津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■三淵藤英と一族

2020-12-29 07:13:21 | 人物

                      

 今回のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」に於いては嬉しいことがいくつもあった。
その一つが、谷原章介演じる処の三淵藤英がかくも多くの場面に登場し、全国区に知ってもらったことであろう。
それでも細川藤孝(幽齋)の兄であるということまで、理解をしておられた方はあまり多くはなかったのではないか。
歴史的デビューを果たしたように思える。

下図の如く、藤英と細川藤孝は三淵晴員の子だが、ご承知の如く藤孝は将軍・義輝と船橋宣賢女の間に生まれた男子だと伝えられている。
藤孝を身ごもったままで晴員に下しおかれたというから、二人は同姓ながら、異父・異母兄弟ということになる。
二人の間に武田信重室となった「宮川」がある。ガラシャ夫人生涯の時、夫人の指示により玉造の屋敷から落ちのびた叔母と紹介されるのがこの人である。
藤孝の下に大徳寺の高桐院開山の玉甫和尚と、南禅寺の長老元冲がいるが、この二人の生母は船橋宣賢女の可能性はある。
細川家家臣の三淵家の祖の好重は末弟、生母は山名民部少輔女であることから、三淵氏は山名姓を名乗ったりしている。
一番下に女子があるがこの系図では欠落している。土御門久倄に嫁ぎ二条泰重を生んだ。


藤英の嫡男・秋豪は父と共に坂本城で戦死したとあるから、TVにあるような最後ではなく、壮烈なものであったのかもしれない。
秋豪の跡を継いだ藤利は、秋豪の弟・光行の嫡男である。
足利将軍家に最後まで仕えた藤英・秋豪の子孫は徳川家に仕えて明治に至っている。

               

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■細川小倉藩(444)寛永六年... | トップ | ■細川小倉藩(445)寛永六年... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三淵藤英 (柴田)
2020-12-29 14:31:04
三淵藤英を気高い人物として描かれていてよかったですね。これからもドラマで登場することが多くなるかもしれませんね。
ところで、たまとの交流シーンのユリの花はどういう意味が込められていたのでしょうか。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/15/18cb9cfe6535ed26e64ef5fbb801e71d.jpg
返信する

コメントを投稿