津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■佐藤家と草野家

2022-10-25 12:58:23 | 先祖附

「肥後先哲遺蹟」を読んでいて、佐藤家-草野家に深い係わりが見え、又草野家が田中城城主・和仁勘兵衛親實に係わりあるお宅である事が判明、わが「新・肥後細川藩侍帳」を変更修正することにした。

■ 佐藤七之助  (南東45-16)
    1、半七(直方、安節) 人持衆并組外衆 二百石 (御侍帳・元禄五年比カ)・・左藤半七
         佐藤竹塢 越後の人、名は直方、通称半七、竹塢と号し、晩年安節と称せり。
              林家に学び業成りて熊本に来り仕へ侍講となる。禄三百石。
              宝永五年七月廿七日没す。年六十二。墓は春日町萬日山下長谷。 

            細川綱利公御書出(元禄六年)三百石
    2、半四郎(直房・潭水)
    3、半七(養子 実門弟・竹下氏 初・長之進、文右衛門・固菴)
           佐藤固菴 名は實祐、字は自天、通称長之進、初松洞と號し、晩年固菴と改む。玉名軍の人竹下的庵の子なり。
                本草野氏、佐藤竹塢に學び、後其家を継ぎて半七と改む。藩の侍講教師となり、禄三百石を食む。
                享保八年十二月十四日歿す。年四十一。墓は十丁里。
    4、左大夫(養子・実半四郎実子 半弥貞信 )  三百石 御儒者 屋敷・山崎
    5、三郎右衛門 七番与 三百石
    6、寿八      新御屋形御小姓役 二百五十石
    7、寿一郎(半助・寿八) 御番方・杤木内匠組 二百五十石
                    長崎聞役(嘉永六年ころ)
    8、半兵衛
    9、七之助    御番方十一番寺尾九郎左衛門組 二百五十石

 

■ 草野半平  (南東33-27) 
    1、隼人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(田中城城主・和仁勘兵衛親實 徒弟、天正15年田中城戰死)
    2、和仁惣右衛門(宮内・歓西 筑前柳川浪人)
    3、   吉兵衛(教西 三池住)
    4、   宗哲(玉名郡十丁村・竹下了味養子・竹下的庵-医業をなす)
    5、佐藤半七(初・竹下長之進・文右衛門)佐藤半四郎の養子となる。
    6、   左大夫・・・・・・・・・・・・・・・・・(佐藤家4代・左大夫 養子・半弥貞信のことか)
 半七子・草野雲平を以て創家となす。草野姓は実家と有るが母方姓か?
    7、草野雲平(佐藤半七嫡男)  (1)外様御儒者 百石御蔵前
            (2)御鉄炮廿挺頭同列・助教 百石御役料二十俵 隠居七人扶持
            
草野雲平知行所附目録(安永十年)百石
    8、  嘉善(善平) 佐敷御番組脇 ・佐敷御番頭組 二百石内百石御足高
            
細川治年宛行状(天明六年)百石
                目録            同上
                細川斎茲宛行状(天明八年)百石

            
細川斎樹宛行状(文化九年)百石
      草野蘭渓 名は嘉、嘉膳と称す。雲平の長子なり、時習館習書師となる。
                  天保十年十月二十八日没す。年七十八。
    9、  半次
    10、  長之進(半平)

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