蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

バベル

2008年03月08日 | 映画の感想
バベル

モロッコの辺地を観光旅行中のアメリカ人夫婦の妻に、現地の子どもがふざけ半分で発射したライフルの銃弾が当たってしまう。
事件はテロリストの仕業と誤解され世界的なニュースになり、現地の警察は犯人の捜索に乗り出しライフルが日本人ハンターから現地のガイドに譲られ、それがさらに犯人の子どもの父親に渡ったものであることを突き止める。
妻をなんとか救おうと夫は努力するが、現地の前近代的な風習になじめずいらだち、病院は遥かかなたで乗っていた観光バスは彼らを見捨てて出発してしまう。

「バベル」という題名から予想される通り、言葉が通じない者の間でのコミュニケーションの困難さを主題とした映画。

前述のモロッコの事件を軸として、日本人ハンターの耳が聞こえない娘(高校生なのだが、日本人の目からみると老けすぎている。おそらく外国人から見ると日本人はとても若く(幼く)見えるそうなので、老けすぎに見えるくらいでちょうどいいのかもしれない)と周囲の人々とのディスコミュニケーション、アメリカ人夫婦の子どもの乳母(メキシコ人の不法就労者)とアメリカの官憲との行き違いを、多面的な演出で描いている。

さて、この映画を見て私は「ごんぎつね」の話をおもいだした。

いたずら好きのごんぎつねは、川で魚とりをしていた兵十の邪魔をして採った魚を逃がしてしまう。ごんは後で兵十が死の床にあった母親のためにうなぎを採ろうとしていたことを知り自分の行動を後悔する。
罪滅ぼしにと兵十のもとに栗や松茸をこっそり届ける。
ある日いつものように栗などを兵十の家に届けた際に兵十とはちあわせし、兵十はまたきつねがいたずらをしに来たと誤解して銃でごんを撃ち殺してしまう。殺した後になって栗などをいつも届けてくれたのはごんであったことを知る。

小学生の私は、それまで「めでたし、めでたし」という予定調和のハッピーエンドで終わる物語しか読んだことがなかったので、「ごんぎつね」を読んだ時は、「え、これで終わり?」みたいな居心地の悪さを感じた。
ごんと兵十の間に和解はついに訪れず、反省して良い行いをしたごんが殺されてしまうなんて・・・しかも物語はそこでふいに終わってしまう。「不条理」という言葉を小学生が知るわけもないが、もし知っていたら、私は「これは不条理の物語だ」と思ったことだろう。

「ごんぎつね」の主題は、コミュニケーションが成立しない者の間に起きた悲劇であり、「バベル」の主題と似ていると思う。
ただ「ごんぎつね」が読者を突き放すように終わるのに対して「バベル」はある程度の収まりのよさ(事件は概ね解決し、不条理ともいえる結末を迎えるのはモロッコの少年くらい)がある。
ブラッドピットなど一流のキャストを使って費用をかけた映画を作る以上、ある程度観客におもねるところもないと商売にならない、ということだろう。

ラストシーンでアメリカ人の夫(ブラッドピット)が、やっとこさ妻を病院に運び入れた後、アメリカにいる自分の子どもに電話するシーンの演技が真に迫って印象的だった。

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