すばらしい映画を見た。
久しぶりに胸の中がいっぱいになって、何度も何度も見た。
『Guess Who's Coming to Dinner』(邦題:招かざる客)
1967年、今から42年前の作品だ。
監督は、ハリウッドでもバリバリの社会派として知られるスタンリー・クレイマー。
この作品を選んだのには理由がある。
そのひとつは、オバマ大統領が誕生した今、当時のアメリカの社会の様子に興味があった。そのころのアメリカでは、人種差別はどのようであったのか、inter racial marriage(異人種間結婚)はどのように捉えられていたのだろうか。
もうひとつは、この映画の設定の妙だった。
サンフランシスコで新聞社を経営する“リベラル”な父親(スペンサー・トレイシー)とその妻(キャサリーン・ヘップバーン)。その両親のもと屈託なく育った娘(キャサリン・ホートン)が、あるときハワイで恋に落ちた相手との結婚の許しを得に戻ってくる。その相手はなんと、黒人のジョン(シドニー・ポワチエ)だった。
娘の相手が黒人であったことにうろたえショックを隠せない両親。そこに、今度は何も知らないジョーの両親が、息子の結婚相手に会うためロスから勇んでサンフランシスコに飛んでくる。重苦しい雰囲気の中、お互いの両親は対面を果たしデイナーを共にすることになるのだが・・・。
この映画が製作された42年前の1967年のアメリカは、どんな時代だったのだろうか?
マルティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が「I have a dream」スピーチを行ったのはそれより3年前の1964年。
アメリカ国内の黒人解放運動、公民権運動はピークに達し、ジョンソン政権下の1964年7月2日、ついに公民権法(Civil Rights Act)が制定され法の上における人種差別が事実上廃止された。
しかし、まだまだ実際の社会ではくっきりと差別が存在していた1967年という時代。
映画の中でも、サンフランシスコ空港に下り立った仲むつまじいふたりを、周りの人たちは奇異の目で見つめている。(両親の住む町をサンフランシスコというリベラルな街にしたのも、少しでも現実味を増すためだったのだろう)
二人の関係を知った母の友人でありギャラリーの共同経営者は「I'm sorry(かわいそうに・・)」と母に言い、即刻クビにされる。
この家で20年メイドをしている黒人のティリーは、「こんな忌々しいことがあっていいものか!」と、同じ黒人のジョンを目の敵にする。
黒人はまだ、“negro(ニグロ)”と呼ばれている。
40周年記念DVD化(2007年)のボーナススペシャルインタビューで、娘を演じたキャサリン・ホートンは、「命を狙われる脅迫を受けた」と証言していた。
また、この映画は初めて黒人と白人のキスシーンを見せた作品だったという。キスシーンといってもあくまでも“フリ”にしかみえないが、当時としては衝撃的だったはずだ。
それに、まだ当時全米16州で白人と黒人の結婚は禁止されていた。
そのような時代背景を感じながら見ると、今では当たり前のシーンひとつひとつが妙に重く受け止められる。
ジョンを「世界的にも有名なエリート医師」という設定にしたのも、彼が“普通の黒人”であってはとても世間から受け入れられないとわかっていたのだろう。
そして、映画のテーマとなるのが“黒人と白人の結婚”というシチュエーション。
普段は人種差別を厳しく非難する立場であるリベラル派ジャーナリストの父親が、いざ自分の娘が黒人のいいなずけを連れてきたときの苦悩と葛藤。
人はかくもHypocrite(偽善者)なのだ。見ている誰もが彼を責めることはできない。
白人の両親が、娘の相手が黒人だと知った瞬間。
黒人の両親が、息子の相手が白人だと知った瞬間。
この映画の中には、4通りの驚きと苦悩と困惑の瞬間がある。
それが見ていてたまらなく、映画と自分の姿とがオーバーラップして涙が止まらなかった。
ところで、私がもっとも衝撃を受けたのが、父親とジョンが、ふたりの将来について語るシーンだった。
父親は白人と黒人の結婚がどんなに厳しいものか、将来をどんな風に考えているのかとジョンに問いただす。
「ふたりの子どもたちのことを考えたことがあるのか?娘はなんと言っているのだ?」
するとジョンはこう答える。
「彼女は、子供は大統領になって多人種の政権を作るって思っていますよ」
「君はどう思う?」
「僕は、彼女の意見はかなり楽天的だと思いますけど、せいぜい国務長官くらいはと・・(笑)」
42年前に作られた映画の中で、監督はこういう世の中が来てほしい、そんなアメリカであってほしいと願いをこめてこの台詞を入れたのだろう。
それが今、現実のものとなったのだと思うと、またしてもここでポロリ。
バラク・オバマ氏が生まれたのは1961年。
白人の母がハワイでケニア人の父と恋に落ち結婚したのは、この映画よりもさらに前のこと。まだ公民権法も制定される前だ。
そんな時代にあって、母の両親はどんな思いで二人の結婚を認め、周囲の視線と戦ったのだろうか。
映画のラストシーンで、父親は最後に全員を前に思いのたけを吐露する。
その息をのむようなシーンは、言葉ではとても説明できない。これだけはぜひ、実際にみてもらいたい。
バラク・オバマはきっと、こんな祖父母に育てられたに違いない。
大統領選挙の2日前に亡くなった祖母を心から敬愛していたオバマ氏。彼女を偲んで遊説先で一筋の涙を流したオバマ氏の心に、キャサリーン・ヘップバーンの演じた母親が重なった。
この映画で、ヘップバーンは1967年のオスカー、最優秀女優賞を受賞している。
久しぶりに胸の中がいっぱいになって、何度も何度も見た。
『Guess Who's Coming to Dinner』(邦題:招かざる客)
1967年、今から42年前の作品だ。
監督は、ハリウッドでもバリバリの社会派として知られるスタンリー・クレイマー。
この作品を選んだのには理由がある。
そのひとつは、オバマ大統領が誕生した今、当時のアメリカの社会の様子に興味があった。そのころのアメリカでは、人種差別はどのようであったのか、inter racial marriage(異人種間結婚)はどのように捉えられていたのだろうか。
もうひとつは、この映画の設定の妙だった。
サンフランシスコで新聞社を経営する“リベラル”な父親(スペンサー・トレイシー)とその妻(キャサリーン・ヘップバーン)。その両親のもと屈託なく育った娘(キャサリン・ホートン)が、あるときハワイで恋に落ちた相手との結婚の許しを得に戻ってくる。その相手はなんと、黒人のジョン(シドニー・ポワチエ)だった。
娘の相手が黒人であったことにうろたえショックを隠せない両親。そこに、今度は何も知らないジョーの両親が、息子の結婚相手に会うためロスから勇んでサンフランシスコに飛んでくる。重苦しい雰囲気の中、お互いの両親は対面を果たしデイナーを共にすることになるのだが・・・。
この映画が製作された42年前の1967年のアメリカは、どんな時代だったのだろうか?
マルティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が「I have a dream」スピーチを行ったのはそれより3年前の1964年。
アメリカ国内の黒人解放運動、公民権運動はピークに達し、ジョンソン政権下の1964年7月2日、ついに公民権法(Civil Rights Act)が制定され法の上における人種差別が事実上廃止された。
しかし、まだまだ実際の社会ではくっきりと差別が存在していた1967年という時代。
映画の中でも、サンフランシスコ空港に下り立った仲むつまじいふたりを、周りの人たちは奇異の目で見つめている。(両親の住む町をサンフランシスコというリベラルな街にしたのも、少しでも現実味を増すためだったのだろう)
二人の関係を知った母の友人でありギャラリーの共同経営者は「I'm sorry(かわいそうに・・)」と母に言い、即刻クビにされる。
この家で20年メイドをしている黒人のティリーは、「こんな忌々しいことがあっていいものか!」と、同じ黒人のジョンを目の敵にする。
黒人はまだ、“negro(ニグロ)”と呼ばれている。
40周年記念DVD化(2007年)のボーナススペシャルインタビューで、娘を演じたキャサリン・ホートンは、「命を狙われる脅迫を受けた」と証言していた。
また、この映画は初めて黒人と白人のキスシーンを見せた作品だったという。キスシーンといってもあくまでも“フリ”にしかみえないが、当時としては衝撃的だったはずだ。
それに、まだ当時全米16州で白人と黒人の結婚は禁止されていた。
そのような時代背景を感じながら見ると、今では当たり前のシーンひとつひとつが妙に重く受け止められる。
ジョンを「世界的にも有名なエリート医師」という設定にしたのも、彼が“普通の黒人”であってはとても世間から受け入れられないとわかっていたのだろう。
そして、映画のテーマとなるのが“黒人と白人の結婚”というシチュエーション。
普段は人種差別を厳しく非難する立場であるリベラル派ジャーナリストの父親が、いざ自分の娘が黒人のいいなずけを連れてきたときの苦悩と葛藤。
人はかくもHypocrite(偽善者)なのだ。見ている誰もが彼を責めることはできない。
白人の両親が、娘の相手が黒人だと知った瞬間。
黒人の両親が、息子の相手が白人だと知った瞬間。
この映画の中には、4通りの驚きと苦悩と困惑の瞬間がある。
それが見ていてたまらなく、映画と自分の姿とがオーバーラップして涙が止まらなかった。
ところで、私がもっとも衝撃を受けたのが、父親とジョンが、ふたりの将来について語るシーンだった。
父親は白人と黒人の結婚がどんなに厳しいものか、将来をどんな風に考えているのかとジョンに問いただす。
「ふたりの子どもたちのことを考えたことがあるのか?娘はなんと言っているのだ?」
するとジョンはこう答える。
「彼女は、子供は大統領になって多人種の政権を作るって思っていますよ」
「君はどう思う?」
「僕は、彼女の意見はかなり楽天的だと思いますけど、せいぜい国務長官くらいはと・・(笑)」
42年前に作られた映画の中で、監督はこういう世の中が来てほしい、そんなアメリカであってほしいと願いをこめてこの台詞を入れたのだろう。
それが今、現実のものとなったのだと思うと、またしてもここでポロリ。
バラク・オバマ氏が生まれたのは1961年。
白人の母がハワイでケニア人の父と恋に落ち結婚したのは、この映画よりもさらに前のこと。まだ公民権法も制定される前だ。
そんな時代にあって、母の両親はどんな思いで二人の結婚を認め、周囲の視線と戦ったのだろうか。
映画のラストシーンで、父親は最後に全員を前に思いのたけを吐露する。
その息をのむようなシーンは、言葉ではとても説明できない。これだけはぜひ、実際にみてもらいたい。
バラク・オバマはきっと、こんな祖父母に育てられたに違いない。
大統領選挙の2日前に亡くなった祖母を心から敬愛していたオバマ氏。彼女を偲んで遊説先で一筋の涙を流したオバマ氏の心に、キャサリーン・ヘップバーンの演じた母親が重なった。
この映画で、ヘップバーンは1967年のオスカー、最優秀女優賞を受賞している。