中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

石巻救援活動報告  その2  困りごとや希望の聞き取り訪問、お届け隊

2011年06月10日 16時43分05秒 | 活動日誌

 

 報告のその2は、困りごとや要望の聞き取り訪問と、物資の「お届け隊」の活動の内容です。

地区委員会は震災を受け解体しましたので、借家でセンターです。

スタッフ。東京や沖縄のかたががんばっていました。

 まずは2日目の8日の訪問活動です。行った先は、門脇の築山という地籍です。ここも全壊のお宅が多い、被害が大きかった地域です。ぽつぽつと自宅に帰ってきている方がいますので、お訪ねしました。

「ああ、共産党さん。この前、チラシが入ったので早速困ってだごと、相談しました。ありがたかった。ホントに親切にしてもらって・・・・・長野がら応援すか?」「ハイ、でも私も石巻の出身で、千石町なんです」「あららー、そうですかあ。どうでしたァ、お宅は」など、共感し合えました。

 「家はちゃんとしているように見えけっども、全壊なんです。つっかえ棒でもってんです。全壊で保障が出るといってもわずかで・・あわてず様子見てやろうかと。親戚中に泥だし手伝ってもらって、やっと何とかスリッパで家に入れるようになったんです」息子さんが「自民党も民主党もなにやってんだ!!私たちがどんな思いで暮らしているとおもってんだ!!」と顔を真っ赤にして怒っていました。

 「ここまで水に浸かったんですか」「いやいや、もっと上だでば。家も全壊で住めねんです。だから、息子の社宅に間借りしてるんだが、一軒に何所帯も入ってるし、一時しかいられない。食料にもこと欠いてる。年金だけだっちゃ、なんで義援金早くくれねがなあ。ほしいよなあ。仮設住宅、入りでがったが、外れてしまって行ぐごどねえのさ。弱ってんだ。仮設に入れればなあ、今はそれだけでがす。そのあとのごと?考えられないですよ。今は。政治は何やってんだか、われわれのごと、わがってねえ」

 自民、民主の国民不在の政治のあり方には、被災者のみなさんの怒りは心頭に達していました。義援金も、今すぐにと、どなたもの強い要求になっていました。「共産党さん、この前ここで物資を配ってくれて助かったでば。ありがてがった」「よぐ、やってくれて・・」と感謝の言葉をたくさん聞くことができ、嬉しく思いましたが、まだまだ手が足りなくて行けてないところがたくさんあるようです。

 9日の最終日には、「お届け隊」にはいりました。松戸からのボランティア部隊と一緒でした。場所は湊地区。北上川のうつみ橋をわたってすぐの地域で、やはり、全壊のお宅が多く、一階は泥だらけで二階で暮らしている方が多いのです。昔、私の父が働いていた工場があったところで、父に連れられてよく遊びに来た地域です。

うつみ橋をわたって湊にはいったとたんにこの光景です。

 避難所を出て自宅に帰ると、とたんに公的な食事などの援助は打ち切られます。だから、お届け隊は重要な役目です。実感しました。軽トラ一杯の物資がものの30分足らずですっかりなくなってしまい、それどころか、全く足りません。物が充足していると言われているのは、全く現実と違います。足りません。3ヶ月たっても、食料に事欠いているのが、この震災です。本当に、政府の対応は遅すぎます。

町内を一回り、ハンドマイクで呼び込むと、次々と人垣が。

「冷蔵庫もまだねえがら、困ってんです」「米、ありがてなあ。助かる」「シャンプーはないべが」「買い物にいげねがら助かる」「このパンツ、4才の孫に大っきいがなあ。んでもないよりいっちゃ。何もかも流されでしまったんだがらさあ」

チラシを配る長野北部地区の宮川さん。

「自転車が欲しいんだが・・・」

 病院に行くのに足がなくて困っていたおじさんが「自転車はねえべか」と。「ああ、今日はないんですよ。でも、名前と住所を書いてください。はいったら連絡しますよ」「よろしく頼みます。歩いていげって言われでもなあ。日赤は遠いんだよ」

 物資がなくなりかけてから、聞きつけてきた方がけっこういました。わかるまでに時間がかかるんだと思いました。「もっと、はえぐ(早く)気いつけばいがったなあ。もうないのすか」と悲しそうにする女性に、「またきます。困ったら電話ください」とチラシにセンターの電話番号を書いて渡したら、しっかり握りしめ、うつむいてくちびるをわなわなと振るわせて涙をこらえてその場を去っていきました。胸が痛くなりました。直ぐにまた来てあげたくなりました。

