Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

伝統芸能と守銭奴たち。

2017-05-23 14:22:56 | アメリカ生活雑感

こんな記事を読んだ。
「阿波踊りの2017年が中止に?慢性的な赤字で徳島新聞と観光協会に内紛か?」


知らない人が読めば、確かにセンセーショナルな内容だ。
この記事がいったいどのような情報ソースをもとに、何を目的に書かれたかはわからない。この時期に書かれたこともとてもあやしい。
だが、徳島の観光の目玉である阿波踊り開催が赤字の垂れ流し状態であるということは、県人ならだれでも知っている悲しい事実でもある。

阿波踊りが100万人もの観光客が訪れる大きな観光資源になってから、「利権」をひとり占めしようとする勢力が、県、市、連(個々の阿波踊り団体)をいいように牛耳り、そのせいで今や開催までもが危ぶまれているとは、何とも皮肉なものだ。

特等席チケットは、はじめからすでに利権のトップである新聞社の独占状態。踊りを見ようと遠くから足を運び朝早くからチケット売り場に並んだ観光客や、この日を楽しみにしていた地元市民は希望のチケットが手に入らずに結局バカを見るしくみ。
そのくせ、ふたを開けると新聞社が金儲けのために独占した桟敷席は売りさばけずに空席さえ目立つ。

これじゃまるでオリンピックと同じじゃないか。

そもそも伝統芸能とは、県や市が力を合わせて守るべきものじゃないのか?
金の奪い合いをやってる場合じゃないだろう?そう思うと怒りでいっぱいになる。


私も、縁あってシカゴで阿波踊りを踊り広めている徳島市民のはしくれだ。
まだ結成して2年にもたたない素人の団体ながら、近頃では大学や各種団体から阿波踊りを踊ってほしいと頻繁にお声がかかるようになり、メンバーとみんなで一生懸命練習を重ねてみなさんに阿波踊りの素晴らしさを伝えようと頑張っている。
だから余計に、こういうニュースには本当にがっかりさせれらる。

「阿波踊りはお金になる」・・・そもそもこう思われること自体が嫌でたまらない。虫唾が走る。

2015年12月に、私が今の連(シカゴ阿波踊り「美湖連」)の連長を引き受けたのにも、似たような事情があった。
もともとシカゴで阿波踊りが立ち上がったのは、2015年の初めだった。
この年の7月に予定されていた日系団体主催による「Japan Day」という大きな日本祭りのエンタメの目玉として企画されたのがみんなで踊れる阿波踊り。そこで人々の先頭にたって踊れる人たちを養成したいと考えた主催者側が、徳島出身であり過去に阿波踊りを教えた経験のあった(カリフォルニア)私をGoogleサーチで見つけて連絡をよこしたのがきっかけ。

「阿波踊りのインストラクターになってください」

お誘いはうれしいが、私はあくまで素人。「もっとちゃんとした方に教わってください。最初こそきちんと基礎を教えられる人から教わったほうがいいですよ」と知り合いを紹介し丁寧にお断りした。簡単そうに見えて、阿波踊りはそう簡単に踊れるものではないのだ。
それに、今軽い気持ちで引き受けたらあとあと大きな責任を背負って自分の首を絞めることになる。私だっていつまでアメリカにいられるかわからない身なのだから・・・。

それでも、他にも数人お願いできる人がみつかりそうなので、ご負担はおかけしませんと拝み倒され、一度お会いしてお話だけでも、と言われ出かけて行くと、普段からお世話になっている方が同席されていて彼から頼みこまれてもう断れなくなってしまった。

二の足を踏んだのには、もうひとつ理由があった。
大好きな地元の伝統芸能を広めてくれるのはとてもうれしいのだけれど、7月のイベントが終わったあと主催者はここで集めた人たち、つまり阿波踊りを踊りたいと集まった善意の素人をいったいどうするつもりなのかが全く見えなかったことだ。
主催者の営業努力もあって大手“スポンサー”もつき、それなりにプレイベントは盛り上がっていったが、「宴の後」のことは皆に語られることはなかった。

