津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

一の天守、二の天守

2008-09-07 13:05:57 | 徒然
 ママに手を引かれて歩いていた、三歳くらいの男の子が突然「ママ、うんち」
母親はいささか戸惑い気味に「もう出たの?」と聞く。
「まだ出てない」といいながら、男の子は歩みを止めた。
うちのトイレをどうぞと言いたい所だが、間に合いそうもない。
すぐ近くに、売り地の看板がもう何年もたっている空き地が有る。
母親は子供を抱え上げると、ここに走りこみ男の子は「野雪隠」と相成った。
母親は後始末のものをティッシュでくるむと、ちゃんと持ち帰っていった。(えらい・・)
草むらにお尻が触れたらしく、「お尻がこそばいかった」と話している男の子の声に、通り過ぎながら思わず頬が緩んでしまった。

 ちょっと品のない「肥後狂句」をご紹介しよう。古句である。

 ■野雪隠 一の天守ニの天守
   腰をおろした場所から熊本城が遠望できたのだろうか。雄大な野雪隠である。
   いやいや、これは事を終わった後(大小二つの山を残した)の状況だろうが、
   まさしく名句である。

 ■野雪隠 ちんちんこそぐるむぞう花(蓮華草)
   ピンク色の蓮華草が一面に広がった畑でもあろうか、事に及んだら我が一物に
   蓮華草がさわるといった情景である。「こそぐる」とは熊本弁、標準語では・・
   「こちょこちょする」といった状況である。

 若かりし頃飲み屋に出かけては、覚えたてのくだらぬ肥後狂句を披露して、大いに笑いを取り且つ又ひんしゅくを買ったものだ。スナックのママさんは、腹を抱え涙を流して笑いながら、私を指差し「帰れ」とのたもうた。
しかし上記二首は「肥後狂句」の大傑作だと思っている。但し「詠人不知」とされる。
コメント
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