未唯への手紙
未唯への手紙
エラトステネスと心のモジュール性
『知のトップランナー149人の美しいセオリー』より
プトレマイオス朝エジプトの有名なアレキサンドリア図書館の館長だったエラトステネス(BC276~195年)は、数学、天文学、地理学、そして歴史に対し、画期的な貢献をなした。彼はまた、人間をギリシャ人と野蛮人とに分けることにも反対した。しかし、彼が人々の記憶にとどめられているのは、彼が初めて、地球の円周を正確に測定したことにある(このことは、二コラス・ニカストロの最近の著書『Circum-ference(円周)』によく描かれている)。彼はどうやってそれを行ったのだろう?
エラトステネスは、毎年、ある日の正午に、シエネ(現在のアスワン)の街にある一つの井戸の底まで太陽がまっすぐに射し込むということを耳にした。これは、そのとき太陽が天頂にあることを意味した。そのためには、シエネは北回帰線上にあり、その日は夏至(6月21日)であるはずだ。彼は、キャラバンがアレキサンドリアからシエネまで行くのにどれだけかかるかを知っていたので、それに基づいて、この二つの街の間の距離は5014スタジアであると推定した。彼は、シエネとアレキサンドリアは同じ子午線上にあると仮定した。実際のところ、それは少し間違っていて、シエネは少しばかりアレキサンドリアの東にあった。また、シエネが北回帰線上にあるというのも、正確ではなかった。しかし、大変な幸運と言うべきか、この二つの間違いは、打ち消しあうことになった。彼は、太陽は十分遠くにあり、地球に届く太陽光線は平行線と考えてよいことを知っていた。太陽がシ于不で天頂にあるとき、そこよりも北にあるアレキサンドリアでは、太陽はもっと北にあるはずだ。しかし、どれだけだろう? 彼は、図書館の前に立てられているオベリスクの影の長さを測定した(と、いうことになってぃるが、もっとほかの、もっと便利な垂直の物体を使ったのかもしれなぃ)。三角測量はまだ発明されていなかったにもかかわらず、彼は、太陽が天頂の7・2度の角度にあることを測定することができた。その角度こそ、アレキサンドリアとシエネとの間の球面を測ったものであると、彼は理解した。7・2度は360度の50分の1であるので、エラトステネスはそれを50倍して、地球の円周を計算することができた。答えは25万2000スタジアで、現在の測定値である4万8キロメートルに、1パーセント足りないだけの数値であった。
エラトステネスは、一見したところ無関係な証拠(キャラバンの速度、太陽の光が井戸の底に射す、ォペリスクの影の長さ)と、仮説(地球は球体であること、太陽からの距離)と、数学的道具とを一緒にして、彼が実際に見ることも測量することもできず、ただ想像するしかない円周を推定したのだ。彼の結果は単純で、疑問の余地がない。彼が結論に達したやり方は、人間の知性の最高峰の縮図である。
ジェリー・フォーダー(現代の心の哲学に対する彼の貢献は比類ないものだ)も、私たちの心の中心システムが作動する様子の完璧な描写として、この知的能力を使えたのかもしれない。それは、どんな信念や証拠も、どんな新奇な仮説の評価にも妥当だという意味で「等方的」であり、私たちの持っている信念はすべて、単一の統合されたシステムの一部をなしているという意味で「クワイン流」(哲学者のウィラード・グァン・ォーマン・クワインに由来)だと主張する。これは、心はそれぞれに特化した「モジュール」からなり、モジュールのそれぞれは特定の認知領域やタスクを担当していて、私たちの心的活動は、これらのモジュールどうしの複雑な相互作用(相補性、競争などなど)から生じるという考え(私も、この考えの発展に貢献した)と対立する。しかしながら、エラトステネスの話は、フォーダーの考えが正しいことを示しているのではないだろうか? とてつもなくモジュール化した心が、どうやって、あんなわざを成し遂げることができるのだろう?
