4年ほど前■坪井七曲りと木山往還七曲りを書いたが、木山往還に於いては砂取橋以降のルートを間違っていたので正しいルートを朱書き
で書き加えてお茶を濁していた。
最近知人がこれを見付け、「文章の訂正はしてあるが、地図の方が訂正してない」とのお𠮟りである。
そして、「砂取橋以降のルート地図を掲載してほしい」とのリクエストである。
そこで、砂取橋以降のルート図を以下の如くお示ししておく。
今日は天気も良く、八丁馬場の桜を見たいと思いアシスト自転車で出かけてみた。
昨日は江津湖周辺の句碑をご紹介したが健軍神社周辺にも石碑がある。
健軍神社前の西南の役に出陣した熊本隊の集合地に、岩下雄二の「早雲の雲は流るゝ形せり」がある。
境内には中島一葉の「生れ故郷わが楽書の残る宮」があった。
桜を愛で、神社を拝礼して木山往還と花立往還のルートを確認する。
両ルートとも今では、自衛隊西部方面総監部(健軍駐屯地)と大きな団地群に分断されて、ルートは途切れてしまっているが、以前私は
その先のルートを辿って熊本市と益城町の境の「追分」まで出かけたことがあり、報告をしたことがある。
■木山往還・第二部
■散歩がてらに花立往還を歩く
■木山往還に桜木の追分石と、益城の猫伏石を訪ねる
■木山往還・花立往還 踏破計画
問題はこの追分から木山の終点までに至るルートなのだが、これがよくわからないでいる。
私のサイトは昔「他力本願的」と冠していて、大いに人様のお力添えに頼っていたが、この件については熊本史談会会員で木山にお住いの
T氏のお力に頼ろうと虫の良いことを考えている。
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