一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

一本の桜

2016-04-10 08:03:43 | 雑記


   桜はまだ咲いているところもあるが
   木によっては葉桜となったところもある。   

   そんなある日、私は 
   図書館でぱらぱらと本をめくっていた。
   佐藤愛子著『老い力』の末尾でこんな言葉を
   見つけた。

   50年も昔、氏は敗戦の日々を生き延びるため
   農村でお百姓の真似事をしていた。
   甘藷畑のある家の勝手口に一本の桜の木があった。
   とくに枝ぶりがよいというわけでもなく、
   そこに桜があることさえ念頭にない桜の木。

   ある午後のこと、急にあたりが暗くなって
   洗濯物を取り入れようと勝手口を出ると、
   突然遠雷がとどろいた。

   と思うと、薄暗い空に一瞬、稲妻が走った。
   稲妻の黄色が消えた後、ふと見ると遠雷と
   遠雷との間(はざま)の静寂の中、
   桜が静かに盛りの花を咲かせていた。

   「息を呑むほどピンクが鮮やかだったのは、
    背景の空が暗い灰色だからだった。
    その時この美しさを表現したいという
    欲求が生まれたが、どんな言葉でいえば
    いいのか皆目わからずに、私は立ちつく
    していた」

   それが氏の「表現すること」への欲求を
   持った最初だったというが、
   私はこの言葉につよく胸を打たれた。
   
   そうだ、人は表現しようとしたとき
   (文章でも音楽でも絵画でも、はたまた
    他人に語るだけのことでも)
   そこには何か、強い衝撃みたいな力が
   働いているのだ、と。

   そして氏はいうのである。
   「桜は一本、曇天の下で一人で見るに限る」