答えはこうだ。モジュールの一部は、メタ表象モジュールなのである。それらは、心を読むモジュールの心的表象、コミュニケーション・モジュールの言語表象、推論モジュールの抽象的表象など、異なる心的表象群を処理することに特化しているのだ。これらのメタ表象モジュールは、高度に特化している。とどのつまり、表象とは非常に特殊なものであり、人間や、彼らが生み出すものなど、情報処理装置の中にのみ存在する。表象には、「真か偽か」、「一貫性」など、いくつか、それ固有の性質があり、これ以外のどんなものも、そういった性質を持たない。しかし、これらのメタ表象モジュールが処理している表象それ自体が、なんでもありだったなら、そこには、バーチャルな領域一般性が生まれるだろう。そこで、メタ表象による思考は、一般性があり、特殊化はしていないという幻想が生まれる。
私が言いたいのは、エラトステネスが、地球の円周のことを具体的に考えていたわけではない(図書館からアレキサンドリアの王宮までの距離を具体的に考えていたのと同じようには)、ということだ。そうではなくて、彼が考えていたのは、同時代の他の科学者によって提出された、これとは異なる地球の円周の推定値によってもたらされた挑戦についてであった。彼は、この問題を解決するのに役立つような、いろいろな数学の原理や道具について考えていた。彼は、雑多な観察と報告に決着をつけられるような証拠について考えていた。彼は、明確で疑問の余地のない解決、納得のいく議論を探し当てることをねらっていた。言い換えれば、彼は、たった二つのたぐいのもの、そういう表象について考え、それらをまとめる新しいやり方を探していたのだ。そうするにあたって、彼は、他のものからインスピレーションを得、他のものにも目を向けた。彼の知的功績は、心的およびコミュニケーション上の出来事が、社会・文化的連鎖で特別に素晴らしく結びついたと見ることで、初めて理解できる。私にとって、これは、一個人の心の単独の機能ではなく、モジュール性の心が社会的文化的に拡張されたとき、どれほど素晴らしいものになるかの絶好の描写である。
プトレマイオス朝エジプトの有名なアレキサンドリア図書館の館長だったエラトステネス(BC276~195年)は、数学、天文学、地理学、そして歴史に対し、画期的な貢献をなした。彼はまた、人間をギリシャ人と野蛮人とに分けることにも反対した。しかし、彼が人々の記憶にとどめられているのは、彼が初めて、地球の円周を正確に測定したことにある(このことは、二コラス・ニカストロの最近の著書『Circum-ference(円周)』によく描かれている)。彼はどうやってそれを行ったのだろう?
エラトステネスは、毎年、ある日の正午に、シエネ(現在のアスワン)の街にある一つの井戸の底まで太陽がまっすぐに射し込むということを耳にした。これは、そのとき太陽が天頂にあることを意味した。そのためには、シエネは北回帰線上にあり、その日は夏至(6月21日)であるはずだ。彼は、キャラバンがアレキサンドリアからシエネまで行くのにどれだけかかるかを知っていたので、それに基づいて、この二つの街の間の距離は5014スタジアであると推定した。彼は、シエネとアレキサンドリアは同じ子午線上にあると仮定した。実際のところ、それは少し間違っていて、シエネは少しばかりアレキサンドリアの東にあった。また、シエネが北回帰線上にあるというのも、正確ではなかった。しかし、大変な幸運と言うべきか、この二つの間違いは、打ち消しあうことになった。彼は、太陽は十分遠くにあり、地球に届く太陽光線は平行線と考えてよいことを知っていた。太陽がシ于不で天頂にあるとき、そこよりも北にあるアレキサンドリアでは、太陽はもっと北にあるはずだ。しかし、どれだけだろう? 彼は、図書館の前に立てられているオベリスクの影の長さを測定した(と、いうことになってぃるが、もっとほかの、もっと便利な垂直の物体を使ったのかもしれなぃ)。三角測量はまだ発明されていなかったにもかかわらず、彼は、太陽が天頂の7・2度の角度にあることを測定することができた。その角度こそ、アレキサンドリアとシエネとの間の球面を測ったものであると、彼は理解した。7・2度は360度の50分の1であるので、エラトステネスはそれを50倍して、地球の円周を計算することができた。答えは25万2000スタジアで、現在の測定値である4万8キロメートルに、1パーセント足りないだけの数値であった。
