徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

宇土櫓が心配

2018-10-19 20:00:03 | 熊本
 今朝の熊日新聞に熊本城・宇土櫓の石垣の一部が極めて不安定な状態になっているという心配な記事が載っていた。地震で倒壊した続櫓の下の石垣に大きく膨らんだ部分があるという。現在は応急処置として樹脂ネットで覆っているそうだが、いずれ石垣を積み直さなければならないかもしれないという。記事によれば地震前から経年変化は確認されていたらしいという。思えば、今回の地震で倒壊した不開門下の石垣の膨らみを無粋なコンクリートで応急処置した昭和初期から、さらに各所の石垣で経年変化が進んでいたのだろう。
 僕は、熊本城の中でも宇土櫓に最も愛着を感じる。なぜなら、僕の幼い頃からあったのは宇土櫓であり、西南戦争時に焼失した大小天守などは、昭和35年に再建されたものだからだ。昭和初期につくられた新民謡「五十四万石」には、当時、熊本城の代名詞だった宇土櫓が登場する。そんな宇土櫓の一日も早い復旧を願っている。 


昨年末の宇土櫓。足場を組んである部分の石垣の一部が大きく膨らんだ状態となっている。

2018.10.19 熊日新聞より




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熊本とエクサンプロバンスの縁(続き)

2018-10-18 17:09:15 | 日本文化
 今月は日仏交流160周年を記念する「くまもとフレンチウィーク」というイベントが熊本市で行われている。昨日からは鶴屋百貨店で「2018フランス展 ~南仏プロヴァンス特集~」という催しが始まったので今日覗いてみた。フランスの産品を買い求める大勢の女性で賑わっていた。バゲットかマカロンでも買って帰ろうと思ったが、どこもお客で一杯、おばちゃんたちの圧に負けてあきらめて帰った。
 熊本市は5年前にエクサンプロバンス市と交流都市となっているが、その時の様子が熊本市のホームページに掲載されていた。また、そのきっかけをつくった喜多流能楽師の狩野琇鵬さん(2016年没)の活動を紹介するフランスのルポルタージュがYouTubeに投稿されていた。



▼2012年の「ジャンヌダルク600年祭」を記念し、狩野琇鵬さん自ら演出した新作能
 「ジャンヌ・ダルク」を、オルレアン、パリ、エクサンプロバンスで公演。
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10年前の万田坑

2018-10-17 17:46:17 | 熊本
 10年前の今日、僕は映画「信さん・炭鉱町のセレナーデ」の万田坑ロケにエキストラとして参加した。当時、登録していたくまもとフィルムコミッションの事務局からお誘いがあり、面白そうだったので参加した。くまもとフィルムコミッションの登録メンバーとしてロケに関わったのは結局3本だったが、エキストラ出演したのはこの「信さん」だけだった。ロケは、物語の舞台である架空の衣島炭鉱で坑内爆発事故が起きるというクライマックスシーンの一部で、早朝から夕方までまる一日を要した。
 このロケの7年後の2015年、三池炭鉱万田坑は「明治日本の産業革命遺産」の構成要素の一つとして「世界遺産」に登録されたが、ロケ当時は訪れる人もなく、下の写真で見てとれるように寂れた遺構でしかなかった。現在では荒尾市の観光スポットとして整備され、観光客がひっきりなしにやって来るらしいが、10年前の廃墟に近い状態を見ることができたのは貴重な経験だったのかもしれない。


万田坑第二竪坑櫓(2008年10月17日撮影)


第二竪坑坑口(2008年10月17日撮影)


映画「信さん」のロケに参加したエキストラの仲間たち(2008年10月17日撮影)


監督の平山秀幸さん(2008年10月17日撮影)


予告編
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熊本地震発生から2年半(№2)

2018-10-16 16:24:01 | 熊本
2017.1.6 崩落した北十八間櫓下の瓦礫撤去作業始まる


2017.2.19 崩落した二の丸の石垣を横目で見ながら熊本城マラソンの選手たちが走る


2017.3.7 北十八間櫓復旧に向けての現地調査


2017.3.15 一部損壊し、通行禁止となったまま、改修のメドが立たない本妙寺仁王門


2017.4.1 桜開花に合わせ、立入規制の行幸坂が一部開放される


2017.4.8 熊本復興映画祭が二の丸広場で始まり、「うつくしいひと」の続編が上映される


2017.4.13 損壊して閉館されたまま、いまだ復旧のメドが立たない夏目漱石内坪井旧居


2017.5.18 熊本城大天守の復旧工事が本格化。加藤神社からのポイントが観光コースに


2017.9.2 熊本復興ねぶたが二の丸広場で開催される


2017.11.27 倒壊した旧細川刑部邸の外塀は復旧のめど立たず


2018.1.2 地震で湧水が止まり、一時枯渇した水前寺成趣園の池の湧水が復活。初詣で賑わう


2018.3.31 熊本地震 義捐能 ~復興を祈って~ 水前寺成趣園能楽殿にて開催される


2018.4.14 倒壊した京町の草分天神鳥居が加藤神社の御奉仕で再建される


2018.4.16 本震から2年、加藤神社では犠牲者の冥福と国土安泰を祈るキャンドルが灯された


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熊本地震発生から2年半(№1)

