津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

絵図に熊本の変貌を見る・・(2) 明治6年~10年

2012-09-29 13:53:29 | 地図散歩

          赤水色で色分けした部分は明治10年の西南の役による、火災による焼失地域水没地を示してみました。
          水没に至ったのは井芹川下流を堰止め(図左下)した為ですが横手・新町・島崎・花園地域が被害を蒙っています。
          城内や花畑邸はすっかり軍(熊本鎮台)に接収されてしまっています。そして城下町のほとんどが戦火で焼失しました。
          細川家は北岡邸(妙解寺内)に居られましたが、姫様方は城下町に火が入れられる直前に立田邸(泰勝寺)に避難されました。 
                http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/3270/1/BR0093_73-109.pdf

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5 コメント

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城下町 (柴田)
2012-09-30 15:50:24
ちょうどこの年代の城下町の絵図を探していましたのでアップしていただいたのは大変ラッキーでした。ありがとうございます。じっと眺めていますと興味深いことが次から次と浮かんできます。いずれ小生のブログのネタにさせていただきたいと思います。
それにしても、もし西南戦争なかりせば、今の熊本市の様子も随分と違っていたでしょうね。ラフカディオ・ハーンに悪態をつかれることもなかったでしょうしね。
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ハーンの言葉 (津々堂)
2012-09-30 20:13:47
ハーンの言葉は少なからず熊本の印象を悪く喧伝していると思いますが、こまりものですね~。
熊本の皆様にもこのような有様になった熊本を十分理解していただきたいと思いますね。
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市街図 (祖継)
2012-10-01 01:12:36
旧桜井町はどの辺でしょうか?
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桜井町 (祖継様)
2012-10-01 09:46:53
上通りアーケード街にある長崎書店から南に抜ける道がありますが、これが旧・桜井町です。地図をごらんいただくときは、上通郵便局で検索されるとすぐ判ると思います。この郵便局の前にマンションがあり、そのプロムナードに加等清正が掘ったという「桜の井」(井戸)が残されています。
http://blog.goo.ne.jp/honzouin/e/1ce6be62d87ef30a12e28627f0eb7d9b
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旧・桜井町 (祖継)
2012-10-01 13:26:11
ありがとうございました。
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