徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

南太平洋(1958)

2020-08-05 10:00:30 | 映画
 FB友のM様が、映画「南太平洋」(1958)のオリジナル・サウンド・トラックを収めたLPレコードを紹介されていた。借りたいくらいだが、もうプレーヤーを持っていないのが残念だ。
 この映画は中学時代に見た忘れられない映画の1本。70mmの巨大スクリーンで見た最初のミュージカル映画でもあった。ロジャース&ハマースタインの黄金コンビによるブロードウェイ・ミュージカルの映画化。このコンビの作品はその後、「王様と私」「サウンド・オブ・ミュージック」なども見ることになる。
 この映画の中で歌われた珠玉のナンバーの中から、下の3曲を選んでみた。それにしてもフランス・ニュイエンが可愛かった。(^_^.)





魅惑の宵


バリ・ハイ


ハッピー・トーク
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ポビドンヨード!?

2020-08-04 17:55:07 | ニュース
 「うそのような本当の話」という切り出しで始まった大阪府の吉村知事の会見。うがい薬の成分「ポビドンヨード」で新型コロナウイルス感染症の治療効果が期待できることを確認したという。ドラッグストアにはこの成分を含んだうがい薬を買い求める人々が殺到し、あっという間に店頭から商品が消えたという。ニュースを見た妻がさっそくドラッグストアに走ってみたが、うがい薬はとっくに売り切れていた。市民の皆さんのアクションの早さにも驚く。
 わが家ではずっと「イソジンうがい薬」を愛用しているが、あらためて成分を見てみると確かに「ポビドンヨード」が記載されている。薬品メーカーによって「ポビドンヨード」の濃度が違うのだろうか。


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今年の「北岡神社例大祭」

2020-08-03 17:25:48 | 熊本
 今日は北岡神社の例大祭(祇園まつり)の三日目。献幣祭が行われる日。今年の例大祭はコロナ禍のあおりを受けて神事のみが行われ、神幸行列や芸能行事などは中止されたため、いつもの年のような祭りらしい雰囲気は感じられない。「疫病退散」と書かれた赤い幟が掲げられた神前で刀剣で疫病を切り祓うような神楽舞に見入った。
 先日、再建なったばかりの舞殿では、喜多流と金春流による仕舞が奉納されたが、今後の舞殿の活用が期待される。


静かな雰囲気の中で神事が進められていく


気迫のこもった刀剣舞の神楽奉納


真新しい舞殿で行われた仕舞奉納
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八朔の日に…

2020-08-02 20:32:54 | 日本文化
 昨日は八月朔日すなわち「八朔」だった。藤崎八旛宮には三三五五、参拝者が訪れていた。
 もともと「八朔」は旧暦の8月1日のこと。新暦では今年の場合、9月17日になるようだ。その頃は、稲穂が頭を垂れ始める頃で、摘んだ御初穂を神に供える習わしがあったので、八月朔日を「ほづみ(穂摘)」というようになり、それを家名とする人もいたという。毎年8月1日には、京都花街の八朔の習わし、芸舞妓さんたちの関係先へのお礼参りの風景がテレビニュースで流れるものだが、今年は一つも見なかった。中止されたのだろうか。
 それはさておき、昨日は8月の第一土曜日。この日熊本では水前寺成趣園能楽殿で行われる出水神社薪能が恒例行事なのだが、これも今年は中止になった。毎年観て来たのでやっぱり寂しい。


お店の皆さんお揃いで八朔の参拝?(藤崎八旛宮)


8月の第一土曜日に毎年行われる出水神社薪能(水前寺成趣園能楽殿)
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フォトジェニックな神社

