ぶこともできます。ヨーロッパ再統合を目指すEUを、ゆるやかな帝国とみなすこともできるでしょう。こうして見ると、人類の文明の歴史は、帝国の歴史でもあったのです。
帝国は巨大なコンバインのように人々を収穫して帝国民に加工していく
「帝国」というシステム
人類が作った帝国には、それを運営するための仕組みがありました。それを仮に帝国システムと呼びましょう。この帝国システムの中心にあるのが、国家です。現在多くの政治学者は、人々が自らの暴力を国家に委ねることで、国家が誕生したと考えています。
この国家は自らを維持するための、基本的な機能を持っています。ひとつは国民からの徴税です。この徴税を遂行するための細かな決め事と、その違反に対する罰則も必要です。この決め事は「法律」と呼ばれます。この法律遵守の強制力として、国家は警察・軍隊をもちます。このとき使われる暴力は、国民が国家に委譲したものです。
国家にはさらに、この大きな3つの機能を、効率的に動かす人々が必要です。この人々は「官僚」と呼ばれます。
国家は、この3つの機能と官僚たちで作られます。これは「国家装置」と呼ばれることもあります。この「国家装置」は、1台の自動車ともたとえられます。運転席に誰が座っても、エンジンをかければ国家は動きます。政治体制も人格も関係ありません。アメリカの大統領がオバマからトランプになっても、アメリカという国家装置は、ドライバーに忠実に動きます。どの国の「国家装置」も基本は同じです。
ここまで、国家を成立させる3つの機能と1つの組織をあげましたが、実は最後に最も大切なものがあります。それは「国境」です。
この「国境」も国家同様に、人類の想像力の産物です。現在のように、地図上に明確な国境線ができたのは17世紀です。それ以前は、国家が統治する人々のいる地域、くらいの曖昧なものでした。その先は無人の辺境です。その辺境の先には、異境の人々の住む土地があります。
帝国システムとは、この「国家装置」の前に、人々を収穫するコンバインのような装置をつけたものとも考えられます。この帝国システムは、国民となる人々を求めて前進を続けます。辺境を越え、新しい共同体に侵入し、そこで収穫した人々を「国家装置」に送りこみ、出てくるときには、立派な帝国の国民に加工しています。
ローマ帝国は、このように、バラバラに点在していた人々を国家に組み入れているうちに、ついにはイギリスまで辿りつくほど巨大化していたともいえます。
「帝国システム」の通過した後には、共通の政治権威のもとで、共通の言語を喋り、共通の法律を守り、共通の通貨を使い、時に軍隊にとられて兵士ともなる、そんな「帝国民」が誕生していました。
人々は、自分たちの「暴力」の避難場所に「国家」をつくった
5000年前は暴力に満ちていた?
1991年に、イタリアとオーストリア国境のアルプスの渓谷で、1人の男性のミイラ化した遺体が発見されました。この遺体は氷河で凍結して見つかったので、後にアイスマンと呼ばれます。
このアイスマンは調査の結果、約5000年前の新石器時代の人物で、年齢は25歳から40代半ばで、左肩に負った矢尻による傷がもとで死亡したと発表されました。
彼の生きた時代は、人類が狩猟採集から農耕生活に移行する頃で、激しい部族闘争の時代と考えられています。アイスマンの登場は、その説を補強するものでした。
歴史学者スティーブン・ピンカーは、先史時代の遺跡の調査と、先住民族の研究成果から、この時代は人類が最も暴力的だったと、著書『暴力の人類史』で述べます。
ピンカーは、その当時の地球に生きた人間の数を推計し、その1人が生涯で暴力によって死亡する確率を計算しました。その結果は驚くべきもので、部族によっては60%に達し、平均でも15%にのぼりました。これはまさに、ホッブズの言う「万人の万人に対する闘い」の時代であったとピンカーは述べます。
トマス・ホッブズは、17世紀のヨーロッパ啓蒙主義の時代に、「人間性悪説」を唱えた政治思想家です。人間は自然な権利として暴力を持っていて、その行使には歯止めがないと言います。人類が戦争を止められない理由として現在もよく引用されるものに、「ホッブズのパラドクス」があります。
長く敵対する2人がいます。互いには強い不信しかありません。そんな2人が平和を求めて「相互不可侵条約」を結んだとします。しかし、2人は相手を信じることができません。常に相手の先制攻撃が不安です。そして、結局その不安に耐えられずに、どちらかが攻撃を始めてしまいます。
この果ての無い闘いの世界は、人々を疲弊させ社会の安定はありません。そこで、人々は全員が納得して、自らの暴力の行使の権利を委ねられる、世俗を超越した権威をもつ存在を求めました。
ホッブズは、その存在を理想の政治共同体として「リヴァイアサン」と名づけます。この「リヴァイアサン」に自分たちの支配を委ね、違反者の制裁、武力の行使も国家のもつ暴力に委ねます。これで人間は互いの果てのない闘いに終止符を打った、とホッブズは考えたのです。
