
今日の熊本日々新聞は、「相撲道の神様」日田永季の歿後905年祭りが、藤崎八旛宮内で執り行われたことを報じている。財津氏をはじめ子孫30名ほどが各地から集まられた。私が注目したのが、皆さんの家紋が「鬼州浜」だということである。財津氏、日隈氏、竹田津氏、江嶋氏などである。日田地方を収めた日田氏が、大友氏没落後豊前ニ於いて細川家に召し出された。肥後入国後は特に阿蘇地区に領地が与えられた。俳優「財津一郎氏」も一族の一人である。
日田社 www3.ocn.ne.jp/~tohara/hachi-fujisaki.html
日田氏 www2.harimaya.com/sengoku/html/oku_hita.html
私は「鬼州浜」という紋の名前がずっと判らずにいたが、今朝の新聞をみて「目からうろこ」である。名前が分かればサイトからいろんな情報が得られる。間違いなく日田氏の家紋だと紹介している。「肥陽諸士鑑」をひもといて確認したいと思っている。
日田社 www3.ocn.ne.jp/~tohara/hachi-fujisaki.html
日田氏 www2.harimaya.com/sengoku/html/oku_hita.html
私は「鬼州浜」という紋の名前がずっと判らずにいたが、今朝の新聞をみて「目からうろこ」である。名前が分かればサイトからいろんな情報が得られる。間違いなく日田氏の家紋だと紹介している。「肥陽諸士鑑」をひもといて確認したいと思っている。
実家の家紋は「鬼州浜」に剣が着いた紋で「剣鬼州浜」ですが鬼州浜に剣が付いた家紋に方はおられるか、ご存じありませんでしょうか。
最近、見つかった写真によると女紋は「丸に剣三つ州浜」と推測されます。
唐突なコメントを差し上げ申し訳ございません。
よろしければ、写真などお送りいただければ幸いです。
なお、家紋は鬼州浜で武家家伝の紋では在りません。本物の紋を見るには、日田市の大原八幡宮の社の屋根を見てください。この紋は日田永季公が後三条天皇から授かった紋です。
私の家紋は剣州浜です。
財津の家紋(鬼剣州浜ではなく、剣州浜です。)
女紋として確か三剣州浜と言う事が判明いたしました。
桜田門外の変に私の祖父は関わっていたようで(養子)らしいです。旧姓は後藤。
私の父も後三条天皇から剣州浜紋を頂いたと申しております。
熊本のすわま会の中心でしたが、これから先をどのように運営するかを検討しなければいけません。取り急ぎ、財津家ほか日田家ゆかりの人で興味ある人はご連絡ください。宜しくお願いいたします。
東日本大震災以後「絆」ということがよく言われます。かっては氏を同じくする一統のつながりは大変深いものがありました。こういった意識が希薄に成る昨今、絆の大切さが再認識されます。是非とも末永く存続できますようお願いいたします。
先日熊本に帰省しお墓参りをしたきました。
父が「この墓石は・・・永重の墓石」と言っておりました。
かなり昔・・・九州の何処かの大学の方が墓石の調査の来られ確認されたそうです。
永重は財津ではどの様な人物なのでしょうか?御存じでしたらお教え頂ければ幸いです。