津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■一晩三度のこむら返り

2022-12-14 14:58:27 | 徒然

 昨晩というか今日の未明から朝方にかけて、三度右足のこむら返りを起こした。
一度目は悶絶するような痛さ、二度目と三度目はなんとかS波で飛び起きてしばらく寒い中を数分立ち尽くした。

一度目は当然S波で飛び出そうとしたが、またまた足元が毛布にとられて飛び起きることが出来ず、足先が伸びきってしまい強烈な痛さを体験した。
同じところを三度やるとこの時間でも脹脛が痛い。散歩に出て長距離を歩くと必ず翌朝は発生するから、今日は散歩は中止。
もう典型的な糖尿病の症状の一つだと認識しているから、最近ではかなりハードな糖尿病メニューで過ごしている。
よくしたものでそろそろ一ト月に成るが、なれてきて、オートミルも嫌ではなくなり、野菜サラダを「馬のはみ」のようにばりばり食べたりしている。
麺類が好きな私はウドン・ラーメン・蕎麦などが食べられないのがつらいが、最近大豆の粉で作ったという麺を見つけ出した。
糖分は大変少ないというから楽しみにしている。

これだけ努力しているから少しは改善しているとは思うが、一晩三度のこむら返りが起る所を見ると、食事の効果が見えるのはまだまだ先の事のようだ・・・
この痛さはなれるという事は絶対ありませんから。

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■江戸時代の時間

2022-12-14 07:59:50 | 歴史

 今日14日は赤穂浪士の討ち入りを決行した日だとされる。現代的には15日の未明である。
ある高名な先生は夜半とされるが、この形容は当たらないように思う。討ち入った時間は七つ(AM4時頃)とされるからだ。
これを14日とするのは、夜明け(明け六つ)をもって一日の始まりとしていた江戸時代に於いてはそういう事になる。
ある歴史家は、吉良上野介の首級を上げたのは、明け六つをやや過ぎたころとするから、そうなると15日の明け方となる。
何とも悩ましい話ではある。

「お江戸日本橋七つ(午前4時)立ち」という言葉があるが、これは日本橋の木戸が明く時間が七つ時であることによる。
町々の木戸が明くのが明け六つ、赤穂浪士も木戸が閉まっていれば引き上げることが出来ないから、このような事も計算に入れての吉良邸襲撃であったろう。
引き上げに際しても、江戸城に登城するする行列と行き合う様な時間帯で、ルートに気を配っての退却している。

「明け六つ」の6,「七つ立ち」の7という数字は、時を知らせる鐘の音の数からきている。
夜の「子」、昼の「午」を「九つ」として、一刻(2時間)毎に、「八つ」「七つ」「六つ」「五つ」となる。
尤も江戸時代は不定時法だから、昼の長さ・夜の長さを六つ割するから、一刻を2時間とすることは不正解である。
そろそろ冬至(22日)を迎えるが、この日が一番日が短く平均9時間45分程度とされるから、一刻は1時間40分ほどとなる。
一番長いのは夏至で14時間50分程度とされるから、夏の一刻は2時間30分ほどである。
松尾芭蕉の句に「花の雲 鐘は上野か浅草か」が有名だが、江戸で7カ所「時の鐘」が鳴らされた。
熊本の時の鐘はどうであったのだろうか。まだ史料に出合わないでいる。

 

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