津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■黒人の士・弥助

2022-12-11 17:34:06 | 書籍・読書

                   信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍

 NHKのEテレで「信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の再放送を観た。ロックリー・トーマス氏の上記著作がベースとなって話が勧められていく。
この本は2017年2月7日第1版が出版されたが、私はしばらくしてから大いなる興味を以て購入した。
NHKの放送内容によると、この著作は黒人社会で大いなる反響を呼び称賛され、キム・バースというアメリカ人監督が弥助を主人公とした映画を100億円の大金をかけて映画化するという話があった。
奴隷としてイエスズ会の宣教師・アレッサンド・バリヤーノにつれられ、インドのゴアの聖パウロ学院で教育を受け、その後日本へやってきた2mを超える大男で屈強な体力を持った男は、バリヤーノの九州布教の後、信長に布教の許しを得るために京へ上る。
この黒人の存在は人の口を経て信長の知る所となり、バリヤーノは信長に謁見することになった。
好奇心旺盛な信長はバリヤーノに乞い、この黒人を家来とする。黒人侍「弥助」の誕生である。
どうやら小姓らしき待遇を受け信長はあちこちと連れまわしている。しかし、本能寺の変が起り信長は死去し弥助の運命も急変する。明智の軍勢に捕らえられた弥助は、光秀の命により南蛮寺に届けられたという。
いろんな古文書が駆使され其の後の足取りがうっすらとあぶり出される。それによると弥助は九州の有馬氏の許に在ったらしい。また加藤清正の書簡から、妻子もあったとされる。
奇しき彼の人生は黒人だからという当時の日本の差別感情がなかったとしている。そうすると幸せな異国での生活であったかもしれない。
そんな特異の人物だが、その後の事は陽として知れない。その後の切支丹排除の動きが増すと日本を離れたのかもしれない。
映画製作の進捗はどうなっているのか、著者・ロックリー・トーマス氏のその後の研究の成果も知りたいところである。

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■光尚の本音

2022-12-11 07:59:06 | 徒然

 11月3~5日にかけて行われた熊本大学付属図書館の貴重資料展「悲劇の藩主細川光尚」の解説目録を眺めている。
実は私自身は出席が出来なかったので、熊本史談会のN君にお借りしたものだ。
本当に貴重な資料で、こういう物は実物をみて目に約付けておくべくだとつくづく思うが、仕方がない。
よく見てみると、今迄知り得なかった情報にあふれている。光尚の本音や苦悩の程がよく判る。
解説目録の目次を書き出してみる。

   1、こんな大きな城は見たことがない
   2、3、妻と子の相次ぐ死
   4、上使板倉・石谷いわく「いまさら島原には来なくていい」
   5、父忠利いわく「上使の言いなりは笑い者になるぞ」
   6、原城攻めの全容を示す絵図
   7、戦場にメガネを届けて
   8、兵学の師・小幡勘兵衛に戦況の報告
   9、小幡勘兵衛から「甲陽軍鑑」の兵学を皆伝
    10、光尚が身に着けた三斎流の甲冑
    11、拙者、天草四郎の首を取ったり
    12、隠居独立をもくろむ三斎と忠利との軋轢
    13、忠利の絶筆
    14、三斎との対立は根深く
    15、天下に続く人なき人の跡を継ぐ
    16、養生第一、国主としての自覚を 沢庵のアドバイス
    17、宮本武蔵の実像の一端
    18、光尚の痔によつて権力が変容
    19、沢庵の痔薬と外科治療
    20、数え歳二五にして認めた遺書の原本
    21、遺書を家老衆に託す
    22、病をおして参勤出立 薩摩島津家の反乱対策
    23、天草冨岡城への在番を命じる老中奉書
    24、飢餓になるぞ 損得を超えて百姓に対処せよ
    25、隣国に横目を遣わして飢餓の情報を収集
    26、都市生活が破綻した家臣たちは田舎に移住
    27、長崎出兵が財政再建の障壁に
    28、財政破綻の経緯とリストラ計画を記した文書
    29、御国返上の遺書
    30、死去したときには形見もなかった
    31、御国を返すはずなのに工作準備をしているのはなぜ?
    32、家老合議制への新時代へ

それぞれの解説を読むと、初めて知る事も多く目から鱗の感を強くした。

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