未唯への手紙
未唯への手紙
米中戦略関係 ツキジデスの罠
『米中戦略関係』より
ツキジデスの罠
「ツキジデスの罠」という言葉が注目を集めている。ツキジデスは古代ギリシャの歴史家であり、都市国家アテネとスパタタとの間に起こったペロポネソス戦争を描いたその『戦史』は、国際政治学の古典として名高い。
ツキジデスはこの戦争の原因について、次のように語っている。
「アテーナイ〔=アテネ〕人の勢力が拡大し、ラケダイモーン〔=スパルタ〕人に恐怖をあたえたので、やむなくラケダイモーン人は開戦にふみきった」。
アテネとスパルタとの関係に見られるように、ある国家の力が増して、それまで優位を占めていた国家を脅かし得るようになった場合に生じる危険を指して、国際政治学者のG・アリソンは「ツキジデスの罠」と呼んだ。そして、米国と中国が「ツキジデスの罠」から逃れることができるかどうかが、今後の世界秩序にとって決定的に重要だと論じたのである。
アリソンによれば、過去五〇〇年の間に、急速に台頭する国が優越していた国に取って代わろうとした事例が一六あったが、そのうち一二の事例で戦争が起こっている。これに照らせば、史上類を見ないほど急激に力を伸ばしている中国が米国と戦いを交える可能性は相当に高いことになる。とは言え、戦争は不可避ではない(事実、四事例では戦争になっていない)ので、それを避ける方途を真剣に探るべきだというのである。
中国の側も対米関係に潜む重大な危険に全く無頓着というわけではない。二〇一五年九月に訪米した習近平国家主席は、「世界にもともと『ツキジデスの罠』が存在するわけではない」が、「大国間で一再ならず戦略的な誤算が生じた場合、『ツキジデスの罠』を自ら作り出すことになるかもしれない」と語っている。
「ツキジデスの罠」が関心を呼んでいるのは、米中関係の展開によって世界政治の行方が定まるというアリソンの認識が広く共有されているからに他ならない。オバマ大統領も二〇〇九年七月、第一回米中戦略・経済対話の開催に際して、「米国と中国との関係は二一世紀を形作る」ものであり、それゆえに「世界のいかなる二国間関係にも劣らず重要」だと述べたのである。
近年、米国人がよく使う表現を借りれば、現在の米中はフレネミー同士である。フレネミーとはフレンド(味方)とエネミー(敵)を合わせた単語で、「味方のふりをしているが本当は敵である者」あるいは「基本的に嫌っている、または張り合っているにもかかわらず、親しく接している相手」いった意味である。互いにとって当面「敵ではない」が、状況次第で「敵になり得る」存在と言ってもよい。
そのような両国が「ツキジデスの罠」に陥らないとは、どういうことを意味するのであろうか。第一に、「敵ではない」という状態ができる限り保たれねばならない。第二に、「敵になった」としても、直接の武力衝突は避けられねばならない。第三に、武力衝突が生じたとしても、それが大戦争なかんずく核兵器の使用を伴う戦争に発展する可能性は封じられねばならない。これらの条件が満たされる程度に応じて、米中は「ツキジデスの罠」から遠ざかることになると言えよう。
そうした見地に立って、米中の戦略的な関係を多面的に捉えようというのが、本書の狙いとするところである。
そのための準備作業として、第一章では、まず中国の国力伸長を跡づけ、米中間における力関係の推移を測る。その上で、力の分布における変化が大戦争を招来する可能性、平和裡に進行する可能性のそれぞれについて、これまでその根拠とされてきた要因を挙げることとする。
米中が相互に「敵ではない」状態を持続させるためには、両国の大戦略が両立可能であることが必要である。大戦略とは国家にとって最も重要と目される利益を確保、増進するための包括的な政策指針を言うものである。大戦略上の衝突が誰の目にも明らかになれば、「敵ではない」関係を長く続けることは難しくなるであろう。
そこで、第二章、第三章では米中の大戦略を取り上げ、その相関について考える。第二章では、米国の大戦略を構成する基本的な要素を抽出した上で、米国にとって中国が近年まで占めてきた戦略的な位置を探る。第三章では、当今における中国の対外姿勢に焦点を合わせ、その大戦略上の意味を検討すると共に、それが米国大戦略の基本要素と相容れない側面を有していることに注意を向ける。