 歩くことができないお年寄りや、ぱっぱっと行動できない弱い方は、こんな場面でも置き去りにされるのだとも実感しました。でも、「お隣のおばあちゃん、一人暮らしで出てこれないから、もらっていっていいべか」と聞く方がいて、嬉しくなりました。だから、また呼び込みをしました。「ご近所に取りに来れない方がいたら、どうぞ運んであげてくださーい」と。

終了しました。

湊小学校です。

 避難所になっている湊小学校です。ここには、党市会議員の庄司さんが避難生活をしています。庄司さんも家はダメになりました。まとめ役で奮闘しています。

 センターの物資は十分ではありません。石巻だけでなく被災地はどこでも、お届け隊が活躍できるように、全国からの物資が待たれていると思いました。

セブンイレブンの移動販売車を見つけました。

 第3回目の報告は、北上町と南三陸町の様子をお知らせします。

 

 

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石巻救援活動報告  その1  産業の中心が・・

2011年06月10日 14時14分11秒 | 活動日誌

 

 石巻の活動報告を何回かに分けて報告します。写真をみていただきながら説明してゆきます。

まずは3月28日に行ったときの写真

今回の同じ建物。上の写真は左の建物の黄色の壁の部分です。

これは「観慶丸」という古い歴史のある建物です。

  このように繁華街は道の脇に積んであった瓦礫が撤去され、きれいになっていました。でも、表向きだけで、店や家の中は、空っぽのままで手がつけられない実態です。

全焼した小学校

 一歩郊外に出れば、やっぱり瓦礫の山です。写真は門脇の小学校です。我が家のお墓のあった地籍でもあります。瓦礫の撤去が遅れているのは、捨て場が確保できないこと、遺体の収集が思うようにはかどらないことにあるようでした。

 一口に石巻といっても、とても広いのです。旧市内もこんな状態がまだあるくらいですから、合併した半島の方は、まだ事態も把握できず、手がついていないとのことです。

 瓦礫の集積所です。石巻市の瓦礫の量は、宮城県全体の3分の1にもなります。でも、まだ、回収量は7パーセントにすぎないといいます。見たところも、ちっとも進んでいない様子が一目で納得します。

 石巻市は死者の数が宮城県全体の3分の1、行方不明者はやはり全県の6割を占めています。大変な被害を受けた町なのです。

 次に、渡波、女川です。渡波は石巻ですが、女川は合併しなかったとなり町です。ここは、全国有数の水産加工工場が並んでいる工場地帯です。悲しくなるほどに破壊されていました。壊滅状態です。涙がでました。

 

個人の力では絶対に再建できないことは一目瞭然です。

 国は、いつまで手をこまねいているのか。また、この分野にも規制緩和で大企業の進出を許すようでは、石巻だけでなく、日本経済をさらに破壊してしまうことになります。

 ある奇跡的に助かったかまぼこ工場では、電気が通ると直ぐ、在庫の材料で製品を作り、被災者のに無料で全部配ったそうです。中小工場だからこそ、連帯の気持ちでできたんだろうなあと思いました。

なぜこんなにカモメが

 それは、材料のうち海に廃棄することを許されたものを、毎日弁別して捨てているので、それに群がってカモメが寄ってきているのです。

仮設のプレハブです。

 仮設のプレハブも、地元業者ではなく、大手の企業が入っているようです。

 瓦礫の片づけは地元の業者ががんばっていますが、地元建設業者が廃業で減っています。地元業者をつぶしてきたのは、国も県もゼネコン中心の公共事業ばかりに熱心だったからです。ここにもゼネコンを参入させる動きがあります。災害さえ儲けの対象にしてそれを助けるなど、許せることではありません。地元は仕事がないのです。

女川町議の高野さんの宣伝カー

 「女川原発反対」の中心でがんばってきた高野市議。「原発といえば高野さん」で有名です。高野町議の宣伝カーが、避難所のパーキングにありました。高野さんの家も壊滅。避難所くらしです。この宣伝カーは、救援物資で他県からプレゼントされたそうで、ここが高野さんの事務所だそうです。高野さんにはお会いできませんでしたが、宣伝カーにご挨拶でした。

 現地の議員、党員のみなさんの奮闘には、頭が下がり共産党員として心が洗われます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 報告の第2回目は、希望や困りごとの聞き取りの訪問活動、物資のお届け隊での様子をお伝えします。

 

 

