津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

寛永二十一年七月十四日 「覚」 

2008-11-30 11:24:46 | 歴史
                
一、堀長左衛門知行四百石并家屋敷共ニせかれ五郎左衛門ニ可遣也
一、佐野次太夫知行弐百石并家屋敷共ニせかれ次兵衛ニ可遣也
一、磯貝次郎左衛門知行三百石并家屋敷共ニせかれ七郎右衛門ニ可遣也
   七郎右衛門先知・家屋敷上ヶ可申也
一、横田勘左衛門知行弐百五十石之内百五十石家屋敷共ニせかれ吉左衛門
   ニ可遣 残百石吉左衛門弟助丞ニ可遣也
一、上林甚助知行三百石之内弐百石家屋敷共ニせかれ二郎左衛門ニ可遣候
   今迄甚助ニ預置候与も二郎左衛門ニ預置可申也 残百石二郎左衛門弟
   甚十郎ニ二郎左衛門今迄之家屋敷共ニ可遣也
一、金守清太夫せかれ清十郎ニ八人扶持方歳十五ニ成候迄可遣也
一、船頭河野惣右衛門知行八拾石せかれ六兵衛ニ可遣也
 以上
  寛永弐拾壱年七月十四日 御印
              奉行中 


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