津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■二月十八日付け、花畑邸大掃除の号令

2024-02-18 07:38:52 | 歴史

    寛永九年十二月に肥後に入国した忠利は、地震におびえている。
城内の居住区の周辺には空き地がなく、地震屋を立てる空間もないと嘆いている。
そんな中、老中稲葉正勝の居城・小田原城が崩壊したというニュースを聞き怯えが増幅し、城を出ることを考えた。
急遽のことであったと見え、三家老からの達、御用番であろうか家老米田監物の指示が10名の主なる家臣に通達された。
ヤフオクで競い合って、何とか手に入れた書状である。

                  明日御花畑へ被成御移申候ニ
                付而掃除被成御急候間
                人有次第鍬・も川こ(もっこ)・者うき(ほうき)
                持せ唯今早々可被差
                出候 御供衆中被仰
                付候得共 人すく奈ニ可有之候
                と存申入候 則不破平太夫
                中山左次右衛門着到付可
                被申候間 可被得其意得候
                恐々謹言
                 二月十八日   三人 (三家老)

                右如此申触候間被得其意
                御花畑早々被出平太夫
                左次右衛門へ被引渡可着
                到付候以上
                       長監物 
                 二月十八日   是季・花押

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                  右から 嶋 又左衛門殿
                       矢野半十郎殿
                       小坂半之進殿
                       松岡久左衛門殿
                       佐分利兵大夫殿
                       谷 助大夫殿
                       長谷部文右衛門殿
                       山川惣右衛門殿
                       山内勘助殿
                       細川七左衛門殿
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