2020-08-01 21:14:56 | 熊本
 今朝の熊日新聞に折り込まれていた生活情報紙「あれんじ」(熊日発行)。今回は阿蘇郡高森町の情報が特集されていた。そして表紙の写真に使われていたのが「上色見熊野座神社(かみしきみくまのいますじんじゃ)」。最近人気の観光スポットである。僕の知る限り、熊本の観光スポットとして最も大化けした神社だと思う。今から50数年前、僕はトラックディーラーに勤めていて、担当テリトリーが阿蘇地区だった。販売の拠点となっていた高森町から一の宮町の間を毎日のように車で行き来していたが、そのルートとなっていたのが現在の国道265号だった。まだ舗装もされておらず、前を車が走っていようもんなら、もうもうと舞い上がる土埃をかぶる羽目となる。まだ車にエアコンもついていない時代だったから真夏でも窓を閉め切らざるを得ず、地獄のドライブだった。そのルートの途中にあったのが「上色見熊野座神社」だったのだが、当時は訪れる人も滅多にないような、ごく普通の鄙びた古社でしかなかった。それが人気スポットとなったのは、近年、写真サイトに載ったり、アニメの舞台になったり、SNSの「映える」写真ブームに乗ったりしたことで、フォトジェニックな価値を多くの人々に認識してもらえたからだ。実は当時、何度か参道の登り口から拝殿を拝んだことはあるが、上まで登ったことはない。コロナが落ち着いたら一度ちゃんと参拝しようと思う。

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「くまもと全国邦楽コンクール」も中止に!

2020-07-31 20:59:07 | 音楽芸能
 若手邦楽演奏家の登竜門となっている「長谷検校記念 くまもと全国邦楽コンクール」は今年第26回目を迎え、当初は6月14日開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開催を8月10日に延期することになっていたが、今日事務局より中止のアナウンスがあった。
 このところの感染再拡大に、開催を危惧していたが、中止という結果になったことは残念だがやむをえない。特に今年は「長谷幸輝検校没後100年記念」という特別な年だっただけに余計残念だ。
 こうなった以上は、来年のコンクールは今年の分も合わせて特別な企画をお願いしたいものだ。


第17回コンクールで実行委員長の幸山熊本市長から表彰を受ける最優秀賞の佐藤亜美さん(箏曲の部)


第19回最優秀・前川智世(筝曲)、第18回最優秀・中彩香能(三味線)、第16回最優秀・石垣征山(尺八)の皆さん
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漱石も眺めた棚田の風景

2020-07-30 19:25:26 | 熊本
 長かった梅雨がやっと明けると猛暑が襲ってきた。花園町の図書室を覗いた後、金峰山東麓の大将陣の棚田まで足を延ばしてみた。青々とした稲が育ちつつあった。ここのロケーションが大好きで四季折々の風景を見に来るのが楽しみだ。鳥越の峠の茶屋から金峰山に向かう山道からこの棚田を見おろすことができる。実はこの道は夏目漱石の「草枕」の題材となった小天旅行の時、漱石も通った道。漱石の目にはどう映っていたのだろう。

 夏目漱石の小説「草枕」は明治30年(1897)の暮れから31年の正月にかけての小天温泉への旅をもとに描かれているといわれるが、実は漱石は31年の夏にも小天温泉を訪れている。この時は早朝から日帰りで、いつも一緒の山川信次郎を含む5人連れ。小天湯の浦で昼食をとり、前田案山子の本宅を訪れた後、前田卓(那美さんのモデル)の案内で岩戸観音の霊厳洞や鼓ヶ滝を見物し、鎌研坂を通って熊本に帰ったという。この小天旅行の体験も小説に織り交ぜてあるのかもしれない。


青田風が吹き渡る大将陣の棚田


棚田を見おろす道は漱石が小天温泉へ向かって通ったであろう「草枕の道」

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豪雨とコロナと

2020-07-29 19:09:13 | 時事
〇令和2年7月豪雨と日本三急流
 昨日、最上川氾濫のニュースが流れていた。さっそくブログ友で酒田市在住の"cake"さんのブログへ状況をおたずねしてみる。cakeさんによれば氾濫したのは最上川中流域の大石田町などで、酒田市は大きな被害は無かったようでひと安心。
 日本三急流のうち、熊本の球磨川氾濫は多くの尊い命が失われるなど甚大な被害を蒙ったが、もう一つの富士川も記録的な豪雨に見舞われたものの大きな被害はなかったようで、三急流で明暗が分かれた。もちろん降水量や地形などの違いはあるにせよ、今回の三急流の被災状況の比較は、今後の治水対策に役立てられることがあるかもしれない。


最上川河口  (cakeさん撮影)


