![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/94/246c091cfd1547b23360a528fb3dd973.jpg)
赤と水色で色分けした部分は明治10年の西南の役による、火災による焼失地域と水没地域を示してみました。
水没に至ったのは井芹川下流を堰止め(図左下)した為ですが横手・新町・島崎・花園地域が被害を蒙っています。
城内や花畑邸はすっかり軍(熊本鎮台)に接収されてしまっています。そして城下町のほとんどが戦火で焼失しました。
細川家は北岡邸(妙解寺内)に居られましたが、姫様方は城下町に火が入れられる直前に立田邸(泰勝寺)に避難されました。
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/3270/1/BR0093_73-109.pdf
それにしても、もし西南戦争なかりせば、今の熊本市の様子も随分と違っていたでしょうね。ラフカディオ・ハーンに悪態をつかれることもなかったでしょうしね。
熊本の皆様にもこのような有様になった熊本を十分理解していただきたいと思いますね。
http://blog.goo.ne.jp/honzouin/e/1ce6be62d87ef30a12e28627f0eb7d9b