津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■銀廿貫め

2020-05-19 14:55:58 | 歴史

 先のブログにある「三斎へ返上銀廿貫」を特に取り上げてみたい。
    一、𠮷岡瀬兵衛ニ、中津様へ御返上銀廿貫め持せ遣候、但、御長柄衆六人ニ持せ申候事、

小倉藩として「三斎から借り入れていた銀20貫目を返却した」ということであろう。
銀20貫とは 20×3.75㎏=75㎏にあたる。進物用などの呼称として「銀一箱」があり10貫(37.5㎏)入りである。
「千両箱」のような専用の箱があったのだろうと思われる。つまり二箱を御長柄衆6人が、小倉から中津へ運んだ。
御存知のように江戸時代は「三貨制」であり、誠に複雑でなかなか理解しがたい。銀を金換算して置き換えてみる。

     ・ 銀一貫は、1,000匁=10,000分=100,000厘=1,000,000毛

     ・ 当時(江戸時代前期)における金一両は銀貨六〇匁に相当するものとする。
     ・ 金価格については特定しがたいが、ここでは一両を80,000円と仮定する。
     ・ これらのことから銀一貫は、80,000円×(1,000匁÷60匁)≒1,330,000円
       (あるサイトに「銀一貫は自動車が1台買えるくらいの金額」とあるが、軽自動車ですね。)
     ・ 銀20貫は 1,330,000円/貫 × 20=26,600,000円ほどということになる。

ちなみに現在銀の価格(ここ数日急騰中)は67,000円/㎏ほどだから、5,025,000円、当時からするとその価値は1/5以下(約19%)に下落していることになる。
小倉藩はこの時期から金欠状態であるが、中津様(三斎)から返済の要請があったのだろう。
これは藩主忠利との親子の関係ではなく、藩と中津様のビジネスである。

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