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石巻から帰りました。

2011年06月09日 20時38分00秒 | 活動日誌

 

 午後8時自宅着で、2泊3日の石巻救援活動から帰ってきました。

 東部地区委員会の救援センターに入るなり、みなさんに母の訃報に気遣っていただきました。生前お世話になったことを直接お礼が言えましたので、私も気が晴れました。

 今回は、石巻の渡波(わたのは)、合併した半島の町北上町、そして女川町と南三陸町と、壊滅的な被害を受けた海辺の町を視察しました。

赤で記しました。下から、渡波、女川、北上町、南三陸町です。

この続きで北へ向かって、気仙沼、岩手県の釜石などへ、延々とリアス式海岸の町の震災が続きます。南は、東松島、仙台若林区、名取・・・そして福島へと。

 活動は、昨日は旧石巻市で大きな被害を受けた門脇町(かどのわき)と湊町に、困りごとや要求の聞き取り調査の訪問活動、今日は物資の「お届け隊」のお手伝いをすることができました。

 3月の末に行った時と較べ、様子が違ったところと、また、ちっとも復旧が進んでいない実態もみてきました。言えることは、被災者のみなさんは、もう、限界を越えているということです。

 今晩はメチャクチャ疲れているので、報告は明日、ゆっくりとすることにしますね。

 

長野のみなさんに託された物資です。

私、北部地区の井浦さん、宮川さん、東京都委員会からの支援の方

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会議。ホタルの学習会とホタルイベントの打ち合わせ。明日は宮城へ・・

2011年06月06日 22時11分52秒 | 活動日誌

 

華やかに深紅のばら。油虫を消毒してと夫に頼んでるのですが・・

 

 会議の一日でした。午前中は常任委員会、12時半に終わりそそくさと昼食を食べて、1時からは県活動者会議でした。

 両方の会議では、中心的テーマは、情勢の変化を有権者との実際のふれあいから確信すること、共産党を大きくしなくては国民の願いに応えられない。歴史を前進させることはできない。このことでした。とことん話し合いました。

 自民も民主も、国民そっちのけで震災救援復興よりも権力争いや内部もめに終始し、あげくは菅首相退陣のあとは「大連立」まで言い出しています。大阪で橋下知事のもと、民主主義を破壊する政治が強行に行われていることが、「大連立」の先と重なって、恐ろしい。

 しかし、今、震災の救援復興活動や原発をめぐる運動で、共産党に関心を寄せ、期待し、一緒に活動したいという要求も吹き出してきている各地区の報告に、会議参加者は力づけられたふんいきがみなぎりました。

 大槌町に支援にいった諏訪・塩尻・木曽地区委員会の鮎沢地区委員長からは、次のような心温まる報告がありました。

 「あるところで党の『お届け隊』の活動をみたG地区の区長さんが、『私の地区にもきて欲しい』との要望を地区委員会に電話で寄せてくださったそうです。それで私たちが行きました。すでに100人近くの人が行列して待っていました。区長さんは、私たちと同じ『JCP』のヤッケを着て、『共産党さんのご好意でここでも青空市場が開けました。・・・』との挨拶。私たちも、ただ届けるのではなく、地域のコミュニティと一体になって活動できた」

 嬉しくなりますね。

 また、県委員長からは、宮城県の漁協のみなさんが共産党の災害対策に共感し党本部を訪れた話、これは新聞でも報道されましたが、さらに商工会議所のみなさんも訪れ懇談、「入党の手続きはどうするのですか」などの質問もあり、信頼を寄せ合えたと報告にも、共感と確信に満ちた会議となりました。

 さて、夜は地元で「ホタルの学習会」、そのあと「ホタルイベント」の打ち合わせ会議でした。住民自治協議会の自然環境部の主催です。ホタルサポーターズの私も、参加。

 熱心に聞きました。

 「全国を探しても、ホタルにとって上野の土京川ほどの適切な環境は他にない。専門家が誰でも認める事実です。三面コンクリートにされそうになったときに、『ホタルを見る会』(党もがんばってきた運動母体)の県への陳情で環境を守ったことは決定的」との大村先生の話に、20年もよくやてきたなあ・・・と満足感で嬉しくなりました。

大村先生です。

大村先生が撮った土京川のホタルの乱舞

 長いこと土京川の観察を行ってきた大村先生も、「平成18年頃から急速に川がきれいになってきた。その頃からホタルが増えてきた。20年には大発生だった。ちょうど、上野地区の下水道が完備した時期と重なります」と。私たちもそう感じていました。

