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中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

月曜日は会議の日。全国を励ましている栄村。夫、勤続30年表彰。

2011年06月20日 20時19分21秒 | 活動日誌

 

 

 

玄関の白いほたるぶくろも咲きそうです。

 

 拡大常任委員会でした。7月9日には県党会議の予定なので、それに向けて地区委員会総会、県委員会総会が開かれます。県党会議を節目にして、党の前進を作ろうとの話し合いでした。

 昨日、県委員長のところに北海道に引っ越ししたFさんから電話があったそうです。被災地栄村で、党組織の頑張りで村民の要求が実現していることを「赤旗」で知って、大変励まされているとの感激の電話だったそうです。わざわざ電話をくださる、その感動が伝わってきて、私はそのことに感動しました。

 最近の「赤旗」の「党活動」のページには、「栄村に励まされた」記事がたびたび載ります。昨日も、三重県四日市市の坂部支部が、「分厚い党組織(有権者の1・7パーセントの党員)が住民を守る大きな力になった」ことを知り、「私たちも」と奮起して、新しい党員をお迎えしている記事が載りました。

 「全国を励ましているお膝元の長野県ががんばらなくては!」と、私も思いました。今日の会議は内容はいろいろあったけど、結論はここですね。大きな党を作ることを力にして、市議選の勝利を!!

 午後は、医療生協後援会の阿部市会議員のブロックの打ち合わせ会議でした。「大きく輪を広げよう。とにかく動きながら広げてゆこう」との積極さに、私も大いに励まされました。

 明日は原田市議ブロックの打ち合わせ会議です。ジグザグあっても着実にすすめる、これが大事。

「キッ」と一文字の純白のドクダミ

 昨日は、長野中央病院の総代会が行われました。夫が中央病院勤続30年の表彰を受けました。長野中央の前には、東京の柳原病院、宮城県多賀城の坂病院に勤務していますから、民医連には34年、いたことになるのかな。

 中央病院からのご褒美は、7日間の休暇と20万円の報奨金です。すごい!! 夫はとっても嬉しそうでしたね。感無量だったと思います。本当にご苦労様でした。

 大蔵大臣の私としては、報奨金を巻き上げないことが彼へのねぎらいですね。それと「絶対、7日間は休んで!」。この30数年間、夫は年休など取ったことがあるのかなあ?年休どころか、日曜日でさえ働いてきた。

 ご苦労さん、おとうさん。長生きしてね。私の年金、満額もらえても月12万にかける。私だけでは暮らせない。早く、そう言わなくてもいい政治にしたいなあ。

 

 

 

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一日、訪問デーでした。新入党者をお迎えしました。

2011年06月19日 17時01分35秒 | 活動日誌

 

ヒルガオ

 

 一日、訪問活動デーでした。地域は地元若槻です。上野は原田さんと2人で、稲田は原田市議の他に支部のSさんAさんも一緒です。

 一日歩いて、アンケートのお願いや後援会のお誘い、赤旗の紹介をして、市議選での応援をお願いしました。

 最後にお訪ねしたところで、新入党員をお迎えしました!! Yさんは長い赤旗読者で、集会や演説会には必ずと言っていいほど参加し、いつも応援してきてくださった方です。

 原田市議と私と3人で、呼びかけ文を読み合わせして「ぜひ、ご一緒に」とお誘いしたところ、「それどころじゃない。よろしくお願いします」と二つ返事でサインしてくださいました。「呼びかけが遅かった・・・」と反省してしまいました。バンザイ!

 

いざ、出発!! 原田市議と。

 どこへ行っても、息統合しました。「市民会館、建て替えてもいいんじゃないの。新しい方が気持ちいいし・・・」と言っていた青年も、「そうですね。本当にボロボロなら・・・・。でも専門家の診断では耐震補強で充分なんですって」「それなら、ムダなお金は出さずに補強すればいい」と素直にまっすぐです。

 「原発撤退計画」も共感を呼びました。「イタリアはすごいね」とみなさんから話題にされて「もう、それが世界の流れだね」と、ここでも共感しあえました。

 「市民会館の住民投票条例、どうなりましたか」「条例の提案はされることになりますが、議会で共産党以外の会派がどう判断するか・・・世論が大事です」など、どのお宅でもしっかり対話になりました。よかった。

