徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

山椒のはなし。

2022-05-28 22:13:57 | 音楽芸能
 家内が庭の梅の木を剪定していたので手伝うでもなく眺めていると、その隣の山椒の木が目に入った。ふと「さんしゅう騒動」のことを思い出した。
 YouTubeに「ひえつき節」の動画をアップしてから7年経ち、その間、多くの皆様に視聴していただいた。その中で複数の方から5、6回ご指摘をいただいた。曰く、字幕の「庭の山椒の木」というのは間違いで、正しくは「山茱茰(さんしゅゆ)の木」であるという。なんと僕の姉までもが同じことを言う。何度かやりとりがあった末、「ひえつき節」発祥の地である宮崎県椎葉村に確認したところ、担当課の方にも同じような問い合わせがあっており、地元では「さんしゅう」と発音するが「山椒」が正しいというご回答をいただいた。そんな経緯をブログで紹介して以来、同じような指摘は一度もない。いわゆるフェイク情報の一つと思われるが、誰がどんな目的で発信するのだろう。

 この画像は2016年の「日本民謡フェスティバル」(NHK総合)において「正調ひえつき節」を唄われた熊本の中山康子さん。字幕に「庭の山椒の木」とあり「さんしゅう」とルビがふってある。中山さんは「くまもとお城まつり」など熊本の多くの邦楽イベントでおなじみの方。




 これが字幕の指摘を受けた2015年の熊本城本丸御殿「春の宴」で中村くるみさんが「ひえつき節」を踊る映像。
 この映像は僕が投稿した中でも人気が高い動画の一つ。


高瀬思い出の記

2022-05-27 20:10:45 | 熊本




 今日は5、6年ぶりに高瀬裏川の花しょうぶを見に行った。玉名市には二度在勤し、二度目には在住もした。合わせて9年ほどだ。最初の勤務は昭和46年(1971)だからもう51年前になる。裏川沿いの、かつて米問屋だった町家を工場立上げ要員の仮住まいとして借りた。辺りの風景はあの当時とは随分変わった。51年も経てば変わるのも当然だ。
 操業開始を目前に控えた昭和46年の3月下旬、集中豪雨に見舞われた。その豪雨は完成間近の新工場にとんでもない事故をもたらした。重油タンクの送油機構がダメージを受け、重油を大量に菊池川に流出させたのだった。事故発生が夕方ですぐに暗くなり、被害状況を確認できなかったが、川にオイルフェンスを張るなどの応急処置が行われた。翌朝になって唖然。流出口から菊池川河口付近まで約4㎞にわたり、両岸とも真っ黒い重油でベッタリと覆い尽くされていた。操業開始を延期し、社員総出で中和剤を使っての河岸清掃の日々が始まった。総務課の新人だった僕は川で清掃作業する社員たちの弁当準備に走った。まだ弁当専門店もなかった当時、100名分を超える弁当は仕出し屋など1店舗では賄えず、数軒を回った。河岸清掃が一段落すると今度は被害者である漁業団体との補償交渉が始まった。中でも深刻だったのは養鰻組合。シラスが壊滅的な被害を受けていた。養鰻組合からの要求は金銭補償に加え、シラスの現物補償。総務課長と僕はシラスの買い付けに仲買業者を走り回った。その車の中で、自分はいったい何をやっているんだろうと思ったものだ。満開も近い花しょうぶを見ながらそんな昔のことを思い出していた。

パソコン教室の閉校

2022-05-26 20:23:13 | 友人・知人
 僕が会社を早期退職してパソコン教室を開いた時、一緒に起業研修を受けた仲間から「パソコン教室閉校」を知らせるハガキが届いた。
 年賀状のやり取りは続いているのでまだ開いていることは知っていたが、僕が約10年で閉校したのに比べ、25年もの長きにわたりよく頑張ったなぁと敬意を表したい。これで、1997年前後に、ほぼ同時に開校した仲間はほとんど閉校した。「IT革命」と盛んに喧伝され、国の肝いりで始まったIT教育ブームは醒めるのも早かった。情報格差の解消がテーマだったが、結局問題を積み残したまま、国の熱気も冷めてしまった。一種のバブルだったのだろうが、あの10年間は何だったのだろうと最近よく考える。

