津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本藩の支配機構--1 「機密の間」(一)

2014-11-26 06:56:25 | 史料

熊本藩の支配機構については「官職制度考」に詳しいが、後の大奉行・島田嘉津馬が著したとされる「舊草略記」ではそれぞれの職について詳しく述べられている。文化九年八月の著とされるこの資料をご紹介する。

機密間(局) 此局は國中の大事詰論の號令士の選授勲封考課積分三年大比賞罰の政令を司る 凡事は密を以成り洩露して敗る故機密局あり 家老の文書を取調す
         奉行六人都て此局を指揮す 佐貮役二人・根取一人・書記八人、官印有 (官職制度考)

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一、御家老之御用向前廉ハ自分宅/\ニて物書共取計来候処宝暦六年ゟ左之通
一、唯今迄考績并職々最条等之極不分明黜陟不同も有之候条はきと相極御下國之上可奉伺候 依之貴殿請込調可被致と蒲池喜左衛門達有之候事
     覚
  当時迄律令格式不相立候故煩敷儀も有之候 今度其方平太左衛門しらへ申付候 存寄之儀不関古格しらへ可申事
    右之御書附去年二月長岡助右衛門江御直ニ御渡被成候 拝見可仕置由ニ付記置候事

一、宝暦六年六月月番之御家老外ニ長岡助右衛門是福御役所日々出席いたし候筈ニて書院之内屏風囲詰所出来之事
  但御家老間詰坊主此節ゟ御役所ニ詰候
一、堀平太左衛門勝名詰所今迄之間所ハ左ニ記候通ニて貳間ニ三間之家新ニ造畢 四月八日ゟ右之間所ニ出座仕候
一、今度之しらへニ付機密間出来可然と是迄右平太左衛門詰所を貳間ニ壱間継延機密間ニ相定四月廿六日ゟ長瀬宇平佐貳役ノ初・中津佐助相詰候様申渡候佐助ハ根取ニて御座候 
一、 宝暦六年被改於御奉行所御家老間 御家老・御中老・大御奉行・御奉行等会議 大御目附・御目附列座有之候
  但安永三年十月十一日ゟ御用人も一人宛可致出座旨被仰出 寛政四年六月御用人会議寄合之節出席に不及旨被仰出候 同八年九月又元之通一人宛出席仰付候
一、賞罰之儀着座以上副役御奉行御目附ハ御家老評議 江戸御留守居以下ハ御奉行会議しらせ被仰付候事
  士中知行代々相続之事 大躰当國之高に応し古代之者定有之候処中古ゟ我等ニ及迄新知加禄等も総て世録ニ申付来候ニ付 当國不相応之高ニ至り 後来勲労之者有之とも賞すへ
  き禄乏 救世背前代之本意候 依之慶安二年以前之知行ハ旧知之家ニ付無相違相続せしめ右以後之新知加禄ハ代々相続之高を斟酌し可申付 尤子孫抜群之功労ニよつてハ旧古
  之家ニ准し 或ハ子孫之才能ニよつてハ強ニ世減すへからす 新知加禄之儀等付てハ近年申渡置候趣有之候条 何れも存候ため申聞置もの也
     宝暦六年閏十一月           御印
一、旧知慶安二年迄之御知行 隠居家督跡式相続之儀無相違被仰付候 尤隠居願候者又ハ病死之者其身ニ当り不埒有之候歟 嫡子養子名跡相続之身ニ当り不埒有之候へハ減知も被仰付
  候事

一、新知世減被仰付候 尤無役は御奉公五十年以上 御役付ハ三十年以上 格別繁劇之御役ハ三十年未満ニても無相違被下置候 各例を照して論判仕候 且又勤労年功ニより其身
  ニ被下候御知行或は御加増ハ子之代迄ハ減知不被仰付候
    但 家業寸志は別途之御究り有之候事
一、下地旧知有之候ニ御加増被下候得ハ其加増高分ハ世減被仰付候 削て五拾石ニ至り候へハ其分ハ旧知ニ准し世禄ニ被仰付候
  (付箋)「文政四年被改 本文五拾石之儀も世減被仰付筈ニ相極り候事}
  新禄も八十年以上之知行ハ世減して百石ニ至り候へハ旧知ニ准候処 寛政六年十二月ゟ被改凡て之新知打込ニして被削 御中小姓五人扶持拾石ニいたり代々相続ニ被究候事
一、慶安以後之御知行たりとも 慶安以前之御知行を再興之訳有之候ハ旧知に被准候 例を照して論判仕候
一、子孫之芸能ニよつて無相違被下置候ハ免状之芸二ッ以上 或ハ免状之芸一ッ目録二ッ以上 目録計ニ御座候得は四ッ以上 文学ハ免状目録等之品目無之候間師範より技芸ニい
  たし候へハ学業之位免状又ハ目録ニ当り候と申候申立之趣ニ因て論判仕候 一芸ニても世挙て上手と称(す)る程之類ハ例を照して論判仕候
  (付箋)「文政八年被改 軽輩ゟ御取立御擬作被下置候ハ子孫之芸免状三ッ以上 目録ニて御座候へハ六ッ以上ニ相究り候事」
一、世減之儀御知行高之多少ニより被減候員数 堀平太左衛門勝名 自筆之書付ニ委細置之申候 
一、開を差上御知行ニ被結下候ハ旧知ニ准し申候 右結開之御知行元文二年ゟ被差止候 其節之僉議ニ委細相分居申候事
一、乱心之跡ハ不被立下候処 宝暦三年七月ゟ格別之訳も無之自殺なといたし候ハ跡式尋常之趣を以僉議被仰付候 尤如何敷様子も有之候ハ斟酌も被仰付候得共 実之乱心ニて
  家出等いたし候ハ 文化七年沢村八太郎乱心之節被仰出候趣有之 以来ハ此例等を照し評決仕候筈候事 

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