訪問先で ゆすらうめ

ビワも大きくなってきていました。

 昨日紹介した本は、なかなかいいですよ。原水爆禁止の運動の歴史も良く分かります。原爆と原発のルーツは一緒だから、今、新たに関心をもっています。時々、英語を「チラッ」と見るのが、とてもいい。

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昨日の続きで医療生協後援会の段取りなど。リニア新幹線問題。

2011年06月18日 19時45分13秒 | 活動日誌

庭の草取りしてたらヘビイチゴ

 

 医療生協後援会活動の段取りなどで、一日事務所でデスクワークでした。

 土曜日なのに、新聞「赤旗」を読んでいただく方を一人くらいは増やさなくてはなあ・・・・・・・と、電話で失礼だったのですがお願いしましたら、「いいですよ」と。よかった。

 震災、原発、国会の様子の報道は、今赤旗がピカイチです。今日の一面トップは、昨日の紙議員の質問が「原発からの撤退決断を」との見出しで載っています。この見出しを堂々と出せるのは、赤旗だけです。原発問題の解決の道が、この短い言葉に端的に出ていますよね。紙面全体、国民の願いと響き合う内容が満載されています。多くのかたに、ぜひ、読んでいただきたいと思います。

                  

 さて、「民主長野」6月号で、リニア新幹線建設問題への長野県党の見解をのせました。リニア問題は、今、県民の関心が集まっていて、県委員会にも問い合わせやご意見の電話が入ってきます。

 私が受けた電話では「信濃毎日新聞に投書したらボツにされた。共産党と同じ意見だ。ボツになった原稿を送るから見てくれ」というものでした。

 リニアは私も、反対です。第一に、世界遺産にしようとしている南アルプスに穴を空けるのですから、自然破壊もいいところ、私は許せない。しかも、20キロに及ぶ計画のトンネルの場所は、東海地震が起きると想定されているところとかぶるのです。

 危険な場所に作られた真っ暗なトンネルの中を、20キロも走るのですよ。恐ろしい。しかも、遠隔操作の無人運転。電磁波の心配もされています。

 建設費用も莫大です。176億円。駅舎の地元負担も大きい。地上駅で350億円、地下駅では2200億円です。電力は、新幹線の約3倍と言われています。

 東京ー大阪  67分。そんなに急いでどうするの。だいたい、乗客は増えるのでしょうか。

 今、そんなところにお金を使うときか、電力のムダな消費をするときか!!と私は思います。

 上海にいったとき、リニアを見てきましたが、走行時間はたったの8分だけです。あとは住民の反対でこれ以上は作らないだろうとのことでした。ドイツでもやめたし。

 みなさんはどうお考えになりますか?

 

 

 

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市議選の作戦を練りました。本屋さんにいく。

2011年06月17日 20時28分05秒 | 活動日誌

アジサイの季節なのに雨が少ないね

 

 長野市議選は9月18日の投票です。6月も後半に入ろうとしていますから、のんびりしてはいられません。今日は、医療生協後援会の活動を、県議選の時よりどう発展させるか、内々の打ち合わせをしました。

 来週から具体的に一からの出発です。後援会のみなさんに力を出していただいて、どう展開してゆくか、とても楽しみです。私は、元中央病院の職員だったことも生かして、この分野でお役に立てればいいなと思っています。「段取り八分」ですから、後援会委員のみなさんや、対応する党支部のみなさんとの話し合いが一番大事ですね。

 さて、その相談もあって、地区委員会にも行きました。そこで、久しぶりに「ひまわり書店」に寄りました。と言っても、地区委員会の一角にある本屋さんです。

 今週のベッドサイドの読書用に三冊買いました。

 そのうちの一冊は、「広島に聞く 広島を聞く」(浅井基文 編修 かもがわ出版)です。とてもユニークな本でした。

 広島平和研究所の定期刊行物をまとめたものなのですが、この刊行物の「ニューズレター」は日本語と英語の両方を出しているのです。読者はそれぞれ800人ほどいるということです。「広島」を経験した各界の方にインタビューしたまとめです。