2018-10-15 22:18:59 | 熊本
 熊本地震発生から2年半が経つ。復旧復興が進んでいるところもあれば、いまだ手付かずのところもあり様々だ。この2年半の中で僕にとって忘れられない場面を振り返ってみた。今日はその第1回。


2016.4.17 ショッキングな阿蘇神社楼門崩壊のニュース


2016.4.17 崩落した京町のむくり屋根の家の石垣。未だ手付かずのまま。


2016.4.18 わが家の近隣でも目を疑うような惨状




2016.4.20 北十八間櫓の崩落


2016.4.28 会社の先輩たちが避難所の京陵中学校で炊き出しのボランティア


2016.5.27 京町台の石垣はどこも崩落寸前(雁木坂)


2016.6.8 熊本城内の道路、崩落した石垣で通行禁止


2016.6.8 熊本城大小天守は痛々しい姿に


2016.6.8 西大手門の石垣も崩落


2016.6.13 崩落した石垣の整理が始まる


2016.6.24 崩落した加藤神社の石垣の中から現れた観音石


2016.7.18 熊本復興支援狂言 野村万作・萬斎の狂言で大盛り上がり


2016.7.29 復興を願う「佐渡裕とスーパーキッズ・オーケストラ」の演奏に癒される

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エド・サリバン・ショーとプレスリー

2018-10-13 23:09:01 | 音楽芸能
 ネットのカレンダーを見ていたら、今日はエド・サリバンの命日だと書いてあった。エド・サリバンというのは1950年代から1960年代にかけて最も人気のあったアメリカのテレビ司会者で、彼の司会する「エド・サリバン・ショー」は日本でも放送されていた。当時はアメリカのTVショー番組などめったに見られなかったので、ちょうど学生時代だった僕は欠かさず見ていた。日本での放送はリアルタイムじゃなかったと思うが、いつも有名なスターが登場するのが楽しみだった。当時の最もビッグネームはやはりエルビス・プレスリーだったと思う。日本文化とは最も遠い存在と思っていたプレスリーが、60年後に日本の古典芸能である能の題材になるなど思いもしなかった。

     ▼Don't Be Cruel(The Ed Sullivan Show)


     ▼Blue Moon Over Memphis 
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今週のカバー写真 ~3年前の今日~

2018-10-12 10:17:51 | 熊本
 3年前の今日、舞踊団花童を卒業し、舞踊家の道へ進むことになった中村くるみさんの名取披露が、熊本市中央区細工町の西光寺で行われ、大勢のファンや関係者がその門出を祝った。くるみさんは「日本現代舞踊はつ喜流 はつ喜月若」として新たなスタートを切った。




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きみかちゃんのこと。

2018-10-10 16:40:31 | 音楽芸能
 一昨日の「熊本城島唄コンサート」の時のこと。開演1時間前くらいに会場の二の丸広場につくと、広場北側に設えられた舞台裏のテント小屋に入って行く花童の子たちが目に入った。髪結いと化粧は済ませていたようだが、まだ着物は着ていなかった。そのテント小屋の脇を通り過ぎようとした時、中に入ろうとしたきみかちゃんが僕に気付いた。スッと腰を落として綺麗な立位のお辞儀をした。そして中に入るとおそらくリーダーの明音ちゃんに伝えたのだろう。明音ちゃんがすぐに出て来て来場お礼の挨拶をした。
 僕はふと、7年前の夏の夜のことを思い出した。北岡神社では恒例の祇園まつりが行なわれていた。ザ・わらべやこわらべの子たちも舞踊奉納をする予定になっていた。この夜、こわらべの優亜ちゃんの妹、きみかちゃんが舞台デビューすると聞いていた。楽しみに出番を待っていたのだが、きみかちゃんは直前になってグズり、とうとう舞台に立たなかった。当時まだ2歳、無理もない。あれから7年、綺麗なお嬢さんに成長したきみかちゃんは姉の優亜ちゃんとともに花童の立派な中心メンバーである。この夜の「熊本城島唄コンサート」でも「童神」を始め、3曲を仲間とともに見事に踊り切った。