米中関係の今後を展望するには、大戦略に関する考察を個別の政策領域に即した議論によって補完することが有益であろう。オバマ、習近平の両政権が協力を強調していた分野--「敵ではない」関係を象徴する分野--の一つが、北朝鮮およびイランの核問題である。一方、南シナ海その他における海洋権益の捉え方は、米中の対立が露わとなった分野--「敵になり得る」関係を代表する分野--の一つである。
それゆえ、第四章、第五章ではそれぞれ不拡散・非核化、海洋秩序をめぐる米中関係に分析を加えることとする。第四章においては、戦略的な利害の一致と乖離とが複雑に絡み合っている様子が浮き彫りにされる。第五章においては、中国の政策展開が米国の戦略的な利益と相反する理由が詳しく述べられる。
大戦略上の競合が明らかとなり、個別政策でも協力より対立の側面が表れやすくなるにつれ、軍事力をめぐる両国の動向が重要性を増すであろう。「敵になった」場合への備え方によって、「敵ではない」状態が維持される確率も、また実際に「敵になった」状況において武力衝突が勃発し、あるいはそれが核戦争へとエスカレートする危険も変わってくるはずだからである。
そのような観点から、第六章では、冷戦期に重視された「戦略的安定」の概念を再定義し、特に核戦力をめぐる米中両国の関係が孕む問題について探究を行う。第七章では、中国による通常戦力の増強およびそれに対抗する米国の軍事戦略を俎上に載せ、「戦略的安定」への含意を探ることとする。「ツキジデスの罠」に関する心配は、中国の国力増大が止まった場合、中国の国内体制が改まった場合、それに米国の大戦略が変わった場合には、大きく低下すると考えられる。実際、中国では経済成長の鈍化が「新常態」となっている。圭た、二〇一七年一月に就任した米国のトランプ大統領は、従来の大戦略に背反するような言説を展開してきた。そうした事態の展開をも織り込んで米中関係の長期的な行方を占うのが第八章である。
・米国大戦略の持続可能性
第二章で触れたょうに、米国内においては、東半球の勢力均衡への寄与、開放的な経済秩序の形成、それらの国際制度による実現を基本的な要素とする大戦略に対する抵抗が常に存在しており、それはしばしば縮約論、保護主義、単独主義という形で表出されてきた。トランプ政権の誕生は、そうした動きが米国政治における伏流であることを止め、表面に躍り出たことを意味するものと言えるかもしれない。
トランプ大統領が米国の大戦略に加え得る修正は、中国にとって当面どのような意味を有するであろうか。すでに示唆された如く、「沖合均衡」への関心は、中国による「周辺」の統制強化、範囲拡張にとって好適と解釈され得よう。また、保護主義への傾斜や国際制度への距離は、中国が「現状維持」を標榜することをますます可能にする一方、それが深刻な経済関係の軋轢に繋がった場合、中国の経済成長に負の影響を与えることも考えられる。
しかしながら、米中関係の行方を占うに当たっては、トランプ政権の動向を超えて、既存の大戦略に対する逆流がどこまで持続し得るかが鍵となろう。対外政策に関する米国民の基本的な態度を「ハミルトニアン」「ウィルソニアン」「ジェファソニアン」「ジャクソニアン」に分けて分析するW・R・ミードに従えば、トランプを大統領に押し上げたのは、主として白人男性を中心とするジャクソニアンの政治的な蜂起に他ならない。そして、彼らは(ハミルトニァン、ウィルソニアンから成る)在来の指導層に強い不信を抱いているがゆえに、対外的な関与について懐疑的だというのである。
米国では政治の分極化が深刻になっているが、指導層は党派を超えて大半が従前の大戦略を支持し続けているとされる。一方、トランプヘの支持が何十年にも及ぶ米国社会の変化--経済格差の拡大、少数者の権利拡張、移民の増加等--への反作用を表すものであるとすれば、そうしたエリート層の選好に対する疑念も簡単には訴求力を失わないであろう。その限りでは、中国の戦略的な挑戦をめぐっても、在来の大戦略を前提とした施策に対して、これまでより制動が掛かりやすくなると想定される。