その後、私を含めて4人の阿波踊り経験者がインストラクターとしてほぼ毎週のように遠路はるばる教えに行った。
私は月に一度くらいしか顔を出せなかったが、他の3人はとんでもない(他州からも!)距離を往復してわざわざ教えに行っていた。もちろん、頼まれたものの全くの無償ボランティアだった。(その後抗議をして、交通費だけは支払ってもらったが・・)

そして7月の「Japan Day」はそれなりに盛り上がり、スポンサーも巻き込んで一応の恰好はつき無事終了。

しかし、そのあとは案の定、私が想像していた通りになった。
すっかり阿波踊りに魅了された一部の人たちが、もっと踊りを極めたい、美しくうまくなりたい、これからもみなと踊りを続けたいとの想いを強くしていく一方で、「Japan Day」という業務目標が一段落した主催者にとっては、阿波踊りはもう「終わってしまったこと」だった。
一応練習を続けるもののその先の目標はなく、一気にモラルダウンがみてとれた。
様々な個性的な年上の人たちを束ね、出演依頼や出席確認メールをまわし、お金を立て替えたり練習場所をおさえたり・・・そんなしち面倒くさいことを、とても商売抜きの無償でなんかやっていられなくなったのだろう。

最初は少しなりとも「阿波踊りに対する愛情や情熱」を語っていたので私もほだされてこの舟に乗ったけれど、つまるところお金を生み出す道具として使われていたということがはっきりしたのは、彼がこう言い放ったとき。

「これまで家族までも犠牲にして(阿波踊りイベントをを成功させるために)やってきたから、これからはそのぶんボクだって“回収”しなくちゃいけないんですよ」

回収・・嫌な言葉だ。

そんなら何かい?
私たち「何も知らずに集められた罪のない人びと」は、これからはあなたの商売の道具として無償で使われるってことですかい?
あなたが意気投合した日本のPOPバンドを応援するために、彼らの曲で阿波踊りを踊らされたり、私たちの踊りのYoutubeビデオに、お宅の会社のスポンサー様の広告が毎回流れ、あなたの会社がスーパーとコラボして開催する徳島物産展のうしろで私たちが踊らなければいけない、ってことですかい?

ちゃうやろ!
それは、公私混同やろ。

「7月までは、あなたが主催者ですから私たちはそれに従いました。でもイベントが終わった今はもう私たちは独立した踊りのグループです。あなた個人の会社のものではありません」
面と向かって抗議をしたけれど、どうしてもわかってもらえなかったどころか、すっかりへそを曲げられてしまった。


「わかりました、じゃぁ、誰か連長やってください。伝統とか芸能とかボク、あんまり興味ないし責任を背負うつもりもありません」
これが、捨て台詞。
最初から捨てるつもりだったんじゃん。



阿波踊りは、楽しい。
阿波踊りは、美しい。
阿波踊りは、見る阿呆を踊る阿呆にしてくれ、老若男女すべての人たちを幸せな気持ちにしてくれる。
そして、なにより阿波踊りは日本文化の誇りだ。

だからこそ、私たちは踊るのだ。
自分の時間や交通費や、高い衣装代も負担し、皆でひとつになって踊りに磨きをかけようとがんばるのだ。
決して金儲けのためじゃないし、ましてや捧げたものを「回収」するためでもないはずだ。
以前、太鼓グループ『司太鼓』を率いるベーシストのタツ青木さんにインタビューさせていただいたときにおっしゃっていた言葉を今しみじみと思い出す。

アートとは、“You can only contribute. There is no return.”(捧げるのみ。見返りはない。) やったからお金が入る、人が来る、とかリターンがない世界なんです」


金に目がくらみ、芸能の価値を忘れた人たちが文化をぶっ壊す。
徳島県も、徳島市も、そして巨大メディアである徳島新聞も、本来の阿波踊りの姿を見つめ直してほしい。
400年前に、群衆が喜びで踊ったこの阿波踊りの精神を思い出してほしい。





きちんと踊りたいというメンバーが残るべくして残った。いろいろ制約や犠牲もあるけれど、今が楽しい。




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