 さて、6月26日にはオープニングセレモニーを行って、「ホタルとの出会いin土京川」の開催です。川べりでのオープニングでは、地元のオカリナサークルの演奏があります。オカリナは土で作ってありますから、「ホタルに優しい音色、ホタルが眠りから目覚めるに優し音」と大村先生は」言われます。

 土京川はホントに小さな川なのですよ。でも、すばらしい川です。

 6月26日から7月10日までが見頃です。私たち「ホタルサポーターズ」がガイドします。私は、7月8日の終盤に当番になりました。

 ホタルの種類は世界中で2000種ほどありますが、ほとんどが陸生、水中で幼虫時代を過ごすホタルは10種類だけ、そのうちの3種類が日本にあるのです。すばらしことですね。

 みなさんもぜひ、おいでください。そっと、優しくみましょうね。

 

ゲンノショウコ 県委員会の建物と地面の間から

 明日は、自宅6時20分出発で宮城県石巻市へ救援活動に出発します。メンバーは4人、2泊3日で行って来ます。

 ブログは帰ってくるまでお休みします。海辺でほとんどが流されてしまった北上町へいきたいと思っています。義姉や甥に会う時間があるかどうか、友人の消息がどれだけわかるか、青空マーケットではみなさんの要求を知りたい。帰ってきたら、報告を書きます。

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「原発ゼロ」署名行動をしました。

2011年06月05日 15時21分24秒 | 活動日誌

 

 昼休みは長野駅頭での定例宣伝日。このところは「原発ゼロ」署名活動を中心に行なっています。先週は雨に降られて、署名用紙は濡れるし、靴の中まで水が入ってぐっちゃりでとっても大変でしたが、今日は晴れているので、多くの方が署名に応じてくれました。

 

新しい横断幕を使って。

赤いタスキで演説しているのが私です。

若い方の署名が多かった。和田県議です。

 「原発は無くしたほうがいい。私たちは今、平和学習をしているのです」と中学生が署名してくれました。

 「どんな勉強しているの?」

 「広島に修学旅行に行くから、原子爆弾のことも勉強しています」と頼もしい返事でした。

 「自然エネルギーって、開発にお金がかかるでしょ。原発のほうが安いのでは」「被災者のことを考えると、原発止めなくっちゃと思う。それに、人事ではない」「柏崎がすぐそこだから、人事ではない」「長野だって、安心かどうか心配」・・・これもみんな、中学生と高校生の声です。若い人の関心の高さやその真剣さには、「たいしたものだ」と感心しました。

 学校でも教材として扱って、正しい知識を普及すれば一番いいですね。「安心神話」だけは取上げてきたのだから、「訂正」も教えてしかるべきだと思います。

なすも咲いた。

 今日の新聞「赤旗」には、ドイツの「原発撤退プログラム」が掲載されれていました。1基づつ時期を明確にして、2,022年度、つまりあと10年で「原発ゼロ」です。メンケル首相が国内16州の首長と協議して、「撤退からの後戻りはしない」との合意をしたもので、17日から上下両院の審議にかかるそうです。

 ここまで来るには、企業資本家の強い反対意見と軋轢を乗り越え、国民的合意を得る苦労は大変なものであったと思います。笠井亮さんの著書でも若干触れていました。

 それを乗り越えて、メンケル氏のように「撤退」「ゼロ」と決める態度に立つこと、政府が揺るがず政策を進めるところに、国民の合意する願いの実現の道があります。

 菅首相は8月には「撤退」するようですが?、それまでに「原発の撤退」の道も開いてからきれいに止めれば、「立つ鳥 あとを濁さず」で立派な人になると思うのですが。菅首相が「撤退」しても、そのあとの見通しは・・・?やはり、国民世論を大きくしていくことが、今、最大に重要な時ですね。

 夕方、明後日からの宮城県支援のための物資「缶づめ」などを買い込みにいきました。シーチキンやサバカンやソーメンも仕入れました。子どもさんが喜ぶかなと、お菓子も仕入れました。準備は着々です。

 

 

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K保育園の研修会。震災救援に出かける準備

2011年06月04日 18時59分05秒 | 活動日誌

庭のジャガイモに花が咲いた。ああ、描きたい!