とは言え、ジャクソニアンは米国の民衆に根を下ろす「名誉」「独立」「勇気」「軍事的自尊心」の文化を体現するものでもある。自ら対立を求めることはないものの、他国が戦争を仕掛けてきた場合には「勝利に勝るものなし」という態度を取るというのである。従って、中国の戦略的な挑戦が十分に深刻なものと捉えられた場合には、強烈な対抗措置への要求が一気に高まる事態となることもあφ戦略的再調整の提案
一方、米国の論壇においては、トランプ政権の登場前から、中国との間で戦略的な再調整を図るべく--相互自制や危機管理、信頼醸成の推進に止まらず--大戦略に実質的な修正を施すことを勧める議論も展開されてきた。キッシンジャー元国務長官は、中国に対して米国の抱く「〔地域〕覇権の恐怖」、米国に対して中国の抱く「軍事的包囲網の悪夢」をともども和らげるため、両国は「平和的競争の範囲を定める領域を画する」よう努めるべきだと説く。そして、財政的制約を受けた軍事戦略の変化に照らせば、中国を取り囲む基地網は必要ないと論じている。
カーター政権で大統領補佐官を務めたZふノレジンスキーも、アジアの安定はもはや米国による直接的な軍事力の発動によって押し付けられるものではあり得ないと強調する。その上で、米国は中国近海での偵察活動や哨戒活動を見直し、長期的な軍事計画に関して中国と定期的な協議を行い、さらには「一国二制度」ならぬ「一国数制度」という方式に基づいて台湾と中国との最終的な再統合に取り組むべきだと主張するのである。
また、国際政治学者のC・グレーザーによれば、中国の台頭に伴って、米国は「二次的」な利益を守ることが次第に難しくなっており、そのため「対外政策上の関わり合いを再評価する」必要に迫られている。そこで、中国が南シナ海および東シナ海の紛議を平和的に解決し、また東アジアにおける米国の長期的な軍事安全保障上の役割を公式に受け入れることと引き換えに、米国は台湾防衛の公約を撤回するという「グランド・バーゲン」を試みるべきだと言う。
さらに、M・D・スウェインは、西太平洋における状況を「米国の優越」から「安定した、より公平な力の均衡」に変えていく必要を訴える。その実現に向けた課題として挙げられるのは、①朝鮮半島および台湾の長期的な地位、②東シナ海および南シナ海における海洋紛議、ならびに③第一列島線以西における中国以外の国による軍事活動に関する共通の了解である。これらの区域が米中による争奪の対象でも戦力投射の起点でもなくなり、中国の周辺海域に事実上の緩衝地帯が創設されることが思い描かれるのである。
中国への視線が厳しさを増す中で、当面するところ、こうした議論が多数の支持を得るとは想像し難い。また、それらは現在の共産党政権の野心について「過度に楽観的な評価」に依拠しているように見えるという批判が当たるかもしれない。しかし、米国の大戦略が冷戦期以降初めて変化の可能性を窺わせるに至った現在、米国民一般の動向ともども指導層による選択肢の提示にも引き続き注意を払っていく必要があると言えよう。
米中が「ツキジデスの罠」を克服することができるかどうかは、もとより両国の力が接近する速さや、中国が抱く不満の大きさによってのみ決定されるわけではない。第一章に記したように、核軍備の存在や同盟関係の重要性、それに非国家主体やネットワークの影響増大--「力の放散」と言われるもの--によって、「カの移行」論や覇権安定論が念頭に置くような戦争は、かつてよりも生起しにくくなっていると考えられるからである。
他方、米国の力が未だ総体として優っている段階でも、あるいは中国が「現状打破」の志向を露わにしていない状況でも、両国間に軍事衝突が起こる--そして、それが核戦争にまでエスカレートする--可能性を完全に排除することはできないであろう。偶発的な事件や第三国の行動を引き金として深刻な危機が発生し、特に中国における民族主義の影響も相侯って、米中(を含む国際社会)がその収拾に失敗することがあり得るからである。
従って、二一世紀の世界が大戦争を経験する可能性、平和裡に推移する可能性をめぐって見通しを立てょうと思えば、米中の戦略関係について短期的、長期的いずれの観点からも理解を深める努力が欠かせないのである。
ツキジデスの罠
