津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

竹宮という処

2013-06-28 08:22:50 | 熊本

 「水野勝成覚書」を読むと、肥後国衆一揆の折勝成は竹宮(タケミヤ=健宮)を攻めている。竹宮は現在の健軍(ケングン)であるが、かっては竹宮の城(健軍陣内城)があったという。肥後國誌にも取り上げられているが、場所は定かではないらしい。勝成が責めたというのはこの城のことであろう。

私が以前住んでいた「三郎」という処は、この竹宮一帯を支配下にし健軍神社の宮司職にあった阿蘇三郎惟盛に由来するらしい。
竹宮原という広大な原野が広がっていたらしく、詫摩原とか龍の原とか呼ばれ「詫摩原合戦」の地である。
健軍神社はその創立が欽明天皇十九年というから、古い歴史を持つ神社であり熊本の最古社ともいわれる。その参道は八丁馬場と呼ばれ加藤清正の馬責めの場所であったといわれる。実際はそれよりも長く1,200メートルの直線道路(途中東バイパスが横断している)の両脇には杉並木が連なる見事な参道である。かっては「戦の神様」とも言われていたらしく(?)、西南の役にあたっては池邊吉十郎を首将とする熊本隊がここから進発している
自衛隊の西部方面総監部がすぐ近くにあり、縁を感じさせている。
 

古文書に触れその内容についていろいろ調べていると、身近な地元の町と思っていたこの場所について何にも知らなかったことに気付かされた。

                                        

                    楼門前の背の低い鳥居が何とも不思議・・・当たり前の高さにすると楼門がよく見えないからという事らしいが・・・・・・
 

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