津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

沼田氏の證人

2008-09-08 16:49:08 | 歴史
 寛永十五年頃のものと思われる、八月十六日付肥後(光尚)宛の越中(忠利)書状が有る。その中に沼田氏の証人に関する条がある。

 勘解由むすめ之事右曾又左(曾我又左衛門)差図にてむす子ニ替度由證人奉行へ被申候つる其首尾順齋を以證人奉行へ被尋候へハ済可申様ニ被申候由済切返事候ハヽ可被申越候勘解由ニ可申付候 度々申候てはか不参儀を又々如何ニ候下候て可申談候事并状之内之印ふうの印申候事
      
                清田石見乗栄---主馬乗治   
                              |---元長
                          +--女・國
                          |
                          +--延武   +--延相---兼辰
          (1)    (2)   (3)    | (4)    |       (5)    (6)   (7)
          清延---延元---延之---+--延将---+=====兼辰---元昭---将休
                          |
                          +--延晃
                          |
                          +--延春===元長

 ここに出てくる勘解由とは、三代延之の事である。寛永元年家督している。「むすめ」とは「國」であろう。「むす子(息子)」というのがよく分からない。実は、延将・延晃・延春ともに江戸證人となっている。数年毎に入れ替わったのであろうか。
「國」は清田石見乗栄の息・乗治に嫁ぎ、その息・元長は沼田延春の養子となった。
コメント
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