「ツキジデスの罠」という言葉が注目を集めている。ツキジデスは古代ギリシャの歴史家であり、都市国家アテネとスパタタとの間に起こったペロポネソス戦争を描いたその『戦史』は、国際政治学の古典として名高い。
ツキジデスはこの戦争の原因について、次のように語っている。
「アテーナイ〔=アテネ〕人の勢力が拡大し、ラケダイモーン〔=スパルタ〕人に恐怖をあたえたので、やむなくラケダイモーン人は開戦にふみきった」。
アテネとスパルタとの関係に見られるように、ある国家の力が増して、それまで優位を占めていた国家を脅かし得るようになった場合に生じる危険を指して、国際政治学者のG・アリソンは「ツキジデスの罠」と呼んだ。そして、米国と中国が「ツキジデスの罠」から逃れることができるかどうかが、今後の世界秩序にとって決定的に重要だと論じたのである。
アリソンによれば、過去五〇〇年の間に、急速に台頭する国が優越していた国に取って代わろうとした事例が一六あったが、そのうち一二の事例で戦争が起こっている。これに照らせば、史上類を見ないほど急激に力を伸ばしている中国が米国と戦いを交える可能性は相当に高いことになる。とは言え、戦争は不可避ではない(事実、四事例では戦争になっていない)ので、それを避ける方途を真剣に探るべきだというのである。
中国の側も対米関係に潜む重大な危険に全く無頓着というわけではない。二〇一五年九月に訪米した習近平国家主席は、「世界にもともと『ツキジデスの罠』が存在するわけではない」が、「大国間で一再ならず戦略的な誤算が生じた場合、『ツキジデスの罠』を自ら作り出すことになるかもしれない」と語っている。
「ツキジデスの罠」が関心を呼んでいるのは、米中関係の展開によって世界政治の行方が定まるというアリソンの認識が広く共有されているからに他ならない。オバマ大統領も二〇〇九年七月、第一回米中戦略・経済対話の開催に際して、「米国と中国との関係は二一世紀を形作る」ものであり、それゆえに「世界のいかなる二国間関係にも劣らず重要」だと述べたのである。
近年、米国人がよく使う表現を借りれば、現在の米中はフレネミー同士である。フレネミーとはフレンド(味方)とエネミー(敵)を合わせた単語で、「味方のふりをしているが本当は敵である者」あるいは「基本的に嫌っている、または張り合っているにもかかわらず、親しく接している相手」いった意味である。互いにとって当面「敵ではない」が、状況次第で「敵になり得る」存在と言ってもよい。
そのような両国が「ツキジデスの罠」に陥らないとは、どういうことを意味するのであろうか。第一に、「敵ではない」という状態ができる限り保たれねばならない。第二に、「敵になった」としても、直接の武力衝突は避けられねばならない。第三に、武力衝突が生じたとしても、それが大戦争なかんずく核兵器の使用を伴う戦争に発展する可能性は封じられねばならない。これらの条件が満たされる程度に応じて、米中は「ツキジデスの罠」から遠ざかることになると言えよう。
そうした見地に立って、米中の戦略的な関係を多面的に捉えようというのが、本書の狙いとするところである。
そのための準備作業として、第一章では、まず中国の国力伸長を跡づけ、米中間における力関係の推移を測る。その上で、力の分布における変化が大戦争を招来する可能性、平和裡に進行する可能性のそれぞれについて、これまでその根拠とされてきた要因を挙げることとする。
米中が相互に「敵ではない」状態を持続させるためには、両国の大戦略が両立可能であることが必要である。大戦略とは国家にとって最も重要と目される利益を確保、増進するための包括的な政策指針を言うものである。大戦略上の衝突が誰の目にも明らかになれば、「敵ではない」関係を長く続けることは難しくなるであろう。
そこで、第二章、第三章では米中の大戦略を取り上げ、その相関について考える。第二章では、米国の大戦略を構成する基本的な要素を抽出した上で、米国にとって中国が近年まで占めてきた戦略的な位置を探る。第三章では、当今における中国の対外姿勢に焦点を合わせ、その大戦略上の意味を検討すると共に、それが米国大戦略の基本要素と相容れない側面を有していることに注意を向ける。
