Life in America ~JAPAN編

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ドイツはなぜ責められないのか?

2008-03-27 03:06:27 | アメリカ生活雑感
『The Counterfeiter』を見てから、いろいろいろいろなことが頭をかけめぐる日々。
オーストリア映画とはいえ、製作にあたってはドイツも協力をしている。
ナチス・ドイツの独裁、ユダヤ人虐殺という“歴史的汚点”から目を背けずにいられるこの国は、いったいどうなっているのだろう?そして、ドイツはその過去をどのように清算してきたのだろう。
これが私の率直な疑問だった。

それにはまずドイツの歴史を知らねばならない。夕食のとき、Pちゃんに聞いてみた。
「日本はいまだに近隣諸国から恨まれ続けているのに、ドイツはなぜ過去を清算できているの?」
いまだに清算なんてできていない、まだまだとほうもない時間はかかると思う、と前置きをして彼はナチス前後のドイツのことを話し始めた。

第1次世界大戦で敗戦、ドイツ帝国が崩壊して国家がぼろぼろになったところへ追い討ちをかけたのが1919年のベルサイユ条約。アメリカ・イギリス。フランス・ロシアから領地を奪われ、国の根幹のとなる産業や技術も略奪されて国民のプライドはズタボロになった。そこへ現れたのがヒトラーだった。
彼は、失われつつあった“ドイツ帝国の誇り”を取り戻そうと叫び、そのナショナリズムが一気にどん底にあった人々の心に火をつけることになる。
そしてナチスドイツの台頭。
第2次大戦勃発後、ナチスドイツは隣国ポーランドに攻め入りユダヤ人狩りを始める。
そして敗戦。第1次大戦後、何もかもを奪い取ったことによってかえって独裁者の台頭を許した反省から、アメリカは今度は「与える」方策をとった。
民主憲法の制定、権力をひとつに集中させないような地方分権方式、民主国家を作り上げるための厖大な金銭援助・・。
そうしてドイツは次第に国家として立ち直っていった。

復興と同時に、ドイツ人(政府も国民も)は「二度とあの過ちを犯してはならない」との決意を新たにし、近隣諸国に対し反省、謝罪、悔悟を表してきた。国家荒廃、破産状態にあったドイツにとって、賠償金の支払いもさらに大打撃となったことは言うまでもない。
1970年、西ドイツのブラント首相がポーランドを訪れ、ワルシャワのゲットー記念碑の前にひざまずき「こうすべきであったのに、こうしなかったすべての人たちに代わってひざまずく」と表明、1995年6月にもコール首相は、イスラエルのホロコースト記念碑の前に両膝をつき、国家としての謝罪を重ねて表明した。
この「事件」は、ヨーロッパ中の国民の心を打つ出来事だったという。

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「国民全体が過去の誤りと向き合う教育を受ける」とは以前から聞いていたが、このあと彼がきっぱりと言ったことばにはっとした。

「ドイツでは、ただひとりとしてナチスの過ちを正当化したり言い訳をしたりする政治家はいない。断じて。ましてや誰かを英雄化したり、祀るということも決してありえない。」

ネオナチなど極端なグループは論外として、人々の間にももちろん政治家の間にもこの考えは脈々と染み渡っている。この“誠意の積み重ね”こそが、国家がすべて焼き払われボロボロに崩壊して落ちるところまで落ちたドイツが唯一やってこれた復興の道しるべだったのだ。

日本がいまだに戦後から抜け出せず、国際社会からリスペクトされずに金だけ吸い取られているあわれな国である理由の一端を見た。