津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■江戸煩い

2022-12-03 13:07:48 | 徒然

 「一人扶持」という言葉があるが、これは米が一人一日五合宛支給されることをいう。味噌も併せて支給された。
年360日、年間一斗八升にあたるが、俵にすると5俵である。
江戸時代中期迄は二食であったから、一食2.5合が食べられることになる。俸給制度として、家族が5人いるから必ず5人扶持が与えられたかというと、必ずしもそうは言えない。
切米と併せて支給されることが多い。

 「江戸煩い」という言葉がある。扶持米は現米(当時は玄米とは表記されない)で支給され地方ではこれを白米として食するのは高禄の人に限られた。
処がある時代から江戸参勤をした侍たちが次々に病気になる。原因が判らないから治療の方法も判らない。
それでも江戸での勤番を勤め足を引きずりながらなんとか帰国することになるが、国許で玄米食にもどると病は快気した。
それゆえにこの病気を「江戸煩い」と称したが、いまでいう「脚気」である。
「江戸煩い」が発生した時期の江戸に於いては、国許では玄米食の者が江戸で白米食になったことによるといわれる。

 現代においては多様な食事形態が有り、米の消費量はくらべようがないが、現代では「茶碗1杯に使われる米の量は0.5合(75g)程と言われる。二膳食べても一合だから、江戸時代三食になっても5合/3=1.66合だから、粗末な食事の中米で腹を満たしカロリーを確保していたと考えられている。
白米の時代になると脚気と共に糖尿病も多く成ったことだろう。

 考えてみると、昭和の時代の「一汁三菜」の食事が、健康には一番良かったように思える。
糖尿病宣言を受けて、今しみじみと感じている。

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■御侍帳・家紋から考える(64)

2022-12-03 07:19:54 | 家紋

                     

                             新・細川藩侍帳【ひ】の部

平井左大夫は、(南東53-6)平井太郎八家の8代目・左大夫(典助)。用人などを勤めた。前回(63)に登場した平井氏の一族、家紋は「陰丸に五つ木瓜紋」

平井伝十郎は、【丹後以来】(南東53-21)平井甚十郎家の8代目か。家紋は「隅立角に三つ引き紋」 

平山亘理は、(南東53-18)平山伊一郎家の5代目・藤五(亘理)。家紋は表示がない。
       このお宅の家祖は、豊臣秀吉室・高台院の兄・木下家定系の足守藩主・木下家の分家である。
       以前、この事実を発見して
細川藩士平山氏の出自は足守藩主木下氏を書いた。

平川伝左衛門は、(南東53-22)平川貞四郎6代目・傳吉(傳左衛門)、家紋は「鬼菊紋」?「亀甲紋」

平川丈助は、(南東53-17)平川弥丈家の5代目・名は惟延、武勇にして忠孝を心とし邊幅を修めず、気象灑然、桜花を絶愛し咲花居士と号す。
       頗る狂歌を善し、口を衝いて出づ。嘉永五年二月二十日没す。年七十八。家紋は「丸に■文字紋」「舵紋」

平塚孫四郎は、(南東53-15)平塚孫四郎家の7代目。家紋は「陰隅切り角に■■紋」

東 尉左衛門は、(南東53-12)東 太郎平家、同名名乗りのものが多く人物の特定に至らない。家紋は「六つ丁子紋」「蕨桜紋」

日隈助之進は、(南東53-8)日隈次雄家の7代目、北条流兵法師範を勤めた。家紋は「隅切り平角に浜洲紋」

樋口元貞は、御医師 (南東57-36 医)樋口立卓家の6代目、家紋は「壽文字紋」か

久武喜内は、(南東53-16)久武白川家の8代目、家紋は「三つ茶の実紋」「鬼浜洲紋」
       喜内の父が久武綺石 名は兼者、権之助と称し、致仕して綺石と号す。藩に仕へ小姓組を勤む。
       禄二百廿石。叉俳諧を善くし其流を汲む者頗る多し。  
久武太郎右衛門は、同上分家、(南東53-14)久武卓爾家の4代目大助(太郎右衛門)、家紋同上

久光八助は、(南東53-23)久光善太家の6代目、家紋は「丸に一文字紋」

東 英助は、(南東53-35)東 英四郎家の6代目か、家紋は「子持ち隅切り平角に丸紋」 

平野源左衛門は、平野甚兵衛家の6代目・源左衛門(甚兵衛長金)、家紋は「一つ左巴紋」

久野立玄は、御医師(南東57-34 医)久野主敬家の7代・太郎次(玄碩・玄立)。家紋については表示がない。  


        新・細川藩侍帳【も】の部

元田尉大夫は、【丹後以来】(南東24-7)元田貞太家の8代目・尉太郎(尉大夫・八右衛門)、家紋は「隅立角に登り藤紋」 

元田弥一兵衛は、【丹後以来】(南東24-7)元田岳人家の5代目。家紋は「隅立角に登り藤紋」「子持ち隅立角に剣唐花紋」

諸井景淳は、「細川家家臣略系譜」に名前が見えない。家紋は不表示。

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