米中関係の今後を展望するには、大戦略に関する考察を個別の政策領域に即した議論によって補完することが有益であろう。オバマ、習近平の両政権が協力を強調していた分野--「敵ではない」関係を象徴する分野--の一つが、北朝鮮およびイランの核問題である。一方、南シナ海その他における海洋権益の捉え方は、米中の対立が露わとなった分野--「敵になり得る」関係を代表する分野--の一つである。
それゆえ、第四章、第五章ではそれぞれ不拡散・非核化、海洋秩序をめぐる米中関係に分析を加えることとする。第四章においては、戦略的な利害の一致と乖離とが複雑に絡み合っている様子が浮き彫りにされる。第五章においては、中国の政策展開が米国の戦略的な利益と相反する理由が詳しく述べられる。
大戦略上の競合が明らかとなり、個別政策でも協力より対立の側面が表れやすくなるにつれ、軍事力をめぐる両国の動向が重要性を増すであろう。「敵になった」場合への備え方によって、「敵ではない」状態が維持される確率も、また実際に「敵になった」状況において武力衝突が勃発し、あるいはそれが核戦争へとエスカレートする危険も変わってくるはずだからである。
そのような観点から、第六章では、冷戦期に重視された「戦略的安定」の概念を再定義し、特に核戦力をめぐる米中両国の関係が孕む問題について探究を行う。第七章では、中国による通常戦力の増強およびそれに対抗する米国の軍事戦略を俎上に載せ、「戦略的安定」への含意を探ることとする。「ツキジデスの罠」に関する心配は、中国の国力増大が止まった場合、中国の国内体制が改まった場合、それに米国の大戦略が変わった場合には、大きく低下すると考えられる。実際、中国では経済成長の鈍化が「新常態」となっている。圭た、二〇一七年一月に就任した米国のトランプ大統領は、従来の大戦略に背反するような言説を展開してきた。そうした事態の展開をも織り込んで米中関係の長期的な行方を占うのが第八章である。
・米国大戦略の持続可能性
第二章で触れたょうに、米国内においては、東半球の勢力均衡への寄与、開放的な経済秩序の形成、それらの国際制度による実現を基本的な要素とする大戦略に対する抵抗が常に存在しており、それはしばしば縮約論、保護主義、単独主義という形で表出されてきた。トランプ政権の誕生は、そうした動きが米国政治における伏流であることを止め、表面に躍り出たことを意味するものと言えるかもしれない。
トランプ大統領が米国の大戦略に加え得る修正は、中国にとって当面どのような意味を有するであろうか。すでに示唆された如く、「沖合均衡」への関心は、中国による「周辺」の統制強化、範囲拡張にとって好適と解釈され得よう。また、保護主義への傾斜や国際制度への距離は、中国が「現状維持」を標榜することをますます可能にする一方、それが深刻な経済関係の軋轢に繋がった場合、中国の経済成長に負の影響を与えることも考えられる。
しかしながら、米中関係の行方を占うに当たっては、トランプ政権の動向を超えて、既存の大戦略に対する逆流がどこまで持続し得るかが鍵となろう。対外政策に関する米国民の基本的な態度を「ハミルトニアン」「ウィルソニアン」「ジェファソニアン」「ジャクソニアン」に分けて分析するW・R・ミードに従えば、トランプを大統領に押し上げたのは、主として白人男性を中心とするジャクソニアンの政治的な蜂起に他ならない。そして、彼らは(ハミルトニァン、ウィルソニアンから成る)在来の指導層に強い不信を抱いているがゆえに、対外的な関与について懐疑的だというのである。
米国では政治の分極化が深刻になっているが、指導層は党派を超えて大半が従前の大戦略を支持し続けているとされる。一方、トランプヘの支持が何十年にも及ぶ米国社会の変化--経済格差の拡大、少数者の権利拡張、移民の増加等--への反作用を表すものであるとすれば、そうしたエリート層の選好に対する疑念も簡単には訴求力を失わないであろう。その限りでは、中国の戦略的な挑戦をめぐっても、在来の大戦略を前提とした施策に対して、これまでより制動が掛かりやすくなると想定される。
