Life in America ~JAPAN編

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南京

2008-02-07 03:16:26 | movie
さて、先日鑑賞したドキュメンタリー映画『南京』。

T子さんから事前にいただいた、1月12日付「日米」に掲載された監督のインタビュー記事によると、この映画の内容・趣旨は次のとおり。

1.「欧米ではほとんど知られていない「南京」のことを伝えたかった。 
2. 安全区を設置したアメリカ人宣教師や医師、ドイツ人ビジネスマンの手紙や日記をベースに脚本を執筆。
3. 安全区の宣教師が16ミリカメラで詳細に記録した映像や、大規模な調査で見つかった記録映画もふんだんに使っている。
4. 日本人元兵士の証言も盛り込まれている。
5. 反日映画ではなく、反戦映画を作りたかった。

欧米人のみならず、当の日本人も「南京」事件のことをよく知らない。いや、よく知らされていない。だからといって積極的に知ろうはしない。恥ずかしながら私もそのひとり。
そして外国で、ある日いきなり己が国の恥部を目の前に突きつけられて言葉もなく居心地の悪い思いをするのだ。
この手の記録映画や書籍が世の中に出回るときまって「でっちあげだ」「いや、真実を認めようとしないだけだ」と国同士の堂々巡りが始まる。
昔、バークレーの英語クラスでもこの話題を議論したことがあったが、同じクラスメートだった日本人のNさん(60歳代男性)は「これは中国のでっちあげなんですよ」と堂々と言っていたのを思い出す。
これだけの記録や安全区を設置した外国人(アメリカ人やドイツ人)の証言が残る以上、「なかった」ではすまされない。これでは、何十万というチベタンを虐殺し、国際社会から非難を受けながらも「何もやっていない」と繰り返す中国と同じではないか。

日本政府は「南京虐殺」の事実は認めた(ことになっている)ものの、被害者の実数をめぐってはいまだに「exaggerate(大げさに積み増し)している」という日本側と「認めろ」という中国側の間で睨み合い状態が続いている。

おりしも、「中国製毒入り餃子事件」が毎日日本のトップニュースとして伝えられている。
食の安全には敏感な日本は独自の調査に乗り出し、中国側は「こちらには落ち度はなかった。日本はおおげさだ」と言う。70年前の「南京」からくすぶる両者の「おおげさのシーソーゲーム」は、真実をうやむやにしたままいまだに着地を迎える気配がない。

ひとつだけ確かなことは、この映画がいまだ日本では上映できないという“深刻な事実”。
私は幸運にもこの映画をアメリカで見ることができ、鑑賞後には同じ日本人仲間と意見を交わす機会に恵まれた。しかし当の日本では、山形ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭への出品をも拒否され、配給も断られ上映のめどすらたっていないという。
国民は国の恥部を知るべきであり、決して自虐的にならず正しい知識に基づいて喧々諤々と論議するべきだろう。さもなければ、何も知らずに国際社会に出ていく子供たちの未来は苦しいものになる。
アメリカでは『華氏911』や『An Inconvenient Truth(不都合な真実)』など、国にとって「不都合」で「恥部をあからさまにした」映画が逆境にめげず堂々と上映されて論議されている。しかしその一方で、歴史上最も恐ろしい大量殺戮であるヒロシマ・ナガサキに関しては面とと向き合おうとはしない。過去の恥部を認めるとはかくも難しきことなのだろうか。

一緒に映画を見に行った仲間の一人がこう感想を述べていた。
「こういう映画が自由に上映できない日本という国は、こういう苦しい過去も本当に清算できないし、それを乗り越えて新たな未来を築くこともできないのではないでしょうか。過去というより、現在の日本を憂えちゃうね。」

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