 

 K保育園の職員研修の講師をやりました。今日は、「乳児を中心に」が要望でしたので、講義の柱は4つにしました。

 1 発達とは何か  2 乳幼児期は発達の土台作り  3  人間らしさの育ちを乳児期からみてみる  4 発達の4原則 

 としました。

 

講義は1時間10分。先生方はホントに真剣でした。

質疑は1時間。質問がたくさん出ました。

 私も単純な質問をたくさんしてしまいました。「なぜ首がすわるの?」「器用だと考える基準は何?」などなど・・・・・・「人間発達の基本のところガ大事なんだなあ・・・」と先生方は、新しい視点を発見したような表情でした。

 「子どもの笑顔がなぜとっても重要なのか」も、力点をおいて話しました。笑う能力を獲得したのは、人間だけだものね。

 「新しいシステム」に乗っからず、現場から子どもを守る声をあげるには、しっかり理論武装して保育にあたらなければなりません。力が求められています。

 若い先生から「見方が狭かった。全体をつかんで、今子どもに何が必要かを考えないと押しつけてしまうことになるんですね」「また勉強したい。今度は大きい子のことや、今日はしょったところを詳しく聞きたい」などの感想が出されて、嬉しく思いました。私も、負けずに勉強しなくては。

 午後は、党須坂市委員会の事務所で、7日に出発する宮城県への支援活動の準備をしました。北部地区のみなさんから寄せていただいた物資の整理です。

 主は、お米の小分け作業でした。234キロも出していただいて、感謝一杯です。

直ぐ配れるように、小分けに袋づめです。

 「チャーターした車に全部積めるかなあ」と心配です。野菜もたくさん届くことになっています。

 話は変わりますが、民主党は、菅首相がやめるやめないでのもめ事が続いています。

 「トイレットペーパーの果てまで全国から運ばないと間に合わないなんて、国が率先してもっと積極的にやるべきだ」と怒っている方がいました。全く、一日も早く人間らしい生活を取り戻し、復興の見通しを立てるためにこそ、働いて欲しい。内輪もめもいい加減にして欲しいものです。

 

 

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オフにしました。雑用の一日でした。

2011年06月03日 18時38分35秒 | 活動日誌

ばいかうつぎが咲きました。卯の花ですね。夏は来ぬ。

 オフでした。一番の仕事は、明日、K保育園の研修会での講師をつとめるので、レジュメ作りでした。ここのところ、先生方や保護者との研修会が次々と予定されています。

 24日はH保育園で、こちらは保護者のみなさんとの学習会。7月に入って6日は、長野県の保育懇談会での講師です。全県の10数カ所の保育園の先生方との研修会です。そのあとは、A保育園に行きます。

 学習会はとっても楽しいものです。保育園には新卒の若い先生もいますから、新鮮な感覚で子どもをみているし、年輩の先生はどっしりと子どもをみているし、両方で刺激しあっていい感じです。

 特に、若い先生とは「発達とは何か」の子どもをみる基本的なスタンスを一緒に学びたいと思っています。人権思想が根っ子ですが。

 特に乳児はもっとも急速な発達を遂げるときで、だから障害があった場合は一番重症化する時期でもあります。でも、案外、簡単に考えられていることもあるのですよ。赤ちゃんはミルクを飲ませて、おとなしければ助かる・・・みたいな?

 そしてとかくすると、お仕着せがちになり、形や出来映えを評価しがちにもなるものですから、ゆるゆると、しかも、心をしっかりつかんだ保育になるように、私も現場からしっかり学ぶつもりで講義したいと思っています。

 次の仕事は 社会保険機構にいって、自分の年金の確かめです。私の場合、昨年62才から、満額支給になっています。細かい計算式をしっかり教えてもらいました。

 今、給料をいただいているので、年金額が停止される部分があるのです。そこの仕組みがいまいちわからず、よーく説明してもらいました。

 給料が入っているため調整されて、今私が受けとっている年金支給額は、年額で30万円に欠けます。月2万4千円ほどです。

 65才になったら、年金はいくらになるか計算してもらったら、何と年額で120万円そこそこでした。ずっと働いてきたのにな。これはないでしょうと言いたい気持ちです。

 大変厳しいものですね。「年金くらしだから、大変」の言葉、実感します。そこから、介護保険、後期高齢者医療保険料が天引きですから。これは、何とかしなければなりません。

 あとは腕時計の修理、銀行の用事などなどで今日は終わり。久しぶりで母の仏壇の埃をしっかりふきとりました。「ごめんよ、ばあちゃん」と言えば必ずこう答えてくれるはずです。「いいさ、いいさ、おまえは忙しいもの」「はい、ごめんなさい」