高砂や この浦舟に帆を上げて

2022-05-25 18:58:36 | 伝統芸能
 YouTubeに3年前にアップした動画「能 高砂」を見ていただいた方から次のようなコメントをいただいた。

 涙でました。亡き父が長男の結婚式の門出にと唄いました。年の離れた長兄でしたので私は小学4年、あれから40年程経ちますが耳に残った父の声が重なります。

 映像を見ていただくだけでもありがたいのにこんな感動的なコメントをいただくのは無上の喜びである。

 昔は自宅の座敷で結婚式を挙げることが多く、仲立ちさんあたりが「高砂や」の謡で祝う風景が普通に見られたものだが、最近は結婚式で「高砂や」がないことが多くなっているとも聞く。結婚式のやり方も徐々に変わって行くのだろうがちょっぴり寂しさも感じる。

 この映像は2019年9月に行われた藤崎八旛宮例大祭の段山御旅所での能奉納の一場面。「高砂」は代表的な脇能で、熊本ゆかりの能でもあり、昨年3月の「翁プロジェクト」熊本公演でも演じられたが、いつも半能なので、フルに観られる機会があればと願っている。


わくわく座 春の特別舞台より

2022-05-24 20:22:23 | 音楽芸能
 先週土曜日(21日)に城彩苑わくわく座で行われた「わくわく座 春の特別舞台~肥後六花」の映像編集とYouTubeへのアップロード作業を進めていますが、今日はアップが終わった2曲を掲載してみました。

久住高原
 「久住高原」別名「豊後追分」は昭和初期に作られたいわゆる新民謡。今日でいう「ご当地ソング」だが、特定の追分を歌ったわけではなく、久住高原の美しい景色を「追分節」に乗せて歌ったもの。※右の写真は久住高原に咲くミヤマキリシマ


熊本自転車節
 大河ドラマ「いだてん」で綾瀬はるかが唄って広く知られることになった「熊本自転車節」は明治後期に流行った神長遼月のバイオリン演歌「ハイカラ節」をもとにお座敷で唄われ始めた「自転車節」の熊本バージョン。いつ頃誰が唄い始めたのかわかっていない。「おても時雨」という別名がある。


松岡映丘と「草枕絵巻」

2022-05-23 21:25:14 | 美術
 下の文章は夏目漱石「草枕」7章の、主人公の画工が投宿先の浴場に入っている時、湯煙の中に「那美さん」が手拭いを下げて湯壺へ降りてくるくだりの一節。そして下の絵はその場面を描いた松岡映丘の「湯煙」。松岡映丘と一門の画家たちが描いた「草枕絵巻」の中の1枚である。

 やまと絵の大家である松岡映丘の絵が大好きで「草枕絵巻」以外の絵も画集などで楽しんでいるが、実は恥ずかしいことに、つい最近まで彼が「日本民俗学」の創始者である柳田國男の実弟であることを知らなかった。これから何か新しい目で彼の絵を見ることができるような気がする。




松岡映丘筆「湯煙」

伝統芸能で新しい文化の創造へ

2022-05-22 23:02:21 | 伝統芸能
 今日の「民謡魂 ふるさとの唄」(NHK総合)は新潟県村上市から、新潟県の民謡を中心に様々な芸能が紹介された。なかでも印象深かったのは、昨年10月の放送におけるMCの城島茂と津軽三味線の上妻宏光らによる新潟県民謡「新保広大寺」スペシャルアレンジが地元でも反響があったということで、「新保広大寺全国大会」が行われている現地へ上妻が訪ねる。昨年の「民謡魂 」放送に、リモートで参加した「永島流新潟樽砧伝承会」のメンバーと初めて対面する。昨年放送を見た時、新潟の伝統芸能を受け継ぐコアな若者たちという印象だったが、江戸時代から続く新潟樽砧という伝統芸能を、新しい感覚で新潟文化として再興させていることが段々わかってくる。今日の放送を見た後、彼らの活躍ぶりをネットで確認した。
※樽砧(たるきぬた)とは、新潟市の中心部旧市街に伝わる木樽を用いた踊りなどの伴奏法。
 また、その伴奏を用いた花柳界の遊戯の一種。(Wikipediaより)

いがた総おどり
 毎秋行われている「にいがた総おどり」のなかの「下駄総踊り」

特別舞台「肥後六花」

2022-05-21 22:19:19 | 音楽芸能
 今日は、わくわく座 春の特別舞台「肥後六花」を見に行く。ゆりあ(はつ喜月蘇女)さんが高校を卒業し、次のステップに進むため、しばらく舞台を離れるとのことだったので彼女の舞姿を撮っておきたいと思っていたら、ちょうど彼女のお母様からも「ゆりあが大きくなってからの舞台映像がないので撮ってほしい」とのご依頼があり、中村花誠先生を通じて会場の特別な撮影許可を取っていただいた。たしかに近年はわくわく座を始め、ほとんどの舞台が撮影NGなので撮っていない。
 ここのところ花童の舞台は軽演劇をまじえた演目が多かったが、今回は全編舞踊。完成度の高い素晴しいステージだった。なかでも月蘇女さんの存在感は大きく、ハナで踊った「久住高原」は観客の心を一気につかんだ。以下、演目は下記のとおりだが、やっぱり花童本来の舞踊をたたみかける構成が嬉しかった。久しぶりに上質な舞踊ステージを見た気がする。
 動画は編集後、公開許可がいただけたらYouTubeにアップしたい。

