津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■時間の周知

2017-02-25 10:50:20 | 徒然

 夏目漱石の句に「午砲打つ地城の上や雲の峯(明治29年)」があるが、熊本城にはかって午砲台という場所があった。
明治17年から熊本鎮台が時報業務として空砲を放ったとされる。そしてこれは昭和18年まで続いていたという。砲は江戸時代に生産された国産の砲が用いられていたというが、金属供出により鋳つぶされてしまった。

さて、それ以前の時間の周知はどうであったのだろうか。
江戸においては寛永寺の鐘で時報を打ち、次々とお寺が打ち伝えたとされる。

熊本においてもそれに倣って同様のことが行われたのであろうが、未だ詳細を知らないでいる。
八代重賢公の時代の記録に面白いものがある。

        時の鐘突き候儀殿様御工夫ニ而朝之鐘を段々夜之内へ繰
        昼ノ四ツを五ツニ突かせ被成候 八ツをのべて七ツニ御突
        かせ被成候 是ハ四ツゟ八ツ迄之勤方二日之役を一日ニ相
        仕廻候様之御工夫と申候 夫故肥後國ハ諸奉公人百姓ニよ
        らず朝厳敷晩を詰申候

昨今大企業やブラック企業の超過勤務が問題となっているが、これはそれまでの四時間勤務を八時間勤務に倍加させるという名(迷)案である。
すなわち役所の始業の鐘を一ト時(二時間)早く打ち、終業の鐘を一ト時(二時間)遅くしたというのである。
熊本においては、役所の八時間勤務はここから始まったというが? 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする