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天正19年2月28日の今日、千利休が自刃する。久しく利休最後の手紙として、二月十四日付の松井康之に宛てたものが紹介されてきた。忠興と織部が十三日淀の船着場で利休を見送ったことに対する、お礼とも言うべき書状である。その後発見されたという芝山監物宛ての手紙が、現況利休最後のものとされる。利休の心の奥底が伺える、悲しい文面である。
「〆 芝監物殿まいる 尊報」
御詠に、又一入涙斗ニ候 返し
おもひやれミやこをいでゝ今夜しも
よどのわたりの月の舟路を
返々御詠ながめ返し仕かね候まゝ御使を待せ申候
いつもと申候ながら今夜又宮古の名残旁々ニ候
宮古出ての淀の川舟とよミ候をいもひだすにも猶々
なミだに候 やがて/\待申候/\ ことさら天き
も能成候 かなしく候/\ かしく
十五日
427年の刻を経てなお、我々の心情を揺さぶる文面である。
綿考輯録は巻十に、「秀吉公猶も憤り深く、終に切腹可被仰付ニ定り候、依之忠興君より山本三四郎正倶を介錯人に被仰付(以下略)」と記す。蒔田淡路守が介錯役を勤めたとされるが、これは単なる検死役ではなかったのか。忠興の深い愛情が見て取れる。
利休忌としてのお茶会は新暦に近い3月28日、各地で行われるという。
(今日は妻の60うん歳の誕生日でもあります)
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