津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■細川家家臣坂崎家系図(肥後讀史総覧所載)の疑義

2014-05-10 07:14:28 | 人物

 いろいろ書き込みなどをしているが、鶴屋百貨店が刊行した「肥後讀史総覧」の「細川家主要家臣」にある坂崎家の系図である。
前々からこの系図にいささかの疑問をもっていたのだが、新刊の「大日本近世史料・細川家史料24」を見るに及んで疑問が確信となった。

巻末・人名索引に坂崎成方と清左衛門が登場している。

   坂崎清左衛門  細川家臣。坂崎道運嫡子。忠興により召出さる。知行千石。のち二千石に加増。忠利代に小姓頭役。光尚代に番頭役を勤む。
            その後、寛永二十一年蘆北番代。承應二年同地にて没。 (先祖附・永青文庫「御郡方文書」・同「御老中より被仰出覺書」)
   坂崎成方   細川家臣。内膳。成政。肥後國衆城清助が男。初め岡田虎之助。十三歳の時、豊前にて忠利に召出され知行四百石。坂崎道運嫡子
            清左衛門が養子となり坂崎内膳、兵庫と名乗る。七百五十石、さらに千六十六石餘に加増。小姓頭。養父没後遺領二千石を継ぎ、清
            左衛門と名乗る。綱利代千石加増。備頭。のち家老職を勤む。天和元年隠居、栖山と號す。二年没。
                                 (先祖附・松井文書・熊本藩侍帳集成・永青文庫「御老中より被仰出覺書」・細川家記續編) 

この系図は、先年坂崎家の分家筋の方といろいろやり取りをする中で、随分親しんで来た。先祖附をよく読み付きあわせをすればよかったのだが、系図に疑問を持ちながらも今日に至った。今回「細川家史料24」を読み、改めて先祖附を読み直して、先の坂崎家系図は初代と二代が入れ替わっていることを確信した。 

                                                      肥後国一揆衆・城清助(岡田源大夫)男
    坂崎伝助     道雲          (1)          (2) 岡田善同二男(養子・虎之助)→坂崎内膳 
  藤原成基---+---成方------------成定==============(養子)成政・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→2,700石坂崎清家
          |              清左衛門・承応二年没             天和二年三月二十五日没
          |
          |  (1)                     (2)                  (3)
          +---勝定------------勝是------------勝秋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→御中小姓坂崎半兵衛家
          |
          +---基之原城にて討死(29)

(2)成政は肥後国一揆衆城清助・男であるが、秀吉の人質となり後岡田善同の乞う処により助命され養子(二男)となった。
その後坂崎清左衛門の養子となったが、これは善同の父・重善が小豆坂七本槍の高名者であるが、坂崎伝助も七本槍の一人だという説があり、その事をもっての養子縁組であるとするが定かではない。(小豆坂七本槍に坂崎伝助の名は見えないが・・・?) 

この坂崎家は坂崎出羽守直盛の一族であることは先に書いた。一層の調査を重ねたいと思う。

 

 

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2 コメント

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うちは本家かな? (島根の坂崎ですけど、)
2015-05-08 08:02:17
島根県益田市の坂崎の家系図調べてみて。うちも15??年くらいから続いてるよ、坂崎直盛の子孫っぽいw
Unknown (津々堂)
2015-05-10 20:19:39
コメント有難うございます。
熊本の坂崎家と坂崎直盛とのつながりを証明する更なる史料が見つからずに居ります。
何かご存知でしたらお教えいただければ幸いです。

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