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菅首相不信任案に棄権した共産党

2011年06月02日 20時29分52秒 | 活動日誌

菅首相不信任案否決を受けて、党の見解の街頭宣伝。

左から阿部市議、毛利さん、私。旗を立てている事務所の岸野君。

 夕方、衆議院本会議での不信任案否決を受けて、早速、街頭から党が棄権をした見解のスピーチにくりだしました。毛利栄子さん、市会議員の阿部さん、宮崎さん、私も弁士で訴えました。

 不破さんの「科学も目で原発を・・・」のパンフも売れたそうで、手を振ったり、車から合図してくださる方もいつもより多く感じました。みなさん、あきれて怒っているのだと思います。

 

 震災の救援復興が待ったなしで国民あげて取り組まなければいけないときに、しかも、スピードがあまりにも遅く、現場では悲痛な叫びを上げているときに、不信任案を出した自民、公明、立ち上がれ日本の行動は、とても容認できるものではありません。

 「何をやっているのか!!」と、特に被災地のみなさんの怒りは計り知れないと思います。

 しかも、菅首相を退陣させたら、どんな展望で管首相に変わって政治を動かすのか、それも全く示せないでの「不信任案」です。

 だいたい原発は自民党が推進してきたもの、その反省すらないのですから、党利党略以外のなにものでもないではありませんか。

 かたや民主党といえば、内部分裂を起こして、あわや「総選挙になるかも??」との危険もはらんでいましたが、一夜にして鳩山さんがひるがえっての「否決」です。小沢代表は、あれだけあおっておいて、投票は逃げてしまいました。これはもう、決定的ダメージです。

 どちらも被災者のことなど眼中にない行動、こんな不信任案には組することはできない、と、共産党は棄権しました。

 しかし、不信任案が否決されても、管政権が国民から信任されたわけではありません。

 原発の対応でも震災救援でも、菅政権には国民の不満が集中しています。「震災対策で一定のめどがついたら退く」と言ったのだから、から文句ではなく、しっかりとすすめるべきで、第二次の補正予算も早急に組んで、被災者一人一人が生活をとりもどすために力を尽くすべきだし、原発については、「原発ゼロ」の観点に立ってのプログラムを組んで実行することが、国民が菅内閣に求めていることです。

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飯山市と栄村へ行きました。新入党員をお迎えしましたのですよー。

2011年06月01日 19時19分24秒 | 活動日誌

雨の千曲川

 午前中は飯山市へ、午後は栄村へ行きました。赤旗の購読のお願いと、入党のお誘いが目的の一日でした。赤旗も読んでくださる方が増え、新しく仲間も迎えました!!

 飯山市では、小林市会議員、渡辺市会議員と、栄村では広瀬前村議とご一緒に行動しました。

 今日の最大の出来事は、栄村で40代の新入党員をお迎えしたことです!!バンザーイ!! バンザーイ!!栄村が若返りました!

 今までもしっかり応援してくださった方ですが、「栄村だけでなく、震災を乗り越え新しい日本を作るには、どうしても共産党が大きくならなければ」との訴えに応えてくださいました。

 「今までも応援してきたけど、どこが違うのか」との質問がありました。「全然違います」と、今栄村の党が、会議で話し合いを重ね村民の要求をまとめて行動し、復興のためにがんばっている姿を伝えました。

 「村をどう作ってゆくか、強いては日本をどうするか、党は責任を持っている、生きるかまえが違ってきます」と話しました。村の復興の話に花が咲き、そんななかでスラスラとサインをしてくださいました。こんなに嬉しことはありません。何度でも、バンザイ!

栄村横倉の田んぼ。代かきしてあるところだけ、作付け可能。

上の写真の右側の田んぼです。

 田んぼの真ん中に新しい畦がありますね。この畦の向こうは田が壊れています。こちらだけ作付けが可能です。

 あるお宅では、地震の時灯油が倒れて大量にこぼれてしまったそうです。自宅から田んぼまでは、道路をはさんで離れているのに、灯油が地面を這って田んぼに入り、水を張ったら油が浮いて作付けができなくなったそうです。孫亜子とでダメになることもあるんだ、と驚きました。

 今日はいい日でしたねえ。栄村からの帰りの車のなかで、ずっと歌を歌ってきました。鼻歌ではなくて、大声でね。

  途中国会中継をかいま見ました。自民党の谷垣氏が質問をしているところでしたが、「不信任劇」には、怒りが湧きます。いま、何を話し合わなければならない時なのか。

 

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