とは言え、ジャクソニアンは米国の民衆に根を下ろす「名誉」「独立」「勇気」「軍事的自尊心」の文化を体現するものでもある。自ら対立を求めることはないものの、他国が戦争を仕掛けてきた場合には「勝利に勝るものなし」という態度を取るというのである。従って、中国の戦略的な挑戦が十分に深刻なものと捉えられた場合には、強烈な対抗措置への要求が一気に高まる事態となることもあφ戦略的再調整の提案
一方、米国の論壇においては、トランプ政権の登場前から、中国との間で戦略的な再調整を図るべく--相互自制や危機管理、信頼醸成の推進に止まらず--大戦略に実質的な修正を施すことを勧める議論も展開されてきた。キッシンジャー元国務長官は、中国に対して米国の抱く「〔地域〕覇権の恐怖」、米国に対して中国の抱く「軍事的包囲網の悪夢」をともども和らげるため、両国は「平和的競争の範囲を定める領域を画する」よう努めるべきだと説く。そして、財政的制約を受けた軍事戦略の変化に照らせば、中国を取り囲む基地網は必要ないと論じている。
カーター政権で大統領補佐官を務めたZふノレジンスキーも、アジアの安定はもはや米国による直接的な軍事力の発動によって押し付けられるものではあり得ないと強調する。その上で、米国は中国近海での偵察活動や哨戒活動を見直し、長期的な軍事計画に関して中国と定期的な協議を行い、さらには「一国二制度」ならぬ「一国数制度」という方式に基づいて台湾と中国との最終的な再統合に取り組むべきだと主張するのである。
また、国際政治学者のC・グレーザーによれば、中国の台頭に伴って、米国は「二次的」な利益を守ることが次第に難しくなっており、そのため「対外政策上の関わり合いを再評価する」必要に迫られている。そこで、中国が南シナ海および東シナ海の紛議を平和的に解決し、また東アジアにおける米国の長期的な軍事安全保障上の役割を公式に受け入れることと引き換えに、米国は台湾防衛の公約を撤回するという「グランド・バーゲン」を試みるべきだと言う。
さらに、M・D・スウェインは、西太平洋における状況を「米国の優越」から「安定した、より公平な力の均衡」に変えていく必要を訴える。その実現に向けた課題として挙げられるのは、①朝鮮半島および台湾の長期的な地位、②東シナ海および南シナ海における海洋紛議、ならびに③第一列島線以西における中国以外の国による軍事活動に関する共通の了解である。これらの区域が米中による争奪の対象でも戦力投射の起点でもなくなり、中国の周辺海域に事実上の緩衝地帯が創設されることが思い描かれるのである。
中国への視線が厳しさを増す中で、当面するところ、こうした議論が多数の支持を得るとは想像し難い。また、それらは現在の共産党政権の野心について「過度に楽観的な評価」に依拠しているように見えるという批判が当たるかもしれない。しかし、米国の大戦略が冷戦期以降初めて変化の可能性を窺わせるに至った現在、米国民一般の動向ともども指導層による選択肢の提示にも引き続き注意を払っていく必要があると言えよう。
米中が「ツキジデスの罠」を克服することができるかどうかは、もとより両国の力が接近する速さや、中国が抱く不満の大きさによってのみ決定されるわけではない。第一章に記したように、核軍備の存在や同盟関係の重要性、それに非国家主体やネットワークの影響増大--「力の放散」と言われるもの--によって、「カの移行」論や覇権安定論が念頭に置くような戦争は、かつてよりも生起しにくくなっていると考えられるからである。
他方、米国の力が未だ総体として優っている段階でも、あるいは中国が「現状打破」の志向を露わにしていない状況でも、両国間に軍事衝突が起こる--そして、それが核戦争にまでエスカレートする--可能性を完全に排除することはできないであろう。偶発的な事件や第三国の行動を引き金として深刻な危機が発生し、特に中国における民族主義の影響も相侯って、米中(を含む国際社会)がその収拾に失敗することがあり得るからである。
従って、二一世紀の世界が大戦争を経験する可能性、平和裡に推移する可能性をめぐって見通しを立てょうと思えば、米中の戦略関係について短期的、長期的いずれの観点からも理解を深める努力が欠かせないのである。
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