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今日の太宰府天満宮

2018-10-09 20:17:57 | 日本文化
 今日、所用で大宰府に行ったので帰りに太宰府天満宮に寄ってお詣りした。実に9年ぶりの参詣だった。9年前と明らかに違ったのは、ここは中国か!と思うほど、中国語が飛び交い、中国人観光客で賑わっていたことだ。門前町にとってはありがたいお客様なのだろうが…
 それはさておき、太宰府天満宮はいつ訪れてもその荘重感に圧倒的される。他の神社とは明らかに違う何かを感じさせる。





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童神(わらびがみ) ~第17回 古謝美佐子 熊本城島唄コンサート~

2018-10-08 21:46:28 | 音楽芸能
 「古謝美佐子 熊本城島唄コンサート」も今年で17回目。一昨年、熊本地震で中断したものの、今や「秋のくまもとお城まつり」の定番となった。僕は2010年に竹の丸広場で行われた時から見ているので今回で8回目となる。その時から出演するようになった中村花誠さんとザ・わらべ(現花童)もすっかりお馴染みとなった。
 今回初めて、古謝さん最大のヒット「童神(わらびがみ)」に中村花誠さんが振付けた舞踊を花童が舞い、会場を埋めた観客の喝采を浴びた。古謝さんによれば、この唄に踊りをつけたことは何度かあるらしいが、日本舞踊は初めてだそうだ。予想以上に曲想に合っていたことに驚き、歌いながら舞踊に見入ってしまったと語っていた。

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くまもと花魁道中 ~秋明~

2018-10-07 21:53:07 | イベント

越中おわら節(福島竹峰社中)


禿としてあい・まい・ひなたのトリオが出演
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急坂ナンバーワンは?

2018-10-06 19:19:17 | テレビ
 RKK熊本放送お昼の帯番組「ウェルカム!」の中で時々、熊本で最も急な坂道を探すという企画をやっている。視聴者から寄せられた情報をもとに、タレントの田中洋平が現地に出向き、急な坂を自転車で上ってみて体感し、その傾斜角度を測定するというもの。今までのところベスト3は次のとおり。

  1位 長命水の横の坂(熊本市西区)・・・・24.0度
  2位 バンブービレッジの坂(熊本市北区)・20.0度
  3位 西方寺坂(熊本市中央区)・・・・・・18.7度

 さて、今後これらを上回る傾斜の坂が登場するだろうか。
 1・2位の坂は登ったことがないが、3位の西方寺坂は週に1、2度は車で上り下りしている。上熊本駅前が混み合う朝や夕方の時間帯は抜け道として重宝しているが、真夏などは上る時にエンジンの出力が落ちないよう、必ずエアコンを切ってから上る。たまに、散歩で歩いて上り下りすることもあるが、やはりこの坂は基本的に歩行者用の坂だ。この坂の昔の姿について、津々堂さんが4年ほど前、ブログで紹介されているので、かつての西方寺坂の風情をぜひご覧いただきたい。
◆津々堂のたわごと日録より「伊庭坂(西方寺坂)


現在の西方寺坂

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「土手券」発祥の寺原を歩く

2018-10-05 21:35:56 | ファミリー
 かつて熊本のお座敷文化を支えた大勢の「町芸者」たちがいた。寺原町の坪井川土手付近に住んでいた彼女たちは「土手券」と呼ばれた。「券」というのは「券番(検番)」つまり芸者組合のことだ。他の券番のようにちゃんとした事務所を構えていたのかどうかはわからない。
 一度調べてみようと思い、現在は壺川1丁目となっている、かつての寺原町を歩いてみた。昭和の前期にはほぼ消滅したと思われるので高齢者の記憶が頼りだ。まず、近隣のお寺に二箇所立ち寄って尋ねてみた。ご住職はいずれも80代と思われたが、わからないという。ということは90代以上でなければわからないのかと思い、地区の自治会長を訪ねて、高齢者がおられそうな家をおたずねした。しかし、高齢者が熊本地震以降、転居などでほとんどいなくなってしまったらしい。何か手がかりになるようなことがあれば連絡してほしいとお願いして退去した。自治会長との雑談の中で、戦前や戦後間もない頃までは坪井川の橋が少なく、対岸へ普通に舟で行っていたという。親から聞いた話では、祭りなどでは、芸者さんたちが舟に乗り込み、唄や三味線で大いに賑わったらしい。そんな話を聞きながら、100年経てば町の記憶は消えてしまうものなのだなぁと切なさが込みあげた。