〇コロナウイルス感染の広がり
 今日は全国の感染者数がついに1000人を超えたようだが、熊本も感染者が急増しており、今日新たに16名、のべ152人に達した。テレビでは専門家らが感染者数で一喜一憂するなというが、やっぱり報道されるのはまず感染者数。感染者数が蔓延度合いの代用特性として見られるのはしかたがない。しかも相手は未知のウイルス。このウイルスを科学的に説明できる人など、まだ世界中ひとりもいない。恐れるなというのはどだい無理な話だ。長洲町や山鹿市ではクラスターが発生したと伝えられるが、いつ他の市町村に飛び火するかわかったもんじゃない。熊本県と熊本市は27日、感染リスクを1段階引き上げ「レベル3(警報)」とした。蒲島知事は県外への移動自粛を県民に要請したが、これは裏返せば県外からの移動も自粛してほしいということ。こんな状況下「Go Toトラベル」だの「ワーケーション」だの。今の政府の拙策ぶりには恐怖感すら覚える。
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同世代の訃報

2020-07-27 19:10:34 | 
 今日、二つの訃報を聞いた。デザイナーの山本寛斎さんは僕の二つ年上、そして歌手の弘田三枝子さんは一つ年下。いずれも同じ時代を生きてきた同世代であり特別な寂しさを覚える。

 山本寛斎さんは僕が社会人になって1、2年経った頃、世界のファッション界にデビュー、以来、常に第一線を走り続けてきた。そのバイタリティや創造性にはただただ敬意を表するしかなかった。晩年には熊本県山鹿市の「山鹿元気プロジェクト」のアドバイザーを3年間務めた。「観光戦略ポスター」や新しいデザインの灯籠まつり衣装を発表するなど「山鹿灯籠踊り」をモチーフとした新しい山鹿のイメージを発信した。その個性的な感性には山鹿市民の間でも賛否両論があったが、力強いメッセージ性はネットなどを通じて山鹿のイメージアップに貢献したことは間違いない。哀悼の意を表します。合掌


山本寛斎さんデザインのポスター


 弘田三枝子さんは僕が高校に入った頃、ヘレン・シャピロのカバー曲「子供ぢゃないの」でデビュー。当時まだ中学3年生。小さい頃からジャズやポップスを歌っていたという歌唱力と愛らしいルックスでたちまち人気歌手となった。その後もコニー・フランシスのカバー曲「ヴァケイション」やイタリアのミーナのカバー曲「砂に消えた涙」などオリジナルに負けないヒット曲が続いた。60年代の半ば頃、一時低迷したが、69年の「人形の家」で復活。この曲は彼女の代表作となった。その後、美を追求するあまりか、方向性が僕には理解できなくなり、歌手としての活躍の場を失っていったのは残念でならない。哀悼の意を表します。合掌



 人吉旅館 復興プロジェクト(ご支援のページ)
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「翁プロジェクト」と細川家

2020-07-26 21:02:29 | 伝統芸能
 2020年東京オリンピック・パラリンピックを機に、文化庁が日本の文化芸術の振興を図り、その魅力を発信するため、日本全国を舞台に展開している「日本博」事業の一つに「翁プロジェクト」がある。
 今を去ること650年の昔、観阿弥・世阿弥によって大成され今日まで受け継がれてきた能。さらにその600年以上も前に成立していたといわれ、能の上演の最初に必ず演じられていたのが「翁(おきな)」(式三番)である。「翁」は能楽の源流とされるが、「翁」の成立やその意味は謎に包まれている。「翁プロジェクト」は、いま一度「翁」を見つめ直し、世界に発信しようというもの。
 その「翁プロジェクト」の一環として現在、永青文庫(東京都文京区目白台)において「翁 ―大名細川家の能の世界―」展が開かれている。細川家では初代・細川幽斎(藤孝)を始め、歴代の藩主が能の文化に心を寄せ、藩主たちも自ら舞台に上がった。特に、文武両道に秀でた初代幽斎は七世観世元忠について稽古し、八世観世元尚に師事、謡、仕舞、囃子に通じ、中でも太鼓は名手と呼ばれる程の腕前だったという。以来、二代忠興(三斎)から昭和に至るまで、歴代当主は能を愛好した。一方、初代熊本藩主の細川家三代忠利の頃からは、金春流、喜多流の能楽師たちを庇護した。細川家の拠点となった熊本や東京には、各時代に愛用された多くの能面・能装束・楽器や小道具など約900点の能楽コレクションが今も残されている。
 今から5年前に熊本県立美術館で行われた展覧会「細川コレクション 能の世界」では今回の永青文庫での展覧会と同じような能楽コレクションが展示された。今後、日本各地で「翁」の特別公演が行われる予定だという。
※右の能面は「翁(白色尉)」(永青文庫蔵)


