報告のその2は、困りごとや要望の聞き取り訪問と、物資の「お届け隊」の活動の内容です。
地区委員会は震災を受け解体しましたので、借家でセンターです。
スタッフ。東京や沖縄のかたががんばっていました。
まずは2日目の8日の訪問活動です。行った先は、門脇の築山という地籍です。ここも全壊のお宅が多い、被害が大きかった地域です。ぽつぽつと自宅に帰ってきている方がいますので、お訪ねしました。
「ああ、共産党さん。この前、チラシが入ったので早速困ってだごと、相談しました。ありがたかった。ホントに親切にしてもらって・・・・・長野がら応援すか?」「ハイ、でも私も石巻の出身で、千石町なんです」「あららー、そうですかあ。どうでしたァ、お宅は」など、共感し合えました。
「家はちゃんとしているように見えけっども、全壊なんです。つっかえ棒でもってんです。全壊で保障が出るといってもわずかで・・あわてず様子見てやろうかと。親戚中に泥だし手伝ってもらって、やっと何とかスリッパで家に入れるようになったんです」息子さんが「自民党も民主党もなにやってんだ!!私たちがどんな思いで暮らしているとおもってんだ!!」と顔を真っ赤にして怒っていました。
「ここまで水に浸かったんですか」「いやいや、もっと上だでば。家も全壊で住めねんです。だから、息子の社宅に間借りしてるんだが、一軒に何所帯も入ってるし、一時しかいられない。食料にもこと欠いてる。年金だけだっちゃ、なんで義援金早くくれねがなあ。ほしいよなあ。仮設住宅、入りでがったが、外れてしまって行ぐごどねえのさ。弱ってんだ。仮設に入れればなあ、今はそれだけでがす。そのあとのごと?考えられないですよ。今は。政治は何やってんだか、われわれのごと、わがってねえ」
自民、民主の国民不在の政治のあり方には、被災者のみなさんの怒りは心頭に達していました。義援金も、今すぐにと、どなたもの強い要求になっていました。「共産党さん、この前ここで物資を配ってくれて助かったでば。ありがてがった」「よぐ、やってくれて・・」と感謝の言葉をたくさん聞くことができ、嬉しく思いましたが、まだまだ手が足りなくて行けてないところがたくさんあるようです。
9日の最終日には、「お届け隊」にはいりました。松戸からのボランティア部隊と一緒でした。場所は湊地区。北上川のうつみ橋をわたってすぐの地域で、やはり、全壊のお宅が多く、一階は泥だらけで二階で暮らしている方が多いのです。昔、私の父が働いていた工場があったところで、父に連れられてよく遊びに来た地域です。
うつみ橋をわたって湊にはいったとたんにこの光景です。
避難所を出て自宅に帰ると、とたんに公的な食事などの援助は打ち切られます。だから、お届け隊は重要な役目です。実感しました。軽トラ一杯の物資がものの30分足らずですっかりなくなってしまい、それどころか、全く足りません。物が充足していると言われているのは、全く現実と違います。足りません。3ヶ月たっても、食料に事欠いているのが、この震災です。本当に、政府の対応は遅すぎます。
町内を一回り、ハンドマイクで呼び込むと、次々と人垣が。
「冷蔵庫もまだねえがら、困ってんです」「米、ありがてなあ。助かる」「シャンプーはないべが」「買い物にいげねがら助かる」「このパンツ、4才の孫に大っきいがなあ。んでもないよりいっちゃ。何もかも流されでしまったんだがらさあ」
チラシを配る長野北部地区の宮川さん。
「自転車が欲しいんだが・・・」
病院に行くのに足がなくて困っていたおじさんが「自転車はねえべか」と。「ああ、今日はないんですよ。でも、名前と住所を書いてください。はいったら連絡しますよ」「よろしく頼みます。歩いていげって言われでもなあ。日赤は遠いんだよ」
物資がなくなりかけてから、聞きつけてきた方がけっこういました。わかるまでに時間がかかるんだと思いました。「もっと、はえぐ(早く)気いつけばいがったなあ。もうないのすか」と悲しそうにする女性に、「またきます。困ったら電話ください」とチラシにセンターの電話番号を書いて渡したら、しっかり握りしめ、うつむいてくちびるをわなわなと振るわせて涙をこらえてその場を去っていきました。胸が痛くなりました。直ぐにまた来てあげたくなりました。
歩くことができないお年寄りや、ぱっぱっと行動できない弱い方は、こんな場面でも置き去りにされるのだとも実感しました。でも、「お隣のおばあちゃん、一人暮らしで出てこれないから、もらっていっていいべか」と聞く方がいて、嬉しくなりました。だから、また呼び込みをしました。「ご近所に取りに来れない方がいたら、どうぞ運んであげてくださーい」と。
終了しました。
湊小学校です。
避難所になっている湊小学校です。ここには、党市会議員の庄司さんが避難生活をしています。庄司さんも家はダメになりました。まとめ役で奮闘しています。
センターの物資は十分ではありません。石巻だけでなく被災地はどこでも、お届け隊が活躍できるように、全国からの物資が待たれていると思いました。
セブンイレブンの移動販売車を見つけました。
第3回目の報告は、北上町と南三陸町の様子をお知らせします。