Life in America ~JAPAN編

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この子誰の子?

2009-09-27 23:34:05 | アメリカ生活雑感
先週、衝撃のニュースがアメリカを駆け巡った。
オハイオ州の病院で人工授精を受け妊娠した女性に移植された受精卵が、実は他のカップルものだったというのだ。
妊娠の結果判定を待ちわびていた夫婦に届いた医者からの第一声はこうだった。
「妊娠です。しかし、受精卵を取り違えて移植してしまいました」

夫婦はこの“他人の胎児”をこのまま胎内で育て、出産後は本当の両親のもとに返すことを決意したそうだ。
そして9月26日、妻のキャロリンは無事に男の赤ちゃんを出産した。

キャロリンはこう語っている。
「もしも私たちの受精卵が別の人に移植されてしまったら、子どもを返してほしいと思うでしょう。・・・その子にわかってほしいのは、私たちがあなたをいらなかったのではなく、欲しい人が多すぎたんだということ。こうするのが正しいことだった、だからあなたを手放したのだと」

この話にアメリカ中が涙した(かどうかは定かではないが)。
確かに他人の子どもとわかっていながら出産を決意し出産にいたるまでは、並大抵の覚悟ではなかったろう。
しかし、一連の報道を読むにつれ、私は違和感を感じずにはいられなかった。


まず第一に、これは絶対にあってはならない医療ミスである。
メディアはまずこの医療機関の名前を明らかにし、徹底的に原因を追究・解明するべきではないのか。
にもかかわらず、むしろ子どもを産む決意をした夫婦の礼賛に終始し、世間の注目を集めようとしている。絶対におかしい。

新聞では、この記事とともに過去に起こった「取り違え妊娠事件の例」を紹介していた。
「受精卵を間違って移植されたNYの白人夫婦に、黒人の子どもが生まれた」
「日本で医師のミスで他人の子を身ごもった夫婦が、その後その胎児を中絶した」

昨年日本で起こった受精卵取り違え移植事件も例の一つにあげられていた。
しかし、私の目にはくっきりと「それでも生んだアメリカのカップルの勇気と慈悲深さ」、一方で「中絶してしまう(日本人の)残酷さと罪深さ」を暗に比べているように映った。

アメリカはキリスト教の国。
たとえどんな忌まわしい事件や事故の末に妊娠したとしても、キリスト教では中絶=絶対悪だ。
こんな悲しい出来事なのに産む決意をした、そのうえ両親に返してあげるなんてなんて素晴らしい人なのかしら。これでまちがいなく天国にいける。God Bless You。

これでいいのか?

いったいこのカップルはどんなカップルなのか?
調べてみると、なかなか面白いことがわかった。
夫婦にはすでに15歳、12歳の息子と、18ヶ月の娘の3人の子どもがいる。
生きるか死ぬかの難産だった二人目の息子の出産後、夫婦は3人目にチャレンジするもどうもうまくいかず10年以上が過ぎ、最後のたのみの人工授精で早産の末長女を授かった。
キャロリンは39歳。
普通ならばここで満足なはず(私見)。

しかしここからがいかにもアメリカ、という筋書き。
夫妻は、長女の妊娠のときの残りの(使わずに凍結しておいた)5つの受精卵を“宗教上の理由から”破棄することを拒み、結果として3つの受精卵をまたもや体内に戻すことにしたというのだ。
今回、不幸にもその移植が取り違えられたというわけだ。

やっぱりここでも“キリストの教え”か。
受精卵にはすでに魂が宿っているので、新薬の研究に使う、ましてや破棄するなど神が許さない、といつもこうなる。
神の教えに従って、受精卵をひとつも無駄にせず体内に戻そうとしたあなたは素晴らしい。
しかも、他人の子とわかっていても自らの危険を省みずに産んだあなたは、まさに聖母様のようだ。
な~んていう風評をあおっているのが見え見えだ。
アメリカで生活しているとこのあたりがもういやでも見えてきて、もはや美談を美談として受け取れなくなる自分がいる。

医療機関はどう落とし前をつけたのか、取り違えられた別の夫婦の本当の心中はどうなのか、裏でどれだけのお金が動いたのか・・・本当のことは闇に包まれたまま、「神の国のお手本」として礼賛されて終わり、だ。


日本人の倫理観と大きな隔たりを感じる理由は、なにも宗教からくるものだけではない。
法の整備のちがいがとても大きい。
アメリカではサロゲート、いわゆる代理母が認められている。自力で出産できない母親に代わって、母胎を「貸して」あげることが許されている。
代理母にはそれなりの報酬が支払われ、出産後子どもはあとくされなく実の両親に渡され法的に実子と認められることになる。
方や、「誰の体から生まれたか」によって法的な母親が決められる日本では、話がまったく別だ。

もし別の夫婦の子どもを妊娠し産んだとしたら、法律上は「本当の両親」には返してもらえないということになる。
つまり、初めから夫婦以外の子を産むという選択自体が難しいことになるわけだ。

アメリカの医療技術は進んでいるし、さらに法的なバックアップも進んでいる。
しかし、こと“生命の誕生”となると、本当に倫理上これでいいのかと考えこんでしまう。

シングルだけど子どもが欲しけりゃ、精子バンクで精子をもらい、
自分の卵子に問題があれば、卵子提供をしてもらい、
自分の体で不可能ならば、代理母に産んでもらえる。
挙句の果てには、子どもができなきゃ養子をもらえばいいじゃん。
そんなに簡単にすまされていいことなのか?
まるで、不健康な食事をさんざんしておいて、「太ったら胃を小さくする手術を受ければいいのよ」と言っているのと同じような軽さを感じる。


どうしても子どもが欲しいという熱い気持ちをかなえられる技術があるのは素晴らしいこと。
しかし、法と技術が進むにつれ大事なものがなおざりにされていっているような気がしてならない。

Comments (2)
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