細川家立田別邸(熊本市中央区黒髪)



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7月23日の光景

2020-07-25 22:05:15 | 熊本
◇北岡神社舞殿竣工
 4年前の熊本地震で被災し、再建が進められていた北岡神社舞殿(旧神楽殿)が完成、この日竣工式が行われた。コロナ感染の勢いが衰えない中、当初予定されていたこけら落としのイベントは延期となり、毎年8月1日から行われる祇園まつりも中止となっている。
 この舞殿は能楽、神楽、大祭関連行事、各種芸能等、多目的に使用される予定。


古さと新しさが混交する舞殿


◇寂しい頓写会
 清正公の御逮夜(命日前夜)にあたるこの日は、5年前まで毎年10万人を超える市民で賑わい、参道には出店も立ち並んで、熊本の夏を代表する風物詩「頓写会」の日だった。しかし、熊本地震で仁王門や参道の石灯籠などが損壊したため、出店が設置できなくなり、また本堂での万灯供養も行われなくなったため人々の足が遠のき、すっかり寂しい法要の日となっている。


人影もまばらな胸突雁木の石灯籠に火が灯され、特別な夜であることを知らせている。


 人吉旅館 復興プロジェクト(ご支援のページ)
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人吉旅館を復興させたい!(ご支援のお願い)

2020-07-23 13:23:50 | 熊本
 先日の熊本県南部を襲った記録的豪雨による球磨川氾濫により人吉旅館(国登録有形文化財)は流れ込んだ土砂が1階の天井に達し、土壁は崩れ、畳や床板も流されました。4、5月はコロナ禍で休業を余儀なくされた上の追い討ちに一時は事業継続も危ぶまれました。しかし、人吉旅館を愛する人々の応援に再び立ち上がる決心をされたそうです。
 このほど、人吉旅館3代目当主・堀尾謙次朗さんと3代目女将・堀尾里美さんの娘、嘉恵さんが主体となってクラウドファンディングが立ち上げられました。
 下の「令和2年九州豪雨支援プロジェクト」の写真をクリックしていただきますと、クラウドファンディングのページが開きますので、趣旨をご理解賜りました上、多くの皆様のご支援を何とぞよろしくお願い申し上げます。





少女舞踊団ザ・わらべ時代の堀尾嘉恵さん


2011年に宿泊時の堀尾里美さんと嘉恵さん
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熊本城の「正面」は 南?西?

2020-07-22 14:29:11 | 歴史
 昨日の熊日新聞朝刊に興味深い記事が載った。「熊本城の「正面」は 南?西? 特定至らず」というタイトルで、昔から諸説がある、熊本城はどちらが「正面」なのだろうか、という内容。歴史文化では定評のある飛松佐和子記者の記事。
 城彩苑のわくわく座で今月末まで公開されている熊本城本丸の模型を手掛けた模型作家の島充さんは、模型再現する時の構造分析などから「南向き」説を唱える。
 一方、江戸前期に描かれた城内絵図に示された動線は西側の西大手門、頬当御門への線が最も太く描かれており、「西向き」説を補強する。
 また、熊本大学の伊東龍一教授(日本建築史)によると、柱にはその位置を示す番号が振られており、図面には「一番」を正面右隅に書くという専門家の説がある。しかし、西南戦争で天守は焼失し、確認する術がないという。「城下町からの視点などを含め、総合的に検討する必要がある」という伊東教授の言葉でしめくくっている。

 僕がこれまで最も信頼を寄せてきた郷土史家の鈴木喬先生(2010年没)が熊本城について書かれた文書には次のように書かれている。

 茶臼山は東高西低の地形で、東・南・北の三方は断崖をなしている。そこで西南側の崖下には湧水をたたえた深堀をめぐらして、新町との間を区切り、北の京町台地との間の地峡を掘り切って一条の馬背道だけを残し北側の守りを固めた。台地の最西端の古京町、漆畑、段山は防衛の第一線で、次は一段高い宮内の藤崎台、第三線は二の丸、第四線で初めて本丸の一角西出丸に達し、最後に東端の最高地に達する。熊本城が西向きの城と呼ばれるのはこのためである。城の防衛上の配慮は、築城から270年後の西南戦争で実証され、名城の名をさらに高めた。(熊本県大百科事典より)