ピンカーは、人類がこの国家制度を持ってから、暴力死は3%にまで激減したと前掲書で結論づけています。
しかし、この説には当然異論もあります。国家が誕生したことで、新しい暴力が生まれたのではないか。アイスマンの知らない未来、ホッブズも予測しなかった未来の「国家」は、その後どうなっていったのでしょうか。これから、それを見ていきましょう。
人類は3000年近くもの間「帝国」と共に歩んできた
帝国は民族や宗教を超える
メソポタミア北部に興ったアッシリアは、強大な軍事力を武器にして近隣諸国を次々征服。紀元前7世紀前半、メソポタミアとエジプトという2大文明圏を含む古代オリエントの統一を果たしました。これが人類初の帝国、アッシリア帝国の誕生です。
帝国とは、複数の国や民族を含む広大な地域を統治する国家のこと。民族や宗教によって束ねられた国家から、民族や宗教を超えた帝国へ。これこそ人類が領土拡大の野望を叶えるために創出した新たなテリトリーの概念でした。ひとつの国家を丸ごと乗っ取り、そこに住む人々が異民族であろうと異教徒であろうと吸収して均一化する。まるでゲームのような国とり合戦が、幾多の帝国を生み出しました。
なかでも地中海世界の覇者となったローマ帝国は、キリスト教を国教に掲げ、その後のヨーロッパ世界に多大な影響を及ぼします。一方、中東ではアッバース朝からオスマン帝国へと続くイスラム勢力による帝国が一時代を築きました。
15世紀に始まった大航海時代は、帝国の版図を一変させます。陸続きの領土から、海を越えた領土の獲得へ。ヨーロッパ列強は、こぞって海を渡り、アメリカ大陸やアジア、アフリカ、オセアニアなどに侵攻。次々植民地を獲得しました。とりわけイギリス帝国は、最盛期には史上最大の領土をもつ巨大帝国にまで発展。日本もまたアジア太平洋地域に植民地を求め、大日本帝国の名を標榜していた時代がありました。
第二次世界大戦後、多くの植民地は独立し、帝国の時代は終焉したかに見えます。しかし帝国を名のらずとも、社会主義政権のもとで異民族を束ねたソ連邦を「社会主義帝国」、他国の政治に干渉して軍隊を送りこむアメリカを「アメリカ帝国」と呼ぶこともできます。ヨーロッパ再統合を目指すEUを、ゆるやかな帝国とみなすこともできるでしょう。こうして見ると、人類の文明の歴史は、帝国の歴史でもあったのです。
帝国は巨大なコンバインのように人々を収穫して帝国民に加工していく
「帝国」というシステム
人類が作った帝国には、それを運営するための仕組みがありました。それを仮に帝国システムと呼びましょう。この帝国システムの中心にあるのが、国家です。現在多くの政治学者は、人々が自らの暴力を国家に委ねることで、国家が誕生したと考えています。
この国家は自らを維持するための、基本的な機能を持っています。ひとつは国民からの徴税です。この徴税を遂行するための細かな決め事と、その違反に対する罰則も必要です。この決め事は「法律」と呼ばれます。この法律遵守の強制力として、国家は警察・軍隊をもちます。このとき使われる暴力は、国民が国家に委譲したものです。
国家にはさらに、この大きな3つの機能を、効率的に動かす人々が必要です。この人々は「官僚」と呼ばれます。
国家は、この3つの機能と官僚たちで作られます。これは「国家装置」と呼ばれることもあります。この「国家装置」は、1台の自動車ともたとえられます。運転席に誰が座っても、エンジンをかければ国家は動きます。政治体制も人格も関係ありません。アメリカの大統領がオバマからトランプになっても、アメリカという国家装置は、ドライバーに忠実に動きます。どの国の「国家装置」も基本は同じです。
ここまで、国家を成立させる3つの機能と1つの組織をあげましたが、実は最後に最も大切なものがあります。それは「国境」です。
この「国境」も国家同様に、人類の想像力の産物です。現在のように、地図上に明確な国境線ができたのは17世紀です。それ以前は、国家が統治する人々のいる地域、くらいの曖昧なものでした。その先は無人の辺境です。その辺境の先には、異境の人々の住む土地があります。
帝国システムとは、この「国家装置」の前に、人々を収穫するコンバインのような装置をつけたものとも考えられます。この帝国システムは、国民となる人々を求めて前進を続けます。辺境を越え、新しい共同体に侵入し、そこで収穫した人々を「国家装置」に送りこみ、出てくるときには、立派な帝国の国民に加工しています。
ローマ帝国は、このように、バラバラに点在していた人々を国家に組み入れているうちに、ついにはイギリスまで辿りつくほど巨大化していたともいえます。
「帝国システム」の通過した後には、共通の政治権威のもとで、共通の言語を喋り、共通の法律を守り、共通の通貨を使い、時に軍隊にとられて兵士ともなる、そんな「帝国民」が誕生していました。
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