蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

光秀の定理

2016年05月14日 | 本の感想
光秀の定理(垣根涼介 角川書店)

剣客の新九郎は、京の街角で博打を開帳し常に勝つ愚息という坊主に興味を持つ。イカサマをしているようには全く見えない愚息はなぜ必勝なのかがどうしてもわからない。二人はやがて浪人時代の明智光秀、その盟友の細川藤孝と知り合い、将軍候補義昭の救出作戦に参加することになる・・・という話。

歴史小説をよんでいると、光秀が博打好きで、ヒマな時はいつもサイコロ博打をしている、なんて場面が出てくることがあるので、(タイトルやあらすじから推測して)光秀が中心の戦国ギャンブル小説なのかと期待して読み始めたけど、全く違っていた。
本作での光秀は(多くの歴史小説通り)、戦国時代でもトップクラスの軍司令官ではあるが生真面目で優柔不断で愛妻家でもある人物として描かれている。

ギャンブル小説ではないのだが、物語の中心にあるのは「モンティホール問題」として有名なパラドックス。
3つのドアがありそのうちの1つには当たりがあるが、残り2つははずれである。子側が1つのドアを選んだあと(どこに当たりがあるか知っている)親側がはずれのドアを1つあける。その後、子側は最初選んだドアを変えることができるが、選択を変えるべきか否か?という問題。
「どちらでも同じ」というのが直感的な答えなのだが、実はドアを変えると当たりを引く確率は変えない場合の2倍になる。
これをわかりやすく説明するのはけっこう骨なのだが、本書では(クリアカットというほどではないが)それなりに説得力のある内容で(愚息が信長に)説明している。

本能寺の場面はなく、義昭の救出作戦と(光秀が出世の端緒をつかむ)六角氏との戦闘場面がクライマックスという、光秀が主人公の小説としては珍しい筋書だが、サクサクと楽しく読めた。

愚息が唱える平等主義みたいな主張も鼻についたりせず、それなりに納得感があった。
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この国のかたち(三)(四)

2016年05月14日 | 本の感想
この国のかたち(三)(四)(司馬遼太郎 文芸春秋)

文芸春秋に連載当時に読んでいたけど、20年くらい前のことなので内容は殆ど覚えていなかった。

(三)に収録されている「文明の配電盤」がよかった。東京理科大の創設にかかわる話。同大は東京大学の理工系学部の卒業生たちが、中堅技術者の養成を目的として設立した学校。校舎は借り物、教授は卒業生たちが無給で引き受けていた。「国家のカネによって学問を授かったということで、国恩を感じ」ていたためらしい。
手弁当で先生をするだけではなく学校の運営のため「会員は三十円を寄付すべし」という規約まであって、当時のエリートたちの健気ともいえるほどの良識がうかがえた。
タイトルの配電盤というのは、著者の例えで、エンジンプラグに電気を配る装置(配ることで一定の順序で爆発させる)。日本というエンジンを動かし始めるために設立された東京大学が配電盤にあたるという見立てである。その卒業生たちが政府の目論見通りに活躍したといえ、著者が言う通り「文明受容についての明治政府の計画は、大したものだったというほかない」


利殖に熱心だがカネには身ぎれいだった武士の話「戦国の心」、平城京と平安京を設けた理由を考察した「平城京」「平安遷都」(以上、(三))、
松が日本史に果たした役割を説明した「松」、漆器はなぜJAPANと英訳されるに至ったかを語る「うるし」(以上、(四))が面白かった。
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