 つまり、熊本城築城にあたり加藤清正公は城の防衛面を最優先に考えられたであろうから、「西向き」と考えるのが自然であろうということなのだろう。

 ここから先は僕の無責任な意見なのだが、天下に熊本城の威容を見せつけるという意味で、清正公は全方位の見栄えに気を配られたのではないか。北の豊前街道からやって来る人、東の豊後街道・日向往還からやって来る人、南の薩摩街道からやって来る人、そして城下町の人々、誰もが熊本城天守を仰ぎ見てその偉容に圧倒されたことだろう。そういう意味では東西南北全面が正面だともいえそうだ。
 ちなみに文久4年(1864)2月、坂本龍馬らを引き連れて熊本城下を訪れた勝海舟は「海舟日記」の中で次のように記している。
「熊城を路二里程より望む、天守孤立、画築制他城の比にあらす、外周最大なり、武士屋敷其中にあり、郭畳高く、堅牢おもふへし」


西側の二の丸から第一・二・三の天守を望む
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東海道を唄で旅しよう

2020-07-21 17:45:07 | 音楽芸能
 コロナ禍の中で活動を自粛せざるを得ないアーティストらを支援するため、彼らの作品をWEB上で発信して行こうという「アートにエールを!東京プロジェクト」に、東海風流プロジェクトの本條秀五郎さんと水野詩都子さんが参画し、作品を投稿しておられます。ぜひご覧ください。


広重画 東海道五十三次之内 日本橋

▼本條秀五郎さんのコメント
 旅が困難な今、歌でその土地土地に思いを馳せ、旅をしてみませんか。お国柄を感じながら歌で旅をしてみましょう。
 まずお聞きいただくのは東海道の宿を唄いました流行り歌「こちゃえ節」いわゆる「お江戸日本橋」を、東海風流プロジェクトの相方、民謡歌手・水野詩都子さんの唄でお聞きいただきます。東海道五十三次の宿場を江戸日本橋から京都三条大橋まで順番に唄った有名な歌です。
 次に岐阜県の飛騨高山に残された東海道を上る唄「大津絵飛騨節」をお聞きいただきます。東海道沿いではない飛騨に残ったのは、飛騨はかつての幕府の直轄地、いわゆる天領でした。この地方の豊富な資源、金銀銅・木材などに幕府が目を付けたといわれています。そんな土地柄、江戸との関わりは深く江戸で流行したものが移入されることがしばしばありました。まさにこの「大津絵飛騨節」別名「東海道」はそのひとつだといえます。

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伊藤道郎の生涯

2020-07-20 23:15:15 | 日本文化
 今日のプレミアムカフェ(BSプレミアム)は2007年に放送された「異国と格闘した日本人~舞踊家 伊藤道郎~」のアンコール。
 この番組は僕は初見で、ジェリー伊藤さんのお父さんは著名な舞踊家とは聞いていたが、こんなに凄い人だったとは。
【NHK概説より】
 第一次大戦から太平洋戦争にかけ、欧米で活躍した舞踊家・伊藤道郎。東洋的な体の動きは多くの芸術家にインスピレーションを与え、ハリウッドのショーでも成功を収めたが、一方で米国FBIにスパイ容疑で逮捕され家族と引き離されるなど、波乱万丈の生涯を送った。常に夢を見続けた彼の人生をたどる。

 なかでも、伊藤道郎が世界にその名を知られるきっかけとなったのが、英国修行時代、日本の能に関心を寄せていたアイルランドの詩人イェイツと共に、イェイツの代表作となる能を取り入れた戯曲「鷹の井戸」の完成に貢献したことだ。近年でこそ、外国の題材を能劇化することが見られるようになったが、今から100年以上も前にイェイツ&伊藤が先行していたことは驚きだ。

   ▼日本に逆輸入されて演じ続けられている「鷹姫」
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