一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

被災地に笑いは必要か

2016-04-24 06:12:15 | 雑記




      今回の熊本地震でもTVのお笑い番組について
      その是非が問われているようである。

      被災地に「お笑い」は必要か。

      お笑い番組といっても程度問題であろう。
      あまり下品な下ネタなどでは顰蹙をかうで
      あろうし、だからといってお高くとまった
      番組では心に響かない。

      被災地にかぎらず、日常的に「笑い」は潤滑油
      で、病気すら快癒するという説があるくらいで
      ある。 
      だが、その線引きはどこになるのだろう。
      受け手によっても異なるだろうし。


      ここで新聞でみた松村由利子さん(歌人)の
      コラム(うたのスケッチ帳)を紹介したい。
      タイトルは「輪ゴム」

      「輪ゴム」なんて余りにも身近すぎて歌になる
      のかしらと思ったが、あにはからんや不意を
      突かれた。

      「3階の窓から空に向け飛ばす輪ゴム
                神さま僕はここだよ」      
                    (田中ましろ)

      小学校低学年くらいの少年だろうか。
      空に向かって輪ゴムを放ち、「神さま」「僕は
      ここだよ」と呼びかける気持ちが可愛らしい。

      「大正に生まれ昭和を生きた母
           手首に輪ゴムをしていたいつも」
                     (藤島秀憲)

      これは、ひと頃の年代の人なら誰でも記憶に
      あるのではないか。
      昔のお母さんは物を大事にした。この歌をよむ
      と、なぜか白いかっぽう着と共に、水仕事で
      荒れた手まで目に浮かぶ。

      「のびきった輪ゴムのやうな陽(ひ)だまりに
                 父と母とが大根洗ふ」
                     (時田則雄)
 
      「のびきった(輪ゴム)のような陽だまり」
      ですか。なかなか表現できるものではない。
      大根は一本や二本ではない。
      漬物にするために大量な大根であろう。
      それを黙々と洗う老父と老母。
      季節は北国の晩秋。
      私はそんな光景を想像する。
      北風が吹きはじめて寒いけど、暖かい夫婦の
      関係性。

      この昭和の記憶のような「うたのスケッチ帳」
      は、私に生気に満ちあふれる活力を与えてく
      れた。
      もし私が被災地に置かれたとしても、きっと
      このようなコラムから明日を生きる力を得る
      ことだろう、と思った。