 登場する人物の語りが魅力で、過去を知る上でぜひ読みたい証言です。さらにこの本は、左のページが日本語、右のページが英語で書かれています。

 ちょっと開いて読んでみたら、まず語り手とその内容にひかれ、次に右半分の英語訳にひかれました。

 英語なんてはるか彼方へ行っている私ですが、読み比べると「ああ、こんな単語もあった」とよみがえるのです。日本語を読むだけでいっぱいなのに・・・・と思ったけど、頭の体操にいいじゃありませんか。

 ちょっとお高かったね、2800円+消費税なり。でも、ボケ防止には安い出費かも? 

 もう一冊は「藤沢周平とっておき十話」、最後は新日本出版の小冊子「国会議員定数削減と私たちの選択」です。

 「藤沢・・・・」は半分読みましたが、藤沢周平を知る上で、なかなかの本です。興味ある方にはおすすめですね。簡単に読めるし。

 私が感心するのは、ひまわり書店の係をしている出河さんです。入荷した本の特徴をよくつかんで紹介してくれるのです。図書士のようです。文字を読むことが本当に好きな魅力的な方です。

 

 

 

 

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「住民投票条例制定署名」最終日。終日署名活動。障害者基本法衆議院で採決

2011年06月16日 19時56分47秒 | 活動日誌

今日の写真は「いま盛りの事務所の花々」 その1バラ

 県委員会の一角にある「北陸信越ブロック事務所」の看板です。看板の足のところにこのバラの根っ子があります。三角柱の看板の空洞を光を求めてのびた枝が、やっと青空を見ることができました。そして目一杯咲いています。

その2 スイカズラ

 今日16日は、「市庁舎と市民会館の建て替えに関する住民投票条例制定要求」の署名の最終日でした。有権者の2パーセントが規定ですから6千筆は必要です。最終集計は聞いていませんが、おそらく1万筆は越えるだろうと予想されます。

 できるだけたくさん集めたたいので、今日は野々村市会議員の党支部のみなさんと午前中10時頃から午後4時頃まで、終日、署名行動をしました。場所は、中央病院駐車場横の道ばたです。病院の患者さんたちが、次々と応じてくださいました。

 「よかった。どこに行けば署名できるかと探していました」「日曜日に駅前でやってましたね。そこでしました」「私も建て替えに反対だ!!だいたい、鷲沢市長は傲慢だ!」「そんなお金があるなら、子どもの医療費を無料にしてください」「どのくらいあつまりましたか?」などなど、反響は大きかったです。

 お昼ご飯は、直ぐそばにある「生活と健康を守る会」の事務所に行って、事務所のみなさんといただきました。昼は長いすに横になってグーグーと寝てしまった。きもちよかったあ!そして、午後の部は野々村市会議員と行動でした。

 この署名は議会にゆだねられますが、各会派とも議会ではどんな態度を取るでしょうか? 問題は異なりますが、原発撤退のイタリアの投票はすごかったですね。95パーセントが「原発撤退」でした!長野もそのような状態にしたいものだと思いました。

その3 ラベンダーセージ

 さて、昨日、「障害者基本法改正案」が衆議院で採択されました。

 共産党は修正案を提案。可決されませんでしたが、基本法が一定の前進があるとして賛成しました。

 共産党の修正案は塩川議員が提案しましたが、基本的に大事な問題でした。

 まずは「手続き」の不手際です。当事者の意見が反映されたのかどうか。「私たちのことを私たち抜きで決めないで」は、障がい者の強い願でしたし、これはあたりまえのことです。

 そして障がい者がどこにいても、差別されることなく人間らしく生きてゆくための選択の機会が「できる限り」保障するとなっていることの修正です。基本的な理念をうたう基本法であるのに「できる限り」と限定するなんて、誰もがおかしいと思うことですよね。言葉を換えれば「できる限りやったけど、予算がないからあきらめて」ということです。

 この否決された修正案の内容が今後どう生かされるか、とても心配なところです。しかし「可能な限り」の前に「・・・選択の確保の機会が確保される」と明確に書いてあるのですね。前後の文章に矛盾があるのです。ここをてこに運動を進めて、実質を高めて「障害者権利条約」の真髄が生かされるようにがんばることだなあ、と思いました。

 

その4 マメアオイ 白がいい

その5 インク花 これもムラサキがかった白がいい。

 県委員会の庭も捨てたものではないでしょう?四季おりおり、いろいろな花が咲きます。これは、勤務員の小林ちよこさんの手入れのたまものです。

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オフ。草取り。「星守る犬」を見る。新入党者を迎える。

2011年06月15日 22時08分59秒 | 活動日誌

 

きぬざやが収穫できています。少しだけね。

 オフにしました。午前中一杯は、懸案事項だった庭の草取りでした。いやあ、疲れたの何のって。生ゴミをぼかしにして庭のあちこちに埋めているものだから、栄養たっぷりで草がガンガンと伸びます。約半分はきれいになったけれど、それで力尽きました。もう一日、必要ですね。フーー。

 午後は松本から娘が帰ってきたので、一緒に映画を見に行きました。「星守る犬」です。

 映画はまず、身元不明の白骨死体が見つかったところから始まります。映画が進むに従って、彼は電気溶接工の労働者で、温かな家庭を持っていたことが紹介されていきます。

 小泉構造改革で起きた景気の悪化のため、失業に追い込まれた彼の家族が、生活の困難と介護と娘の問題で、だんだん心がバラバラになり、離婚するまでになります。

 家族に立ち去られた夫が、有り金持って犬のハッピーと旅に出ます。そして北海道までわたり、旭川で孤独の死をとげ、半年後に車と共に白骨死体で見つかります。

 この事件をめぐって旭川市の職員の奥津が、正体のわからない彼の足取りを旅して歩くなかで、彼とハッピーの心の通い合いを見つけてゆき、閉ざしてきた自らの心を開いてゆきます。

そこがテーマになっていましたから、映画会場には愛犬家がたくさん来ていたようでした。

 でも、娘の感想も私と同じでした。「単に犬と飼い主の愛情を画いたものではないような気がする。失業した政治背景、失業したら誰もがささくれだった心になり家庭も壊されてゆく可能性をはらんでいる。自己責任がこんなに言われているときに、お金がなくなって暮らせないから助けてくれと相談する人もいない現代の孤独を訴えている、重いテーマだよね」と。

 「原発のせいで福島の人が自殺した。同じだよね。生活な成り立たないんだから、政治の責任だよ」「本当だよね」

 そんな感想を言い合いました。

 夕方、先日入党のお話をさせていただき、今日お返事をいただく約束していたMさん宅へおじゃましました。「こんな政治では困る。震災も、乗り越えなくては。選挙でもできることはやるし、私は入ります。息子にも話しておきますね」と、快く入党してくださいました!!先日は息子さんにもお話ししたので、是非、息子さんにもはいっていただきたいと期待しています。

 ずっと日刊紙の読者で、何かにつけて党を応援をしてくださっていた方です。本当に嬉しいことでした。「バンザイ、バンザイ!」です。

 草取り、映画、新入党員のお迎えと、全て充実したことだらけのオフでした。

 ただ、玄関の段差でつまずいて転んで、膝に大きな血腫を作ってしまったオチがつきました。やれやれ、おっちょこちょいだなあ。

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健康診断。署名活動。

2011年06月14日 20時52分39秒 | 活動日誌

 

 健康診断日でした。職場検診で申し込んだ、民医連中央病院の稲里診療所に行きました。血液検査などの結果は後ほどですが、結果はまあまあかな。ただし、視力が落ちていて、ビックリでした。裸眼で0・3、めがねで0・5とは、ちょっと変ですよね!! また調べてみよう。

 夕方は、事務所の岸野くんとハンドマイクを抱えて、署名集めに県委員会のご近所をまわりました。「市民会館建設の是非を問う住民投票条例」と「原発撤退」の署名です。

宣伝はのっぽの岸野君。久々に岸野君の明快な演説を聴きました。

散歩途中のおじさんにも声をかけました。

 おじさんは、「折り紙」先生。お得意で近所の子どもさんに慕われているようでした。私たちにも、ほれ、岸野君が持っている「ウサギさん」や「白鳥」の折り紙をくださいました。記念写真です。

 署名は、みなさん、とっても快くしてくださいました。「被災者が大変なときにムダ使いの市民会館建設はやめるべき」「原発は反対だ。なんだ、国会は!」などなど・・・

 共産党の「原発撤退」の提言が、新聞「赤旗」に掲載されました。ぜひ、みなさんに読んでいただきたいものです。

 

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常任委員会・上野地区で被災地救援活動の報告会

2011年06月13日 21時56分48秒 | 活動日誌

開く寸前のほたるぶくろ。我が家の玄関。色が珍しい。濃い紫。

 

 常任委員会でした。

 昨日、党中央委員会で「原発ゼロ」の具体的提言の検討会議があって、山口のりひささんが行ってきました。その報告が何より、良かった。

 共産党が「ゼロ」までのプログラムの提言を出すことになったのです。明日、発表になります。ちょっと驚かせてしまうと、ゼロまでに「5年~10年」を目標にしての「撤退プログラム」なのです。「え、そんなに短期間?!」でしょう!? これ以上は提言の発表を待つことにしましょう。  

 私は、山口さんから提言の原案を見せてもらったのですが(決定の内容は若干変わると思いますが)、「これで運動を大きく広げることができる」と目の前が明るくなりました。みなさんと大いに討論しあって「原発撤退」の国民的合意を作って行きたいものです。

 夜は地元上野区で「震災救援活動の報告会」でした。区長さんはじめ、40人近く来ていただいただけました。正直、驚きました。関心が高いのですね。

 原田市会議員と私から、東北に入った報告。そして、メインは、地質コンサルタントのSさんの、地元の地質調査に基づいた防災の話です。

 Sさんの話で、地元が安心できない地域であることが明確に分かりました。みなさん、非常に真剣に聞いていました。質問もでました。

原田市議に続いて私の報告です。

後援会の物資の昆布やのSさんの元気な姿も見ていただきました。

 感想では、区長さんから「公民館の場所は、この辺では一番安全なところ。新しい公民館の建設では、みなさんとの約束どうり、地震や土石流にに耐えられるものにしたい」と、力強い感想をいただきました。

 また、区の役員をしているKさんは「被災地救済のために自治協議会でも義援金を集めた。ここでは380万円集まったが、このお金はどこにいったのか。(日赤も被災者に渡しておらず)全くわからない。でも、今日の報告を聞いたら、共産党は目に見える行動に使ってくれている。目に見えないものは、出すものも出せない」と、帰りに募金もしてくださいました。

 「被災地の救援がまだまだ必要と、生々しくわかった」などの感想も寄せられ、とってもいい集会になったと思います。

 原田市議からの市民会館建設の住民投票条例のなどの市政の話のあと、最後に私から不破さんのパンフ「科学の目で原発災害を考える」を紹介しました。

 紹介の材料に、EUヨーロッパ連合議会と日本の国会議員団との交流会での出来事を紹介しました。これは、山口のりひささんが昨日の中央の会議で聞いてきた話の受け売りです。この会議は、国際的に正式な位置づけになっているものです

 このEUとの会議で、「今後、日本は原発問題はどうしてゆくのか」が話題になり、自民党の議員が答えたところ、全くかみ合わず納得してもらえなかったと。

 会議の議長は鳩山由紀夫さんでした。鳩山さんは、共産党の笠井亮衆議院議員に「発言してくれ」と頼んだそうです。笠井亮さんは3度も発言し、しかも、最後のまとめまでまかされたそうです。国際的には、共産党が政府の役割を果たしていると言えるでしょう。自民、民主の原発政策は、国際的には全く通用しないということです。

 「笠井さんの話の中身がこのパンフです」と宣伝しました。売れました!!よかった!!

 今日は、集会での原田市議の写真が撮れてなくて、とても残念でした。それを紹介したかったのだけどな。

 選挙のたび年齢がかさんだ自分のポスターの写真を見ると、「あ~あ、年とったなあ」と思います。でも、原田さんの今回のポスターを見て思うことは違うのです。風格があります。「若い時以上にステキ!!」です。これが「人格」というものなんだ・・・・と我が身を振り返りますねえ。

 明日は健康診断デーです。

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明日の「報告会」お誘いで地域訪問。「原発ゼロ」署名行動。

2011年06月12日 16時04分13秒 | 活動日誌

 

バラが満開

 石巻から帰って次の日は、さすがに疲れて報告を書くので精一杯でした。昨日から、長野での活動開始です。

 昨日は入党のお誘いに歩きました。近いうちにお返事をいただく方が何人かいます。

 今日は、午前中は地元で訪問活動、原田市会議員と支部のTさんと一緒です。日曜日なので、事務所には7人ほど集まりました。夫も、今日は地元で支部の方と訪問活動でしたので、久しぶりで夫婦で「地元」でした。私と原田さんは、主に地元役員のかたを訪問して歩きました。

 今日の訪問の第一の目的は、明日、上野公民館で開催予定されている「災害救援活動の報告会」のお誘いです。報告は原田市会議員と私です。そして、メインは、地質学の専門家からの地元若槻地域の調査に基づく防災問題のお話しです。

 訪問したお宅では「実際に被災地に行った人の話しは違うだろうね」「これは行きたいね。住んでいるところがどうなっているか、知らなくては。津波はないが、どこもかしこも崩れる心配がある」と快いお返事が多かったです。「市民会館建設の是非を問う住民投票条例」の署名もいただいてきました。16日締め切りなので、これも今集中しています。

 11時過ぎに駅に向って走りました。長野駅頭での「原発ゼロ署名」の行動日です。

 途中で中央病院に寄りました。同じ区の知り合いのご主人が具合を悪くして入院したそうで、心配で顔を出しました。昨日より大分いいとのことだったので安心しましたが、老夫婦だけになって、どちらが病気になってもとても不安で困る。この頃は「やがてすぐわが身」と人事とは思えません。地域のコミュニティが本当に大事。助け合って暮らす人間関係を作る私たちの努力はもちろん必要、でもそこだけに責任を押し付けるのは政治の責任の放棄です。医療、介護、年金など社会保障の充実が第一、それが保障されてこそ豊かなコミュニティが生まれます。

                        

 さて、署名は楽しかった。30分ちょっとで、私だけでも25人が署名に応じてくれました。若い人が圧倒的に多くて、よく話ができたので、とても良かった。若者は新鮮な感覚でまっすぐです。。

子連れのママも「不安です。原発は要らない」

集団で寄ってきて・・・

 「原発って良くわかんない」「福島の事故はどう思う?」と聞くと「福島の人、かわいそうだ」「あんなに危ないのはいやだ」「長野にいれば安心だけど」

 長野も危ないし、全国安全なところはないこと、放射能の恐ろしさなどを話すと、「広島と同じじゃん」「そんなら、私たちの問題だ。将来のことだもの」と「署名しよう!しよう!」とそろってサインをしてくれました。

「原発無くしてどうするの?」「太陽や風や水などで自然のエネルギーはどう?」「地熱もいいじゃないの?」「よく知ってるんだ!」「若い人の間では、話題にはならない?」「うん、あんまりね。でもみんな心配しているよ」

 「浜岡は止めることになったんでしょう?」と聞く子もいました。「いったん停止しているだけなの。菅さんは、まだ原発を続けたいんだって」「えーー、そうなんだ。署名する」

もちろん、若者の先輩の方々もすすんでサインです。

 午後は、明日の「救援活動報告会」の準備をしています。地図を作ってわかりやすく説明できるようにもしました。

 

 

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石巻救援活動報告  その3  北上町と南三陸町

2011年06月11日 14時39分36秒 | 活動日誌

 

 救援活動の3日目の午前中は、北上町と南三陸町に行きました。

 今回、どうしても会いたい人がいました。それは、25年間に渡って、地元の党後援会物資のお世話になっていた、北上町の水産業を営んでいるSさんです。被災後2ヶ月たって、やっと安否を知ることができたのです。

お元気でした!とっても喜んでくださいました。

 高台にあったため、家も助かり、船は沖に出したので救われたとのこと。でも、浜においておいた道具一式が全滅したそうです。

 聞けば、すべてが危機一髪。地震のため浜でやっていた仕事を止めて、おじいちゃんは保育園に孫を、息子さんは小学校に子どもを迎にいって、息子さんが船を沖に出したところで津波が来たそうです。

 「津波がどんなだったって言わいでも(言われても)、こてらんねえな(答えられない)。口ではとってもいえるもんでねがす。だれもが、あんなのくるどは思わなかったのっしゃ」

 「昨日、やっと水道が通ったんです。楽になったでば。車、ながさいだ(流された)人、買物は飯野川までいがねど、店はないんだよ。いがれねっちゃ(行けない)」

 「今年はこんぶはだめだげっども、来年はなんとかなあ。んでも、原発の影響でそれもわがんね。船も半分以上流したがらねえ。ちっちぇくたって最低2千万円すんでがすと。で共同して仕事すっぺと言ってんだが、なんじょになるもんだか・・・(どうなることか)。今年は200メートルの綱ば、10本しか養殖できね。半分にすっから20本だけは保障された。(規制でそれ以上できない)いっつも、30も40もやってんだがらねえ、弱ったよ」

 「北上町ば、よーぐ、見でいってけらい。何もねぐなってしまったでば(なくなった)」

 お土産に「去年のだけど」と昆布とわかめを箱でいただきましたが、「お届け隊」の物資にさせていただいて、小分けにして皆さんに配ってきました。「三陸のわかめだっちゃ、うめんだよーこれ。ありがと」ととても喜んでいただけました。

 

家の密集地だったとは思えません。

 ここは2キロにわたって住宅密集地だったそうです。総なめで何もかも流され、何もありませんでした。

鉄筋のアパートの壁だけが残っている。

小学校

 屋根まで水が来ています。教室の机を外へ出して、積み重ねて裏山へ子どもを逃がしたそうです。Sさんは、そうして逃げている途中に子どもさんを迎えに行ったのだそうです。保育園も同じように、先生はお昼寝の子をたたき起こして泣く子を抱えて逃げたそうです。保育園も、なくなりました。

川向こうはびっしり家でしたが、一軒もありません。

 北上町から南三陸町へと入りました。

どこまでも瓦礫の山

 ただただ、唖然として、声が出ませんでした。なにもありません。もとの姿を想像することはできませんでした。しかし、昨年の12月に、母といった「観洋」というホテルは高台だったため無事で、避難所になっていました。

志津川病院です。

 先日の新聞「赤旗」に、この病院の記事が載っていました。たくさんの犠牲者が出ました。

役場です。

 めちゃくちゃになった役場、町長さんは、このてっぺんの鉄塔につかまって助かったのです。十数人しか助かりませんでした。

 それでも、ガソリンスタンドがぽつんと立っていました。電気が通っていないので自家発電でやっている様子でした。

党東北ブロック事務所の小野寺さんと。

 石巻の東の牡鹿半島は、入り組んだ小さな浜がたくさん続いています。きれいな水で昔、よく泳ぎに行きました。そこも、北上町のように全滅だと聞きました。

 復興はおろか、救援活動もまったく不十分であることをしっかり実感してきました。そんな中でも被災者は限界を超えていても、希望を求めて今日を暮らしています。また、復興のために知恵を寄せ合っています。北上町での共同の話も、自分たちの力で漁業の再建のための努力のひとつだと思いました。

 長野に帰ってきて、台所に立って水道を使いながら、この当たり前のくらしにもどるために、3ヶ月たってもちっともすすんでいない実態に、本当に心から苛立ちを覚えました。

 反対に、この被災者の悲鳴をよそに、復興法も誰のためのものか、災害さえも儲けや自分の利益しか考えない自公民の政治には、もう、見切りを付けなくては。私たち共産党の本気の努力がいると、肝に命じました。

 被災者の気持ちを考えると、とても切ない。でも、災害や特に原発問題は、私たち一人一人の、だれもの問題です。誰もが被災者になる可能性があるのです。福祉の心の政治の実現の道が、急速に開けてきていることも実感してきました。

 今回は、友人にも、義姉にも、義妹にも、甥にも、親類には誰にも会えずに来ましたが、何とか元気にやっている様子は連絡でわかっているのでいいことにしました。

 

               

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