エラトステネスは、一見したところ無関係な証拠(キャラバンの速度、太陽の光が井戸の底に射す、ォペリスクの影の長さ)と、仮説(地球は球体であること、太陽からの距離)と、数学的道具とを一緒にして、彼が実際に見ることも測量することもできず、ただ想像するしかない円周を推定したのだ。彼の結果は単純で、疑問の余地がない。彼が結論に達したやり方は、人間の知性の最高峰の縮図である。
ジェリー・フォーダー(現代の心の哲学に対する彼の貢献は比類ないものだ)も、私たちの心の中心システムが作動する様子の完璧な描写として、この知的能力を使えたのかもしれない。それは、どんな信念や証拠も、どんな新奇な仮説の評価にも妥当だという意味で「等方的」であり、私たちの持っている信念はすべて、単一の統合されたシステムの一部をなしているという意味で「クワイン流」(哲学者のウィラード・グァン・ォーマン・クワインに由来)だと主張する。これは、心はそれぞれに特化した「モジュール」からなり、モジュールのそれぞれは特定の認知領域やタスクを担当していて、私たちの心的活動は、これらのモジュールどうしの複雑な相互作用(相補性、競争などなど)から生じるという考え(私も、この考えの発展に貢献した)と対立する。しかしながら、エラトステネスの話は、フォーダーの考えが正しいことを示しているのではないだろうか? とてつもなくモジュール化した心が、どうやって、あんなわざを成し遂げることができるのだろう?
答えはこうだ。モジュールの一部は、メタ表象モジュールなのである。それらは、心を読むモジュールの心的表象、コミュニケーション・モジュールの言語表象、推論モジュールの抽象的表象など、異なる心的表象群を処理することに特化しているのだ。これらのメタ表象モジュールは、高度に特化している。とどのつまり、表象とは非常に特殊なものであり、人間や、彼らが生み出すものなど、情報処理装置の中にのみ存在する。表象には、「真か偽か」、「一貫性」など、いくつか、それ固有の性質があり、これ以外のどんなものも、そういった性質を持たない。しかし、これらのメタ表象モジュールが処理している表象それ自体が、なんでもありだったなら、そこには、バーチャルな領域一般性が生まれるだろう。そこで、メタ表象による思考は、一般性があり、特殊化はしていないという幻想が生まれる。
私が言いたいのは、エラトステネスが、地球の円周のことを具体的に考えていたわけではない(図書館からアレキサンドリアの王宮までの距離を具体的に考えていたのと同じようには)、ということだ。そうではなくて、彼が考えていたのは、同時代の他の科学者によって提出された、これとは異なる地球の円周の推定値によってもたらされた挑戦についてであった。彼は、この問題を解決するのに役立つような、いろいろな数学の原理や道具について考えていた。彼は、雑多な観察と報告に決着をつけられるような証拠について考えていた。彼は、明確で疑問の余地のない解決、納得のいく議論を探し当てることをねらっていた。言い換えれば、彼は、たった二つのたぐいのもの、そういう表象について考え、それらをまとめる新しいやり方を探していたのだ。そうするにあたって、彼は、他のものからインスピレーションを得、他のものにも目を向けた。彼の知的功績は、心的およびコミュニケーション上の出来事が、社会・文化的連鎖で特別に素晴らしく結びついたと見ることで、初めて理解できる。私にとって、これは、一個人の心の単独の機能ではなく、モジュール性の心が社会的文化的に拡張されたとき、どれほど素晴らしいものになるかの絶好の描写である。
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