「青森県酢ヶ湯で515㎝の積雪」という映像を
みて、ふと思い出したことがある。
私は東北(福島県)生まれだが、太平洋に沿った
ところ(南相馬市)で、そう雪深いところでは
ない。それでも子供の頃は10㎝以上積もること
もあって、日常と違う光景がうれしくてならなか
った。
はじめて「大雪」を経験したのは学生時代に新潟
の友人の家に遊びにいったときである。
家の中に入れば窓という窓は雪に埋もれ、二階から
出入りするのにも驚いた。
近くのスキー場にいってはじめてスキーなるものを
経験したが、スロープの先はカーブになっているか
ら見えない。
目の前に雪をかぶった山脈がせまってきて、楽しむ
より寒さと恐怖で早く帰りたかった。
後で地図を見たら、友人のところは「高田」から
そう遠くないところで、日本有数の雪国であること
も分かった。
現在では気象状況も変わってそうでもないかもしれ
ないが、当時は雪といえば越後の「高田」で、それは
教科書にも出ていたような気がする。
一晩で10mを超える積雪もめずらしくなく、町全体
がすっぽり隠れてしまうので、
「この下に高田あり」という立て札を立てたという話。
何でも立て札を立てたのは加賀藩の飛脚だったという。
飛脚があまりの雪に立ち往生して、困ったあげく、
こんな目印を立てたのであろうか。
森鴎外の「北游日乗」にもこんな文章がある。
(明治18年3月8日)
「高田を立つ道の上なる雪も融けたり」
(写真は雪の日にバスからみた六地蔵)