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蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

クレィドゥ・ザ・スカイ

2008年02月23日 | 本の感想
クレィドゥ・ザ・スカイ(森博嗣 中央公論新社)

SF架空戦記シリーズの第五弾。
シリーズで最初に出版された「スカイクロラ」が5冊のうちの最後のエピソードだったという、著者らしいケレン味に満ちたシリーズ構成であったことが、シリーズを読み進むにつれてわかってくる。

本書では、前作(フラッタ・リンツ・ライフ)で記憶をなくしたキルドレ(戦闘機乗りの適性を高めるために改造された人間)が、反戦団体(?)と接触しながら、結局自分は戦闘機に乗ることにしか存在理由を見出せないことを発見するまでを描く。
このキルドレが「スカイクロラ」では、伝説の大エース・クサナギスイトと並ぶパイロット・カンナミユーヒチとなって活躍することになる。
ただし、本書では、主人公の名前(カンナミユーヒチ)が明確にはされない。それが実は主題の一つで、終盤に次のような種明かし(というか著者の主張(?))が行われている。(以下引用)
「その名前は出てこなかった。でも、この機体のことはよく知っている。それは思い出した。カウリングの中のエンジン、そのヘッド、カム・カバーの中のスプリングまで思い浮かべることができた。エンジンの音だって、キャブレタの音だって、ダイブのときのスタビライザの振動音だって、僕は知っている。匂いも思い出せた。濃い場合の排気、高度が上がったときの焼けるような匂い、オイルや湿度によって変化する排気の色もわかる。
つまり、見たもの、聞いたもの、嗅いだものは全部覚えている。僕が記憶できないのは、言葉だ。特に、名前が思い出せない。どうしてだろう。
ここにある飛行機と自分の関係は、飛行機の名前を覚えていなくても、揺らぎのない確かなものだ、と思えた。これに乗って飛ぶために、その名前を呼ぶ必要はない。
僕自身もそうだ。僕の名前を呼ばなくても、僕は生きていける。特に、空に上がってしまえば、誰も僕の名を呼ばない。名前なんて必要ない」

このシリーズの読みどころは、極く短いセンテンスの連なりで描かれる空戦(あるいは飛行機の離着陸、飛翔)場面にある。
本書ではそういう箇所が比較的少ないが、複葉機で飛翔する場面は、臨場感たっぷりで、飛行機を操縦しているような錯覚を少しだけ味わえたような気がした。
また、本シリーズに登場する飛行機はすべてレシプロ機である。ジェット機では浮揚感とか立体感を表現するのが難しいからだろう。