津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

しょのみ心・・・?

2013-08-15 18:34:02 | 徒然

熊本弁に「しょのむ」がある。「妬む」の意だが鳥取地方でも使われているらしい。
さて以下の記事はまさに「しょのみ心」の表れだと思うのだが・・如何。

                  婚禮之家ニ礫を打、或ハ石を以門戸を打崩候様なる儀有之哉ニ相聞、狼藉之仕形ニ候、勿論下賤之者共之仕業ニハ
                  可有之候得共、甚不都合之事ニ付、以来右躰心得違之者無之様、末々迄屹ト可被申付置候、若自今以後右様之儀
                  於有之ハ被仰付候筋可有之候、尤両隣向三間よりも可被附心候、此段一統可及達旨、以下例文
                       (文化十年)十二月朔日                   御奉行中
                                                                     (度支彙函 773)

嫁取りも出来ぬ二三男の仕業か、それとも密かに思いを寄せた男の仕業か・・・・・せつないですね~~ 

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えーいもさいさい

2013-08-15 09:11:28 | 地図散歩

季節外れの事で申し訳ないのだが・・・・

城内、家老長岡(米田)監物の屋敷の門に飾られた注連縄を盗んだ不届き者を、屋敷の者が追いかける。逃げ場所を失い高さ5~6メートルはあるに百間石垣に追い詰められた不届き者は「えーいもさいさい」と、後ろ跳びにその石垣を飛び降りた(??)と伝えられる。山東弥源太という「悪ごろ」少年だが、後の「兵法二天一流」の五代師範・山東彦右衛門清秀だとされる。熊本では何か思いがけない事をする時に、この言葉を使う。

どうやらこのような悪戯は、「悪ごろ」の格好の遊びでもあったようだ。
文化四年正月の「達」に次のようにある。

                  年頭門/\ニ有之候飾縄、若年之者共忍々ニ煎取候儀有之、小児之致方とハ乍申、右躰之儀堅不仕様、尤以来右
                  躰之儀有之候ハゝ捕候て其名を承届相達候様、廻役之者へ申付置候段追々及達置候處、近年又々相弛候様子ニ相
                  聞不都合之至候、彌以先年及達置候通相心得候様、且又近来御府中於近邊子供之遊事ニ藁芥を集、左義長躰之儀
                  をいたし候様子ニ候、所柄又は風立候節は火用心無心元候間、有来候左義長之外右躰之儀不仕候様、右之趣家来
                  末々迄不洩様可申付旨候様、左様御心得、已下例文
                          正月十一日                   御奉行中
                                                               (度支彙函・寛政元より文化七迄法令條論682) 

古地図を眺めながら、「ははー、この道をこんな具合に逃げたのか」と思いを馳せるのもまた一興ではある。

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