【参考】
――明治初期、寺原町(現壺川1丁目)に始まった町芸者は同町土手付近に住んでいたことから「土手券」と総称し、全盛時は市内各所に散在し、数々の人気芸者も生み、手軽で便利なことから一時隆盛を極めたが、これは「やとな」(雇い女の略。臨時に雇う仲居の女)の前身というべきものであろう。――(熊本県大百科事典より)

 昭和4年に発行された松川二郎著「全國花街めぐり」によれば、当時熊本には、熊本券番(塩屋町):101名 旭券番(練兵町):90名 二本木遊廓:60名(娼妓650名)の芸妓がおり、その他町芸者(土手券)という芸者とやとなの中間の存在があると書かれている。


かつて「土手券」と呼ばれた町芸者たちが住んでいた寺原町(坪井川右岸)の一角。向うは庚申橋。

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五足の靴とおてもやん

2018-10-04 20:27:02 | 文芸
「五足の靴」の中に、俗謡「おてもやん」について語った一節がある。「五足の靴」というのは、明治40年(1907)7月下旬から8月末の間、歌人与謝野寛(鉄幹)が、まだ学生だった木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を引き連れ、九州を中心に各地を旅した時の紀行文である。8月15日、一行は阿蘇の栃木温泉から馬車に揺られて熊本へ戻って来るが、与謝野寛が一人、韓国京城で一緒に教鞭をとっていた旧友の松村竜起の招きに応じ、江津湖畔の料亭・勢舞水楼(せんすいろう)へ発熱をおして赴く。二人の他、松村が招いたジャーナリストたちとともに、屋形船で湖上の涼をとる趣向が準備されていた。そこに二人の町芸者がやって来て披露するのが「おてもやん」。その様子は下記のように記されている。「おてもやん」について肥後の古い土謡と書かれているが、この歌詞が永田イネによって作られたのは、明治30年代前半と言われているので、その時点ではそんなに古い唄ではない。しかし、この時代には既に「おてもやん」が熊本でかなり普及していたことがうかがえる。与謝野寛は舟中諸氏の解説で、難解な熊本弁の歌詞を概ね理解できたようだ。
【五足の靴の一部】
 一酌の後庭に下りる。庭の後は直ぐ画津湖だ。紅提灯を吊した屋形船が一艘早くから用意が出来て居る。一同乗る。船は湖心に向つて徐ろに進む。四方の岸は薄暗い、静かだ、静かだ、そよとの音も無い。満天の星が澄徹の水にじつと動くこと無く映る。螢がたわたわと飛ぶ。熊本の市内の暑苦しさに比べると全く別世界だ、人々は「あゝ涼しい」と云ふ言葉を忘れて居る。此時其々の二妓は絃を按じて特に肥後の古い土謡を唄ひ出した。今其一二を録さう。括狐の中の文字は舟中諸氏の註解だ。
 おてもやん あんた此頃嫁入したでは無いかいな。嫁入したこたしたばッてん(したけれど)ごんじやどんが(夫が)ぐぢやッぺぢやるけん(疱面なる故)まあだ盃きせんだッた。村役、鳶役(消防夫)肝煎どん、あんふとたちの居らすけんで(彼人達の居られるから)後はどうなッときやあなろたい。(きやあは接頭語。後の始末は何とか成るであらう。以下の語は一転して景物に叙す)きやあばたまッさん曲らうたい。(川端街の方へ曲り行かむ)ぼうぶらどんたちや(南瓜どもは)尻ふッぱッて(尻を出して)花ざあかり花ざあかり。
 一つ山越え、も一つ山越えて、わたしゃあんたに惚れとるばい、惚れとるばッてん言はれんばい、村の若い衆が張番しとらすけん。(村の若い男が他村の男に我村の娘の子を奪はれまいと警戒して居る故に)追々彼岸も近まれば、くまんどん(熊本)の夜ぢよみよんみやありに、(聴聞参り即ち説教参りに)ゆるゆる話ばきやあ為うたい。(以下一転して女より男の容貌に焦れず、その男の豪著な風俗意気に感ずる旨を云ふ)男振には惚れんばな、煙草入の銀金具が夫が因縁たい(以下拍子)あかちやか、べッちゃか、ちやかちやかちや。
 七日の日が西に落ちて更けてゆく夜の涼しさ骨身に沁む頃、船は勢舞水楼に引返した。


昔の上江津湖(現在の県立図書館裏辺り)

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今週末、台風25号は?

2018-10-03 21:28:03 | イベント
 今週末、熊本市は秋のまつりのピーク。台風25号の襲来が懸念されるところですが、いかがあいなりますやら…

▼秋のくまもとお城まつり


▼その他のイベント
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