津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■部分御舊記・軍事部八(1)

2021-11-01 07:00:37 | 史料

 「部分(ぶわけ)御舊記・軍事部‐八」に於ける、「有馬一件(天草島原の乱)ニ付武功御吟味并働之面々覚書」を、長きにわたるがご紹介していきたい。
皆勤とは参らぬかもしれないことは、前もってお断りして予防線を張っておく。お付き合いの程を・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 軍事部
  〇有馬一件ニ付武功御吟味并働之面々覚書
   肥前有馬城乗之御帳

     ・佐渡(松井氏)手三丸一番乗
一、永良弥角   御中小姓
一、入江八郎兵衛
一、小林勘太夫  御中小姓
一、佐田長三郎
 一、二月廿七日三ノ丸ノ一番乗私共余任にて御座候 御仕寄当番にて罷居候処ニ鍋島殿手二之丸四半しなへの指物乗入申
   躰ニ見へ申砌誰とも不存三ノ丸ニ乗込候へと申声仕候間 則此四人共ニ一度ニ乗込申候 私共之外ハ三ノ丸一番乗ハ無
   御座候以上

     ・頼母(有吉氏)手三ノ丸一番乗
一藪図書助
 一、二月廿七日与自分共ニ三ノ丸ニ一番ニ乗入申候
 一、ニ之丸ニ乗込敵とも少々討捨小屋ニ火をかけ本丸に懸り蓮池之上透戸見付之石垣ニ著申候 此所ニ而証人佐分利加左
   衛門其後就御使ニ引取申砌立允(細川立孝)へ理頼母備所へ參申候
 
     ・清田石見守手三丸一番乗
一、菅村藤兵衛

     ・二丸ニ而鑓合頸取申者
志賀左門与
一、竹内八兵衛
  一、二月廿七日二ノ丸透戸脇より乗込鑓合頸取申候 右のうでニ鑓手負うで叶不申引取申候 証人服部九右衛門・香山与
    助 證人口相違無御座候以上
一、松野縫殿助

  一、二月廿七日二ノ丸へ乗込鑓合頸取申候 西郡要人ニ見せ申し候 夫より中程にて壱人突たをし頸を取谷助太夫に見せ
    申候

  一、同日本丸之石垣にて鑓合突たをし申候 證人小田原九郎左衛門 證人口相違無御座候以上
一、吉弘四郎太夫
  一、二月廿七日二ノ丸にて鑓を合頸を取傳蔵様(幕府目付・牧野氏)江掛御目 嘉悦平馬存候 證人口相違無御座候以上
一、澤村宇右衛門(後、松井興長養子・松井宇右衛門友好)

  一、二月廿七日御本陣ゟ御供仕夫より御先へ參 蓮池少右手之上にて敵弐三人突留申候 又先にて鑓付たる敵両人掛り相
    申候 私之様子跡より長岡八郎左衛門(村上景則か)見可申候 證人口相違無御座候以上
有吉舎人与

一、桑山与助
  一、二月廿七日二ノ丸にて鑓合壱人仕留申候 私儀うでを鑓にて被突又鉄炮手負罷帰申候 證人竹内八兵衛 證人口相
    違無御座候以上
右同与

一、寺尾元馬
  一、二月廿七日二ノ丸ニ乗込敵ト鑓合鼻とこんたつ(ロザリオか)を取申候 藪熊之允見申候 證人口相違無御座候以上
沢村宇右ヱ門与

一、山内三大夫
  一、二月廿七日二ノ丸江乗込候ヘハ敵五六人鑓を持同勢よりはり出申を壱人鑓付仕留申候 高見少五郎言葉を替申候
    證人口相違無御座候以上
有吉舎人与
一、荒木彦大夫
  一、二月廿七日二之丸透戸口三間斗海手之方塀を乗込 敵五六人居申敵一人突たをし申候 其段山内三大夫能見申候
    證人口相違無御座候以上

藪図書与
一、小崎二郎左衛門
  一、二月廿七日二ノ丸透戸ニ著透戸を越鑓を合頸取申候 証人長岡監物内松岡四郎兵衛 證人口相違無御座候以上
志賀左門与

一、服部九右衛門
  一、二月廿七日二ノ丸塀を乗越内にて一両度鑓を合せ申候 証人菅村藤兵衛・竹内八兵衛 證人口相違無御座候以上 
一、松山次郎大夫
  一、二月廿七日二ノ丸ニ而敵三人出合私かない耳の下ふゑのわきをつかれ候へともおきあかり壱人つきたをし申候
    又長刀にて甲ほうあての上小手の上きられ申候 證人和田清大夫 證人口相違無御座候以上
一、釘本拾左衛門
  一、二月廿七日二ノ丸にて鑓を合則敵仕留申候 證人頼母佐(有吉氏)内戸田十丞 證人口相違無御座候以上   

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■投票の行方 | トップ | ■1,200÷30=40 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