  • 久住高原(はつ喜月蘇女)
  • とっとっと(花童かな、花童あかり)
  • 熊本自転車節(はつ喜月蘇女、花童あい)
  • 肥後の俵積出し唄(花童あおば、花童はるか、こわらべことね、林田もえ)
  • 肥後六花(全員)
  • 水と花と夢と(全員)
  • くまもと音頭(全員)


はつ喜月蘇女さん

熊本の風景今昔 ~ 一駄橋から ~

2022-05-20 22:09:15 | 熊本
 下の古写真を見てここがどこかすぐに分かる方はおそらくもうほとんどおられないだろう。


一駄橋から前方の、井芹川(左)と坪井川(右)の合流地点を望む(昭和初期の頃)

 「おてもやん」の作者として知られる永田イネは、元治元年(1864)に米屋町の「糀屋」というみそ製造所の一人娘として出生した。四才の頃から踊りを習い始め、やがて琴・三味線・笛・太鼓等幅広く芸事に精通していった。幼い頃、井芹川で舟遊びしていて唄ったのが、細川邸(現北岡自然公園)まで聞こえ、細川護久公の所望によって舞や唄を披露し、脇差を戴いたこともあるという。おそらく上の写真左側の井芹川に舟を浮かべていたのだろう。


現在の一駄橋から坪井川上流を望む



宗禅寺の境内から坪井川と一駄橋を望む

 一駄橋たもとの宗禅寺には僕の伯母の墓があり、前を通る時にはお参りすることにしている。





肥後六花の歴史と特別舞台

2022-05-19 18:00:19 | 歴史
 昭和56年(1981)に放送されたNHK「新日本紀行 肥後秘花」が最新のデジタル技術で色鮮やかによみがえり、昨年8月に「よみがえる新日本紀行 肥後秘花 ー熊本ー」としてBSプレミアムで放送されました。さらに昨年10月にはNHK熊本ローカルの「くまもとの風」の中で再放送されました。
 下の文はこの番組のナレーション(一部)を文字起こししたものです。

 杜の都、肥後細川藩五十四万石の城下町熊本。江戸時代、この熊本を治めた細川家は、江戸や上方とも違った文化の薫り高い政治を敷きました。そして今も、かつて細川藩の侍たちが武家屋敷の中で育て門外不出としてきた花が、子孫の人たちによって守られています。
 かつて細川公のお側用人を務めてきた杉山家の庭。阿蘇の湧水がせせらぎとなって流れています。当主の杉山さんは門外不出の肥後花しょうぶを守り育てている熊本花しょうぶ満月会の幹事長です。満月会には江戸時代から守られてきた30ヶ条にもおよぶ厳しい規則があります。花は必ず鉢で栽培すること。花は一代限りのもので、本人が死んだらただちに会に返却すること。たとえ親兄弟といえども譲り渡してはならないこと。数々の掟によって肥後花しょうぶは会員の庭だけにひっそりと江戸時代の文化の薫りを伝えてきたのです。一つ一つに能や和歌などからとった名が付けられています。満月会にこれまで登録された花の数は1200余り、350種類余りが今実際に栽培されています。かつてはそれぞれの家が秘伝を持ち、己の死に際に初めてわが子にだけ伝えたと言います。
 武士が育てた肥後の名花は六月梅雨が近づくと花を開きます。細川藩では何事も武士道と結びつけて剛直な侍の気風を育てました。武士たちが花づくりに心を尽くしたのも、けっして遊びではなく、厳しい精神修養の道の一つでした。こうして細川藩では肥後さざんか、肥後つばき、肥後しゃくやく、肥後しょうぶ、肥後菊、肥後朝顔の六つの花、「肥後六花」と呼ばれる華麗な花々が武家屋敷の中で育ちました。


「新日本紀行 肥後秘花」のオープニング画面


肥後花しょうぶ

《 わくわく座 春の特別舞台「肥後六花」のお知らせ 》
 日 時:521日(土)午後1時半より
 場 所:熊本城ミュージアムわくわく座(城彩苑内)
 出 演:舞踊団花童&はつ喜
 入場料:1,500円


舞踊団花童&はつ喜