津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣--田中(八十郎)家のご先祖さまの謎

2012-08-08 08:46:36 | 歴史

                                    「常山紀談」第十二・抜粋
 

【田中善左衛門室。山名豊国の姪にて、宮部継潤の養女となり、田中吉政の一族で継潤の家老田中善左衛門(八千石)に嫁ぐ。善左衛門は関ヶ原役で小早川秀秋の手に属し討死。のち豊前にて忠利に召出され、忠利室保寿院に仕う。光尚誕生により直に附属され、日夜御側に仕う。光尚の江戸へ発駕する時も供し、登城拝謁の時も附添う】

上の記述は「日本近世史料-細川家史料」の人名索引にある、刑部卿(田中善左衛門室)なる人物の紹介文である。この刑部卿の孫が光尚代に召出された。
田中八十郎家である。「肥陽諸士鑑」はその祖を、田中勘左衛門入道長胤とし、善左衛門をその男とする。

さて「常山紀談」第十二に「池田輝政、竹村半兵衛に田中長胤を捕えさせる」という一文がある。
内容には特に触れないが、冒頭に「関が原の時三河岡崎の田中兵部大輔吉政の子民部少輔長胤は父大阪方に同心したりといふをきゝて・・・」とある。
細川家には吉政の弟・田中兵庫助氏次の家系があり、その系図を見ると長胤の名前は登場せず、常山紀談の記述には疑問を感ずる。
さて真実や如何に・・・・・ 

 

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1 コメント

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氏次の流れ (絵咲木 山口久美子)
2016-06-16 16:09:08
長胤は、吉次のことですね。
最近、柳川の三橋町に住む田中の子孫が氏次の流れだとおっしゃって、驚きました。
確か、氏次は側室の連れ子を養子にして細川にて跡を継いだと聞いています。
だとすると、柳川に正室を残してその流れが残ったとしか考えられません。
それにしても、改易後、柳川では、大変な暮らしだっただろうと思いますね。

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