未唯への手紙
未唯への手紙
来年のレミゼでせーらを見たい
来年のレミゼでせーらを見たい。ミュージカル界は芸能界じゃないよね 可能性はあるか #早川聖来 #コゼット
せーらは正義 正義は勝つ 私は正義の味方 #早川聖来
この夢は目が覚めてもまだ続いてる これが現実という名の夢なのか #早川聖来
藤森も気付いていたんだろうな。誕生月でも無いのにメガネをプレゼントしたり、ライブへの参加を示唆したり、番組で奇妙に騒ぎ出した。 #早川聖来 #藤森慎吾 #らじらー
せめて枠をはみ出し 楽しく踊る せーらの動画を一万にしておこう。 #早川聖来 #全部夢のまま
やはり私は私の世界に戻る #私の世界
誰に何を問うのか 問うのは存在の意味しかない。存在は答えそのもの。問われて存在しているのではない。あるときに放り込まれていた。答えには問えない。存在に問えないから無に対して問うだけ。答えがないことはわかっているのに。 #誰に何を問う
問うのも答えるのも自分、つまり存在者しかない。これは有限な問いなのである。 #有限な問い
なぜ、数学は問えるのか。社会の基礎ということは社会を上からみている。新たな数学は社会を超える必要がある。答えは制限されたところで可能であって、壮大なエリアには答えはない。あまりにも多様な答えは答えでなくなる。 #数学は問う
数学に答えはない。答えは作るものだから。数学科3年の夏休みに四方教授から出された宿題は「自分の数学を作りなさい」だった。私は真面目に答えた。作らなかった者は留年した。自分で作ったものであれば、何でもよかった。 #答えのない質問
存在は問えないから無から回ることにした。今の前と後ろは膨大な無が拡がっている。いくらでも問える。最大の問いは無から有が生まれたプロセス。そこは解明されている。ものはなくてもルールがあった。多様なルールがあった、つまり、係数みたいなもの。それに沿ってマルチバースで偶然が生まれた。ここからはトポロジーの世界。 #存在を問う
生きることは考えること、考えるのは生きること。これは池田晶子さんの言葉。なぜ、存在しなくなるのに考えるのか。考えるのが自分の目的になった。いかにして目的を達成するのか。 #池田晶子
明日こそエアコンの掃除をしよう。三年ぶりで触るのが恐いけど。夏を向かえられそうだから。
どう見ても 辻褄合わせが動いてる #早川聖来
考えるとは 存在する恐怖になじむこと 中二からのトラウマ 部屋で考えるとすぐに逃げてしまう図書館だと寂しすぎる やはり スタバ 程度か #考える
唯一の気がかりが去ろうとしている今、一番危ないかもしれない 社会路の接点がなくなる #社会との接点
どっちみち 全てやるだけの時間的ゆとりはないんだから 多くのものを対象にすればいい 全て 中途半端にして去るのが夢 #この世を去る
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« なぜコミュニ... | 他者にアピー... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |