蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

会社は頭から腐る

2007年10月20日 | 本の感想
会社は頭から腐る(冨山和弘 ダイヤモンド社)

産業再生機構の首脳として有名になった著者の経歴は華やかだ。東大卒、司法試験合格、スタンフォードMBA、ボストンコンサルティング・・・
しかし、この本では(タイトルからしてそうだが)高尚な経営理論が展開されることは一切ない。何回も出てくる言葉が「ガチンコ勝負」。

日本の企業が衰退しつつあるのは、リーダー層の劣化に原因があり、それは現場を経験せず、大きな失敗体験もないまま、エリートとして社内で大事に扱われた人がリーダーになっているからだとする。こうした体験がないのでストレス耐性が乏しく、本当の試練が訪れると対処できなくなってしまう。ついこの間までどこぞの国のリーダーだった人など典型例かもしれない。

著者自身も携帯電話会社の立ち上げにコンサルとして5年間取り組んだそうで、この時の経験がバックボーンになっているという。まだ世間に認知されていない携帯電話の販売代理店になってもらおうと大企業を営業すると、収益性にあまり興味はなく、新しいことをやるのは嫌がるので、担当者は「検討したけど断った」という形を作るのに汲々としていたという。一方ベンチャーに営業すると、「儲かるか」という視点から検討が始まり、意思決定が非常に早かったという。
ありがちな話だが、「なぜそうなるのか」という著者の分析(人間はインセンティブと性格の奴隷であり、大企業担当者のインセンティブを考えれば上記のような対応は当然である→だから、経営者になるときは構成員のインセンティブや性格を知り尽くした上で、自分の望む方向に動くようにインセンティブを作り変えないといけない)は、ユニークに思えた。

あとがきによると本書はインタビューをライターがまとめたもののようで、そのせいか全体の構成がやや散漫で、同じような話が何度も出てきたような気がした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の骨

2007年10月16日 | 本の感想
私の骨(高橋克彦 角川文庫)

作家やシナリオライターなど著者自身を思わせる主人公が、著者の故郷である東北地方を舞台として描くホラー短編集。ほとんどの作品にすごい美女が登場する。

表題作の「私の骨」と「おそれ」がいい。
「私の骨」の真相はけっこうあっけないが、そこに至るまでのプロセスが怖くて楽しめる。
一方、「おそれ」は、怪談というより綺譚という程度の小話が続くが、結末部分でうまく落ちている。

裏表紙に「珠玉の小説集」とある。それはちょっと言いすぎだろ、とは思うが、寝る前に一編ずつ読むにはちょうど良いくらいの分量と怖さと面白さ(あまりにも怖すぎて眠れないというほどでもない)は十分にある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円朝芝居話 夫婦幽霊

2007年10月14日 | 本の感想
円朝芝居話 夫婦幽霊(辻原登 講談社)

著者がたまたま見つけた江戸末期~明治時代の落語家・円朝の「夫婦幽霊」という口演の速記録を翻訳したという設定で、実際は著者の創作(と思われる)「夫婦幽霊」の話が主題。

辻原さんの著作の全体的(というほど読んでいないが)な傾向として、どこまでが現実でどこからが創作なのかよくわからない、少しだけ幻想的な構成が特長となっているが、本書では、ある程度史実が混じっているのかまるっきり著者の創作なのか(私の知識が不足しているせいで)判然としない。
多分ある程度歴史上の事実や実在人物が登場していると思われ、それが良くわかる人にとってはこたえられない面白さがありそうな気がする。

とはいっても、著者の嘘にうまく乗せられてもいいと割り切れば、「夫婦幽霊」の話自体もその前後の円朝とその息子をめぐる物語もとても楽しく読める。

ただの読み物としてさらっと読んでもいいし、落語や明治期の風俗に詳しい人がじっくり読み込んでも楽しめそうなすぐれた小説(だと思う、多分)。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遊動亭円木

2007年10月08日 | 本の感想
遊動亭円木(辻原登 文藝春秋)

盲人の落語家円木は、妹夫婦が経営するアパートに住む。体を悪くして以来、高座にはあがらずもっぱらひいきの旦那のサポートで生きている。客観的に見るとなんとも惨めな境遇なのだが、二枚目の容貌のせいか穏やかな性格のせいか豊かで潤いのある生活を送る、というメルヘンチックな話。

現実離れした話なのに妙にリアリティもあって、どこまでが現実でどこまでが夢の世界なのか境目がだんだんがわからなくなる。辻原さんの他の著書にも見られる特長だと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当はちがうんだ日記

2007年10月07日 | 本の感想
本当はちがうんだ日記(穂村弘 集英社)

貧乏人は金持ちにあこがれる。あんな大きな家に住んでみたい。毎日うまいものを食べてみたい。しかし、大金持ちは広い家にもうまいものにもあきあきして、わずらわしさのないシンプルライフに戻ってみたいと思う。

一般人は、皆に注目される有名人になってみたいと思う。しかし、この上もなく有名になってみると24時間監視されているような生活に耐えられず「普通の女の子」になってみたいと言い出す。

平和で安全な日本に住む人は、刺激を求めてインドや中東に旅立つ。

人間は今現在の自分の状態に満足しきることはできない。「ああ、オレは幸せだ」という感覚を持ち続けることは難しく、「ここではないどこか」を求めて世間的な幸福に背を向ける。
もしかしたら、そんなワガママこそが人類の文明・文化の進展に貢献しているのかもしれないが。

この本は、まさにタイトル通り「自分が本当に望んでいる自分は、こんな姿ではない」という思いを素直に吐き出したエッセイ集。
著者の高校時代の親友は学業優秀、スポーツもできて、美形で、それゆえとてもモテて、通学途中のバスの中でもらったラブレターの数は20通はくだらない(著者は一通ももらったことがない)。その事実を(うすうす感じてはいたものの)はっきりと親友が口にしたとき、著者は激しく動揺する。一方でその親友から「俺たち親友だろ」といわれて狂喜する。

著者は、大雨のターミナルでタクシー待ちをしている。とても長い列ができていて早くタクシーに乗りたいとイライラする。やっと次の次というところまで来た時、前にいた老人は著者の後ろにいた赤ん坊を抱えた女性に順番を譲って自らは著者の後ろに回ろうとした。自分は後ろに子供連れがいたことに気づかず、一方自分よりもつらいはずの老人にものすごく気の効いた行動をとられて面目を失う。

(いずれも実話かどうかは不明だが)「オレは本当はこうじゃない」「こんな自分はもういやだ」という誰もが持っている気持ちをとてもうまく表現できているエッセイだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする