納豆、奥深し。
面白い雑誌を読んだ。
毎月来る「明日の医療を考える 月刊保団連」の1月号。
発酵文化の特集でした。
様々な角度からの論文が掲載されていますが、一番興味を魅かれたのが「納豆」でした。
納豆がアジア・アフリカにも食文化として広く存在していることに驚きました。
これを紹介したノンフィクション作家の高野秀行さんによると、納豆は辺境食だというのです。
どこの国でも、川の流域や海の近くの平野には多数民族がすみ、一方、勢力の弱い少数民族は内陸部の山がちなエリアに住んでいる。
辺境地では、魚、肉の動物性たんぱく質が取りにくい。痩せた土地でも育ちやすいたんぱく質も豊富な大豆などの豆を作ったというのです。
しかし、大豆を普通に煮たり蒸したりして食べるのは、日本くらいだという。
加熱しただけでは消化しにくい成分があるのと、臭みもあるからだと言うが、ではなぜ、日本では食するのかな。
豆が違うのかな。味覚の発達が違うのかな。
だけど、味噌や醤油は辺境の地では作りにくい。それは塩が手に入りにくいからではないかとも。
私はかねがね、みそや醬油、豆腐、納豆などの大豆製品とお米のご飯の組み合わせは、必須アミノ酸のほとんどが取れる仕組みになっているすぐれた日本の伝統食品だと、そう思ってきました。
故に朝ごはんは、御飯とみそ汁は最高と。
伝統食品というのは正確でもないし、あながち嘘でもないな、と思いました。
インドとミャンマーの国境に住むナが族の納豆は、筒に入れて何カ月も置いた「超熟成」、「アンモニア臭が脳天を突き付け、気絶しそう」だったそうです。
日頃食べている納豆、多少賞味期限が切れても、大したことないじゃないの、と思った。
ジィジもパパも読んでいて、夕食はその話題で盛り上がった。
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